第16話 黒船

 分からん。全くもって、分からん。

 教室に戻り、短いHRを終え、体育館に移動してからも、俺は考え続けていた。

 守り方も一つじゃない――と、本庄は言ったが。いったい、それはどういう意味なんだ?

 身の安全を守るならば、傍にいることが一番じゃないのか? 離れたところから、一体どうやって守るというんだ?

 ちらりと横へ視線を滑らせる。その先に――体育館で、ずらりと並んで座る一年の列の中、ひときわ小柄で華奢なその姿があった。名簿順で並んでいるせいで、目の前には背の高いクラスメイトが壁となって視界を阻み、必死に首を伸ばしてステージのほうを見ている。ウェーブがかった髪を揺らし、ひょこひょこと右へ左へ頭を傾けるその様は、いじらしいというか、歯がゆいというか……。


 たとえば――と考えずにはいられなかった。


 今、まりんの身に何かあったとして、俺に守れるのだろうか。

 突然、照明が落ちてきたとしたら? いきなり、イノシシが突っ込んできたら? 保護者に紛れ込んだ不審者が暴れだしたら? この距離で、まりんを守れるのか? いや……と、膝に置いた拳をぐっと握りしめる。

 ――絶対に無理だ。

 間に合うわけがない。あ、と思ったときには、手遅れだろう。

 じゃあ、どうすればいい? 超能力でも手に入れろ、というのか? なんちゃらの実を手に入れ、腕をゴムのように伸ばせと? そういう守り方を模索しろ、ということなのか?

 それとも……。

 視線を落とし、握りしめた拳を見つめる。

 粛々と行われる入学式などそっちのけで、そういえば――と俺は思い返していた。今朝、真木さんに……もう一人の『同中』にも言われたんだ。番犬ではなく忠犬として、遠くから見守ってみたらどうか、と。


 見守る――。


 その馴染みのない単語を心の中で反芻する。

 見守る、見守る……と、何度も繰り返して、そのたびに、どんどんと目の前が暗くなっていくようだった。

 分からない。見守るって、なんだ? ただ、遠くから見ていて、何になるんだ? それで、もし、何かあったらどうするんだ?

 まりんを放ったらかしにして、もし、また――。


 ぞくりと背筋が凍りつき、心臓に激しい痛みが走った。

 ばっと目の前が赤く染まったようだった。焼けるような夕陽が脳裏に浮かび上がり、そこにぽつんと佇む人影があった。赤々と照らされた路地に、一人、心許無く立ち尽くすまりんが――。

 そのときだった。


『新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます』


 朗々とした声が辺りに響き渡った。

 それは、凛とした芯のある声で……聞き覚えのあるものだった。


 ハッと我に返って、顔を上げ――俺は目を見開いた。


 艶やかな長い黒髪。遠くからでも分かる、溌剌とした輝きを放つ瞳。賢そうな顔立ちには微笑が浮かび、まるで、その場の空気を堪能しているかのよう。

 不躾に照らしてくる照明ももろともせず、堂々と佇むその姿に、体育館中が息を呑み、釘付けになっているのを肌で感じた。

 間違いない。

 そこに居たのは……ステージの上で、演台の向こうに佇んでいたのは、だった。


『春の息吹を感じる麗らかな朝となりました。校庭の桜の木々も晴れ着に身を包み、皆さんを祝福しているようです』


 さらりと髪を耳にかけながら、彼女は再びマイクに口を寄せ、和歌でも詠むかのように流麗な口調で続ける。

 あまりのことに、俺は愕然としていた。

 彼女のそれが、俺たち新入生へ向けた挨拶だと分かっていても……その内容が頭に全く入ってこなかった。

 なんでだ? なんで、彼女があそこにいる? なんで、彼女が入学式で新入生への挨拶をしているんだ?

 なぜだ? なぜだ? とパニクりながらも見つめる先で、ふいに、彼女がこちらを見た気がした。そんなわけない……と思いながらも、はっきりと目が合った感覚があって――そして、彼女はまるで俺の心の声に応えるかのように言った。


『未知の世界を前に不安を覚えることもあるでしょう。でも、大丈夫です。ここにいる一人一人がこの学校に居場所を見出し、楽しく過ごせるよう、生徒会一同、全力を尽くします。

 生徒会長であるこの私――千早ちはや千歳ちとせを信じて、に乗ったつもりで……これから一緒に、高校生活を楽しみましょう!』


 黒船……? と、辺りがどよめいたことは言うまでもない。

 ――が、俺はそれどころではなかった。


 高校の入学式。そこで、俺は初めて知ったのだ。

 もう一人の幼馴染の名前。そして、彼女――千早千歳が、この学校の生徒会長だということを。

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