兆し③ side Ren
お前の過去は全てが幸せな事ばかりだったのか?
と問われれば答えは迷わずノー。
幸福で穏やかで、笑顔に満ち溢れていたからこそ忘れたくない反面、思い出すのも悔やまれるくらい可能ならば頭の中から消し去ってしまいたい程の不幸でも、決して忘れてはならないものもある。
そんな意味でも忘れるってのは簡単じゃない。
特に、雨を嫌いになったもう1つの原因でもあるこの出来事は、ずっと記憶に留めておかなければならないと思っている。
俺が、
あれは忘れもしない、途切れることを知らない雨粒が降り続く6月の始まり。
愛大から別れを告げられた、あの日だ。
学校から真っ直ぐ帰宅した俺は、酷く落ち込んだ心中など悟られたくなかったので、お袋が外出している事にホッとしたのを覚えている。
傷心のまま自室に籠り数時間を呆然と過ごしていたらしく、玄関からの物音で現実に引き戻された。ふと時計を見やれば間もなく夕飯時だとリビングへ降りるが、帰路に着いていたのは親父1人だった。彼もお袋の行先は知らされておらず、異変を感じつつもきっともうすぐ帰ってくるだろうと待つ事にした。
しかし、お袋はいつまで経っても帰って来ない。
妙な胸騒ぎを覚え始めた俺と親父は土砂降りの中、彼女を探しに出た。声が枯れる程叫んで、ズブ濡れになりながら思い当たる限りの場所を駆けずり回った。周囲の視線なんて気にする余裕もないくらいに。
けれど、結局この夜は見つけ出す事が出来なかった。
翌朝、連絡など滅多にして来ないお袋の実家から電話がかかってきた。
内容は聞かされないまま急いで両親の地元へと向かう。まぁ、親父の緊迫した顔色を見れば只事では無いと容易に察しがついた。
昼過ぎだっただろうか、祖父母が住むお袋の実家へ到着するもやはり彼女の姿はなく、代わりに居た大勢の見知らぬ大人達が落ち着きのない様子で慌ただしく動いていた。あの異様な空気感も未だに印象強く残っている。
そんな中、ようやく祖父の口から事の次第を聞かされた。珍しく訪ねてきたお袋が、昨夜この実家を飛び出して行ったっきり戻らない事。そして、俺達が到着する数分前、近所の人が彼女を発見したという事を。
すぐにその場所へと向かおうとした。けれど、俺だけは残る事を余儀なくされた。
許しが出るまでは外へ出てはならないと厳しく言い渡されていたので、しばらくは大人しくしていた。だが、そんな忠告も虚しく、隙を見て勝手に動き出した俺の身体は、監視の目を掻い潜りお袋の実家を離れていた。
無我夢中で雨の道を走った。昼間とは思えない薄暗さがより一層不安な気持ちを煽る。
発見場所である近隣の雑木林へは、両親と1、2度遊びに来たくらいでそれ程記憶にないのに不思議と迷わなかった。
そうして辿り着いた先、起こっていた事実を目の当たりにした瞬間、親父達が俺を連れて来なかった理由に気付く。何故あんなにも必死になって祖父母や周りの大人達、更には親父までもが止めたのかを。
気付いてから後悔しても、もう……遅い。
お袋はただ単に見つかった訳ではなかったから。
首を吊った状態で、既に息はしていないようだった。
雨に濡れ、だらんとした足先から水の滴る彼女を見つけて、急に訳が分からなくなった。
自分の頬に伝う液体が雨なのか、汗なのか、涙なのか。
自分が何故ここに居るのかさえも。
これがお袋の最期。
そうして同時に、緒沢恋も死んだんだ。
◆❖◇◇❖◆
理事長室を出て、物思いに耽りながら宛もなく廊下をひとしきり歩いた。だからだろう、色々な感情や記憶が蘇ってきて無性に外の空気が吸いたくなる。
呼吸の為、海面に姿を現す鯨のように屋上へと出ると丁度入学式が終わったようで、生徒達が各教室に戻っていくのが見えた。
その光景を眺めながら深く息をする。途端、誰に向けるでもない悪態が口をついて出た。
「あ〜クソっ、嫌なこと思い出させやがって……」
「何だぁ? その、ヤなことって?」
いつからそこに居たのか、後ろから聞こえてきた英来さんの声に一瞬驚きつつ、すぐさま無愛想な返事をする。
「別に。何でもないですよ。理事長と話すと息が詰まるんで、新鮮な空気吸ってただけ。英来さんこそ、何してるんです?」
この人は怖いくらい他人の心が読める。だから自分へと向けられる関心を少しでも反らそうした。
「俺? 俺はどっかの誰かさんが置いてった要ちゃんの後始末をキレイにしてぇ、昼飯がてらサボりに来たわけよ」
コンビニ袋を持ち上げて見せながら嫌味っぽく言ってくるのに対し、俺は悟られまいとする。
「あーはいはい。その事に関してはどうもすみませんでしたー」
が無駄だった。
「……恋、お前またおばさんのこと思い出してただろ? 相も変わらずマザコンだなぁ」
図星。何でこの人は顔を見ただけで分かるんだ。
「エスパーかよ」
「ん? 何か言った?」
聞こえているくせに、とぼけた顔をする。
「いや、何も」
「ふ~ん。焼そばパン食う?」
「結構です。てか、食いかけ渡そうとすんな」
「何だよ今更〜。俺とお前の仲だろ〜」
「誤解を招くいい方はやめろ」
先生と生徒間らしからぬやり取りでこちらに向けられた関心を逸らせたかと思ったが、次に彼の口から出た言葉に俺は目を見開いた。
「泣きたい時は泣いた方が良いぞ」
ふざけて言っているのかと彼を見るが、至って真面目な顔をしている。
「はぁ? 冗談じゃない。誰があんたの前でなんか泣くか。アホらしい事言わないで下さい」
「本気も本気よ。なんなら胸貸してやっても良いけど?」
真剣かと思えば今度はニヤリと笑って両手を広げる。
「お断りします。どうせ借りるならもっと華奢な子の方が良い」
「はぁ!? コレでも俺、結構需要あるんだぞ! それになぁ、こういう広くてがっしりした胸の方が包容力半端ないっつの」
まだまだ浅いなぁと言う。いかにも愉しそうに。
でもまたさっきの表情に戻った。
「気掛かりなんだよ。おばさんの葬式ん時もお前泣いてなかったろ?」
「英来さんが涙もろいだけだよ」
心配してくれている。普通の人間ならば嬉しいことなんだろうけど、今の俺にとってはそれさえもただの重たい荷物なんだ。
「そうかもな。でも恋、全部一人で背負い込むな。誰かに頼ったって良いんだ。荷物が重かったら本当に信頼できる奴に半分持って貰え」
また、見透かされたような発言。
あぁ、本当に泣きたくなるから止めてくれよ。
その思いが通じたのか、続け様に掛けられた言葉によってそんな気持ちは微塵も無くなった。
「俺も居るし、
悠貴……。
俺には実の父親だと信じていた人がいた。
だってその人は、俺が産まれる前からお袋の夫で、俺が産まれた時からは俺の親父で。
中1の時にその人とは血が繋がっていないこと、そして本物の父親が別に居ることを知らされた。それでも俺は“血の繋がりなんて関係ない、俺の父親は
けど捨てられた。裏切られたんだ。
「人が悪いな、英来さんも……」
意味が解らないと言う表情に、イラッとくる。
自分を弟のように可愛がってくれる彼をいつも慕って好意の目で見ていたが、今だけは無理だ。
「俺の前で、二度とその名前を口にするんじゃねぇ!」
初めてだった。英来さんに対して声を荒らげたのは。
理事長に呼び出された後で最悪な気分だったから、つい。こんなの八つ当たりに過ぎない。
それなのに、英来さんは笑っている。
「そーそー、それで良いんだよ。俺には気持ちを抑える必要ないから連慮するなっつの。言いたいことがあるなら言ってこい、いつだって聞いてやる」
怒鳴った自分が馬鹿馬鹿しく思えたてきた。
「はぁ、ホント昔っからアンタには勝てないな」
「そりゃそーだろ。なんたって俺はお前がおむつしてる頃から世話してきたんだからな」
英来さんは緒沢家時代の隣人だ。つまりは幼なじみ……と言うよりかは、腐れ縁と言った方がしっくりくるか。
「それはそれはお世話になりました、エーキせんせー」
「やめろッ! そのッ心のこもってない感じはッ!」
くだらない話から一転、英来さんが何かを思い出したようで切り出す。
「あ。そういえばお前さ、愛大と連絡取り合ってんだろ?」
「……いいえ、どうして?」
突然、愛大の名前を出され少し動揺する。
「な〜んだ、じゃあただの偶然か。俺はてっきりお前が蘇芳に誘ったんだと思ってたし」
俺にとっては絶対に聴き逃してはならない発言を、とてつもなく軽い口調で言うから戸惑った。
「ちょ、ちょっと待って。今あんた何かスゴい重要な事をさらっと言った気がする」
焼きそばパンの最後の一欠片を頬張りながら英来さんはやはり大した内容ではなさげに言う。
「んあ? だから、愛大がここに入学してるぞって話。あれ? 恋知らなかったの?」
知らない。
愛大が、この学園に?
「ごめん、英来さん。用事思い出したから俺、先行くわ」
取って付けたような台詞を残して、屋上から校内に戻った。
◆❖◇◇❖◆
どうしても英来さんの言っていた事がにわかには信じられず、とりあえず確認が取れる人物が現れるのを生徒会室で待つ事に決めた。
だが、目的地に向けて足早に進んでいると、先程校内を歩いていた時とは異なり生徒達とすれ違う。そこでようやくLHRも終わっている事に気が付いた。 これは最近の俺では稀に見るテンパり具合だ。
タイミングが悪かったな。
思った通り、教室から出てきた生徒達に一瞬にして取り囲まれた。
「蘇芳会長! いらっしゃってたんですね」
「あぁ」
足を停めずに返事をするが、彼等は気にもせずついてくる。
「皆、会長の挨拶を楽しみにしていたんですよ。もちろん、奉日本副会長も素晴らしかったですけど、やっぱり新入生達は少し残念そうでした」
そう話す男子生徒は意気揚々といった様子だが、こっちはそれ所では無い。
「先を急いでいる、話はまた今度にしてくれ」
「どちらへ? あ、生徒会室ですか? でしたら私達も途中までで構いませんから、ご一緒したいですわ」
今度は女子生徒が目を輝かせて近付いてくる。
「いや、悪いがそういう気分じゃないんだ」
断って前進しても、また別の集団に出会す。とある理由で一部の生徒からこうして持て囃されるのが日常と化してしまった。
最初の頃みたいに、忌み嫌われてた方がまだ楽だな。
幾度となく声を掛けられ、取り囲まれを繰り返し生徒会室まで辿り着くのにやたらと時間が掛かった。
室内へ入ると同時に、人の気配を感じ取った。しかも、話し声の大きさから察して立ち入りを禁止している部屋からだ。元々物置だった一角を改装して俺専用として使用しているのだが。
入るなと何度言えば分かるんだ……。何となく誰なのかは予想できるけどな。
見れば案の定その部屋のドアが開けっ放しになっている。音を立てないよう背中を向ける形で入り口付近にもたれ掛かり、少し様子を伺う。
「そっか! 2人席前後じゃん。雪、途中からバックれてたのによく覚えてたな、“カナ”ちゃん」
「いや、入学式前めっちゃ綺麗な髪の子が座ってるなぁ~って思ってたからさ」
けどすぐに彼等の会話を遮る。
「お前等、この部屋で何してる?」
想定外の聞き覚えのある声と名前を耳にして、心がザワつくと同時に口を開いていた。
「げッ! ほら言わんこっちゃない。恋さん来たじゃん!」
想定内の神城は絵に描いたように慌てふためいている。
「ここは俺のプライベートルームだ。入室を許可した覚えは───」
言いかけて、神城の隣に見える存在へ意識が飛んだ。
胸の奥が漣を立てる聞き覚えのある声と、最後に会ったあの日よりほんの少しだけ逞しくなった見覚えのある後ろ姿。この二つが見事に合致する。
もしかして、愛……?
そう頭で思った途端、鼓動が高鳴り俺の中を妙な興奮が満たしていく。
気付いた時には、名前を呼んでいた。
「……愛大?」
疑惑が確信へと変わったから。
そうだ、俺が愛大を見間違うわけがねぇ。
あの日からずっと、霞んだまま憂鬱な雨の中にいるようだった目の前の景色がパァッと晴れ渡っていく。
こんなに早く会えるとは、想像すらしていなかった。
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