第11話 施しの理由

 九島飛鳥に対する俺の第一印象は、強く、美しい少女だった。


「一人に対して、寄って集って恥ずかしくないの? この子に文句があるのなら、正々堂々、タイマンで話をしなさい!」


 入学して間もない時期だった。

 我らが東北のクソ田舎は、四月になっても桜が咲かない。ただ、普通に寒いだけだ。そんな普通に寒い時期なので、当然、学校の廊下も寒い。冬の間は、廊下でだらだら話すよりも、早々に教室の中へと逃げ込む生徒たちが多い。

 故に、そのいじめは人気の少ない廊下で行われていたのだという。

 気弱そうな女の子に対して、ちょっと派手な頭髪の女子三人。この付近にはあまり高校は無いので、地元で進学校を求める学生は大抵うちの学校に来る。故に、その少女が中学校時代から虐められていたというのは、一目見た時になんとなくわかった。

 けれど、申し訳ないのだが、俺はそういういじめの光景よりも先に、飛鳥の姿に目を奪われてしまっていたのである。


「な、なによ、アンタ……いきなり」

「関係ないでしょ?」

「そ、そうよ! 正義の味方面して――」

「アタシは正義の味方よ! アンタたちが悪!! わかった!!?」

「「「えぇ……?」」」

「文句があるのならば、言ってきなさい! アタシは何人相手だろうとも、逃げずに立ち向かうわ! 場合によっては武器の持ち出しも辞さない!」

「や、やべぇよ、この女……」

「ガチだよぉ……自転車の鍵を握りこんで、眼球を抉ろうとしてくるよぉ……」

「初めて見た、そんな臨戦態勢の女子」


 思えば、この時に暴力スキンシップガールとしての片鱗が見えていたかもしれないが、当時の俺は、『美少女! 格好いい! 赤髪!』などと完全に見惚れてしまっていたので、全然気づかなかったと思う。


「ふん! アタシの前に二度とその顔を出さないことね!」

「同じクラスぅ!」

「不登校になれと!?」

「私たちより、質が悪くない!?」

「ふん! 明日からアンタたちの性根を叩き直してあげるわ!」

「本当に叩いてきそうだから怖い」


 これが漫画やアニメならば、いじめに立ち向かう彼女の下へ、格好つけて馳せ参じるところなのだろうが、生憎、俺の出番なんて無かった。徹頭徹尾、飛鳥が格好いいだけのシーンで、俺はただ、それを呆然と眺めていただけ。

 まったく、情けないったらありゃしない。

 いくら見惚れてしまっていたからといって、今から思えばもうちょっとやりようがあったと思うのだが。


「…………ん、アンタ」

「あ、その、はははははっ」


 しかも、その時、そんなに離れていない廊下から眺めていた俺は、うっかり飛鳥と目が合ってしまっただから、運が悪い。別に、姿を隠していたわけではなく、後ろめたいことがあるわけでもないのだが、彼女のあまりの強さと美しさに圧倒されて、思わず、目を逸らしてしまった。

 ある意味、これは敗北だったのかもしれない。

 九島飛鳥という少女の美しさに、俺は怖気づき、圧倒されてしまったのだ。

 だから、俺は誤魔化すように笑って、視線をさ迷わせることしか出来なかったのだろう。

 そんな情けない俺に、飛鳥は険しい表情を作って、こう言ってきた。


「なんで、上級生二人を両手で引きずりながら歩いているの? こわっ!」


 そう、その時の俺はちょっと、この学校の番長一派と戦い、壊滅させてきた直後だったのである。しかも、番長とその右腕らしき人物がかなり強く、倒したはいいものの、倒した相手がそれなりにダメージを負ってしまっていたので、仕方なく保健室へと向かおうとしていたところだったのだ。


「…………階段から、落ちちゃってね?」

「二人とも?」

「仲良く落ちちゃってね?」

「階段から落ちただけで、そんな、何度も拳を叩き込まれたみたいな有様になるの?」

「手強い階段だったらしいぜ? なっ、先輩たち!?」

「ぐっ……くくく、残念だったな、一年坊主……俺は、三山町四天王でも最弱……」

「お前では、あの方に、勝てない……っ!」

「明らかに、アンタが先輩たちを倒したでしょ!? ねぇ!? だって、漫画みたいな負け惜しみを言っているし!」

「可哀そうに……階段から転んだのがそんなに恥ずかしかったようだ」

「アンタの中では、この学校の階段にはどれだけの戦力があることになっているのよ!?」


 これが、俺と飛鳥のファーストコンタクト。

 俺は飛鳥の美しさに戸惑って、どんなやり取りをしたのか覚えていないが、これだけはきちんと胸に刻んでいる。

 ――――三山町四天王、なんか合わせて五人ぐらい居たんだけど!? と。



●●●



 実を言うと、俺は子供の相手が苦手だ。

 何故ならば、子供は脆い上に、自分の責任を自分で取れないからである。

 まぁ、そんなことを学生の俺に言われたくもないだろうけれど、本当に苦手なのだ。超苦手。俺ほど子供の相手が苦手な奴は中々居ないだろう。


「ほぉら、局所的タイフーンだぞぉ?」

「「「きゃっ、きゃっ♪」」」


 ということで現在、俺は飛鳥が良く通う施設にて、子供の遊具に徹していた。

 具体的に言えば、こう、両手を広げて、そこに子供が複数人ぶら下がり、俺が気合を入れて回転するという構図である。そうだね、公園の遊具で見たことがあるね! もっとも、どの公園でも危険視されて撤去されてしまった、禁断の遊具なのだが。


「みじゃああああああ!! 次、あだじぃいいいいいい!!」

「僕がやるんだぁああああああ!!」

「オレはまだ、一回しかやってないぃいいいいい!!」


 禁断というだけのことはあり、子供たちへの求心力は凄まじい。何せ、あまりの遊びたさの所為で、順番待ちしていた子供たちが殴り合いの喧嘩を初めてしまうほどだ。

 どうやら、俺の三半規管を犠牲にして生み出される娯楽は、容易く子供の理性を崩壊させてしまうらしい。やれやれ、俺の魅力がこんな幼い子供たちでさえ争いに駆り立ててしまう。これが罪ということか。


「こらっ! 喧嘩する子は使用禁止だぜ!」

「ううう……だってぇ」

「自らの権利は勝ち取らないと」

「け、喧嘩じゃないもん! これからの競争社会を生き抜く術を学んでいただけだもん!」

「仲直りしなさい! 仲直り! 仲直りしたら……全員まとめて、俺に捕まりな! お前ら程度の重圧、俺が支えて見せるぜ!!」

「「「やったぁ!!」」」


 やはり、子供の相手は苦手である。

 なんやかんや、子供を泣かせないように立ち回って居たら、いつの間にか俺に肉体に、子供たちがインドのラッシュアワーの如く過積載されているのだから。

 うん、全員って言ったもんな…………やってやろうじゃねぇか!!


「うおお、おおおおっ!」


 俺は気合で禁断の遊具を再現した。

俺遊具は、気合によって動くので、実質無限のエネルギーを実現しているのだ。だから過載でも問題ない! 疲れるけど!


「もがががっ!?」

「わぁい! たかぁい!!」


 でも、女児よ、俺の顔にしがみ付くのはやめろ、息がしづらい。フェイスハガーか、お前は。というか、小学校低学年でも、もうちょっと恥じらいを持ちなさい。


「ほら、皆さん、おやつの時間ですよ! 手洗いうがいして、席に着くように! あ、柊さんも良かったらどうですか?」

「きゅっ、休憩、したら、行きます……」

「ふふふふ、ありがとうございます。子供が好きなんですね?」

「いいえ!」

「わぁ、即答。でも、そう答えてくれる人の方が信頼できます」


 子供の相手は苦手だ。

 でも、何故か子供は俺に懐きやすく、また、周囲の大人も俺に子供を預けることが多い。親戚同士の集まりなんか大変だ。とてつもなく大変だ。大人たちが、大人のやり取りをしている中、クソ面倒臭い親戚事情を考慮しつつも、きっちりとガキどもを世話しなければならないのだから。正直、お年玉が貰えなければ、絶対に行かない自信がある。


「…………なんか、アタシよりも懐かれていない?」

「気のせいです」

「いや、男子の食いつきとかさ」

「あの年頃の男子はシャイなのさ。分かってやれよ、お姉さん?」

「ちなみに、アンタにはシャイな時期があったの?」

「女子供は撃たねぇ! と小学生の時に主張していた記憶が」

「アンタはやっぱり、ちょっと変だわ」


 俺が施設のベンチで休憩していると、隣に飛鳥が座って来る。

 先ほどまで、子供たちのおやつをシスターと一緒に作っていたのだろう。その手には、緑茶のペットボトルとクッキーの包みがあった。


「食べる?」

「もう少し休憩して、手洗いうがいしてから」

「情けないんだか、きちんとしているんだか」

「ほんの少しの弱みを見せるのが、ナイスガイの秘訣さ」

「弱みだらけというか、弱みと凌駕する特化型というか、不思議な生き物よねぇ」


 おまいう!

 全力で叫びたいところだが、ここで叫んだら台無しなので、ぐっと我慢。すると、飛鳥は表情を綻ばせて、くすくすとお淑やかに笑い始める。

 外面余所行きモードだと、たまに淑女を騙りたがるのが、飛鳥なのだった。


「変な奴よね、アンタって。普通、アタシの気を引くために、こんな面倒なことをやるなんてさ。本当に、変」

「あ、面倒って意識あったのね?」

「当然でしょう? 子供の相手は面倒。誰かに施すのは気を遣う。親切にしたつもりでも、それを侮辱と感じる人も居る。まったく、面倒なことよね、ボランティア活動って」


 そんな外面モードの飛鳥が、さらりと本音を言うのは少しばかり意外だ。

 てっきり、もっとこう、道徳の授業に出て来るような、助け合いとか、絆とか、愛とか、そう言うのを語ると思っていたのだが。


「じゃあ、なんで飛鳥は態々休日を消費してまで、ボランティア活動をするんだ? というか、意識的に色々やっているだろ? 周囲にお人よしとか言われるぐらいには」

「お人よし、お人よしねぇ…………ふふふっ、そんなこと、全然ないのに」


 飛鳥は、笑い、笑い、嗤う。

 とても馬鹿げた冗談でも聞いたように。

 確かに、人を食らう妖怪であるはずの飛鳥に対して、『お人よし』呼ばわりはいかにも滑稽だ。滑稽ではあるが、当然の扱いでもある。この飛鳥という美少女はそれだけ、誰も面倒だと思ってやらないような善行を平然とやって見せる存在だったのだから。


「私はただ、約束を守っているだけなの」

「約束? 大切な人との約束?」

「…………うん。まぁ、そう、だったのかもね?」


 その時の飛鳥の表情を、何と形容していいか、俺は良く分からなかった。

 穏やかだったような気もする。笑みは浮かべていたような気がする。でも、それよりも深い殺意が、一瞬、垣間見えた。

 まるで、『冷たい炎』という不可思議な現象に触れてしまったような、そんな矛盾溢れる表情だったと思う。


「そうか……飛鳥はその人のことが好きなんだな?」

「―――はっ?」


 そんな表情が直ぐに消え去ったのは、主に俺の所為だった。

 余計な言葉を付け加えた所為か、直ぐに飛鳥は不機嫌モードに移行して、眉間に皺を寄せている。


「好きではない」

「え? でも、大切な人だって――」

「大切だから、好きとは限らない。人類は海が無ければ生きていけないけれど、海が嫌いな人もいるでしょ? そんな感じ」

「そ、そうなんだ……」

「それに、もう死んだ奴のことだし」

「…………悪い」

「ふんっ!」


 余計な一言の所為で、露骨に飛鳥の機嫌が悪くなってしまった。

 しかし、結果的には思わぬ収穫を得られたかもしれない。

 飛鳥という少女は――否、妖怪は誰かに執着している。その執着が、ボランティア活動形で表れているのだ。

 死人への執着、か。

 一体、誰にどんな想いを寄せていたのやら? ゆっくりと考察したいところだが、それはまた後で。子供たちがおやつを食べ終わってこちらに来るまでに、どうにかしてこの飛鳥の機嫌を取らなければならない。


「飛鳥」

「知らない」

「機嫌を直して」

「怒ってない」

「そこを何とか」

「怒ってないってば」

「寂しいのなら、この俺の胸に飛び込んでくれていいのだぜ?」

「…………じゃあ、腕出しなさい。右腕」

「え? あ、はい」

「がぶっ」

「みゃっ!!?」


 噛まれた。

 飛鳥に噛まれた。

 こう、飛鳥の機嫌を直すために、まずはうざ絡みをやって、一度怒らせる。その後、いつもの関節技を食らってストレス発散という流れを狙っていたのだが、まさか噛まれるとは。

 正直、俺の心臓がここ最近で一番働いた瞬間だったと思う。上着の袖をめくられて、痛みを感じない程度に甘噛みされたわけだが、気分は、猛獣に甘えられた無力な人間だ。ここで軽く力を入れられたら、恐らく、俺の右腕は『ばくんっ!』と食われてしまう。


「がじがじ」

「あ、あの、飛鳥さん?」

「あぐあぐ」

「飛鳥さぁーん! 正気に戻ってぇ!!?」

「もぐもぐ…………ふん、これで機嫌を直してやるわ」


 ただ、流石にこの場で化物となって食らうというわけではなく、本当にただのじゃれ合いの延長戦だったらしく、なんとか俺は生き残った。

 やべぇって。命の危機と、乙女の歯とか、柔らかな唇の感触とかで、とてもドキドキしたのだが、キス判定にはなりませんよね? そうですよね?


「アンタの驚いた顔が見られて、少し胸がすっとしたし」

「そりゃあよかった。ちなみに、先ほどの行為には何の意味が?」

「八つ当たり。駄犬が、誰かを噛むのと同じ理由よ」

「自分のことを駄犬呼ばわり?」

「ええ、まぁ…………少なくとも、飼い犬にも猟犬にもなれなさそうだもの」


 結果から言えば、その後、命懸けの追いかけっこをする羽目にはならなかった。

 普通に子供たちの相手をして、普通にボランティア活動を終えて、帰るだけ。それでも、その間ずっと、どこか寂しげに呟いた飛鳥の横顔が忘れられない。


「せめて、どちらか決められていれば、まだマシだったのかもしれないけど」


 俺は、飛鳥が『大切な人』に抱いた感情を理解できない。多分、どれだけ説明を尽くされても、本当の意味で理解することが出来ないのだろう。

 だから、俺は飛鳥が今は亡き誰かへ向ける感情を、こう表すことした。

 ――――愛憎、と。

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