5〉

 純白の鳥が舞い降りつつ、光を放った。はぐれていた、鳥人のファラだ。

「無事だったんだね」

 駆け寄ると、ファラも全身に光を纏わせたまま、ふわりと降り立った。

 弱まる光の中に、ファラの裸体が浮かび上がる。細いシエロの肩に止まれるほど小さな鳥に変化(へんげ)する際、服は運べない。その場に置いていくしかなかった。必然的に、移動先で人型に戻る時は、全裸だ。

 シエロは慌てて、上着を肩へ掛けてやった。

 ファラは、女性ではない。かといって、男性でもなかった。どちらかといえば、成熟前の少女に近い容姿だった。癖のない、艶やかな純白の髪を肩の長さに切りそろえ、白目がほとんどないほど大きな瞳は、漆黒。鳥人と知らぬ人の目から見ても、どこか普通の人とは違うと感じさせるあどけない顔をしていた。それでいながら、実は齢三百年以上である。

 上着を羽織り、ファラはシエロの腕に残る傷に目を留めた。乏しい表情の中で、眉を顰めた。

「お怪我を」

「大丈夫だよ。ちゃんと、処置してもらえたから。ファラは、怪我しなかった?」

「シエロ様とはぐれてすぐ、変化して逃れましたから。それより、処置とは」

 ファラは鳥のように首を傾げた。

 川上を指差し、シエロは嬉しさに上ずった声で、ノクターンたちに助けられたことを教えた。

「助かったよ。包帯が取れるまで休ませてもらったから、すっかり良くなったし」

 さらに、ファラは首を傾げた。

「その傷は、もっと深かった、と」

「うん。だけど、ほら、もう」

 かさぶたになった傷を見せようと腕を上げると、ヒヤリとした手が、シエロの額に押し当てられた。戸惑う間に、ファラはシエロの頭をあちらこちら押さえる。

「な、なに?」

「頭を打った形跡は、ありませんね」

「たんこぶは出来てたけど、それも治ったよ」

「失礼ですがシエロ様。本当に、記憶は確かですね?」

 さすがに腹立たしさが湧き起こり、シエロはムッとして頷いた。

 しばらく思慮したファラが、言いにくそうに口を開いた。

「王都を発ったのは、今朝ですよ」

 驚きに、シエロは言葉を失った。

 そんなはずはなかった。集落で、ノクターンたちと過ごす間、何度も夕焼け空を仰いだ。星を数えた。月が満ち、朝焼けに染まる川で釣りをした。

「なに言ってんの。だったら、怪我が治るわけがないじゃない」

「ですが」

 思いついたファラが、シエロの上着のポケットを探った。取り出したのは、油紙に包まれた、数個の小さなパンだ。技芸団行きつけの食堂「ヤギの羽毛亭」の女将が、出立前にこっそり渡してくれたものだ。

 ノクターンたちの集落では、すっかり忘れていた。

 パンの表面は水でふやけていたが、弾力は保たれていた。数日経っているなら、もっと違う有様だろう。

 集落での出来事は、夢だったのか。

 短衣の胸元を握り締めた拳が、硬いものに触れた。ソゥラがくれた、魔法の珠だ。

 夢ではない。

 ならば、何なのか。

 信じられず、シエロは踵を返した。ファラが止めるのも聞かず、川を遡った。橋を渡り、茂みを抜け、記憶にある中州が近付いた。ネコ足の石も、川原に鎮座していた。

「ほら」

 ここだよと威勢良く指差したシエロは、そのままの口の形で立ち止まった。

 岩場に並んでいた天幕も、魚を炙った焚き火の跡も、消えうせていた。

「人の気配はありませんね。この辺りの上空も飛びましたが、仰るような天幕も見えませんでした」

 ファラが指摘するように、ついさっきまで数十名が生活していた痕跡も匂いもなかった。まるで、最初から川原と森しかなかったかのような佇まいだ。

 混乱し、あちらこちらを走り回ったが、何一つとして村を示すものは見つからなかった。

 風が、汗を冷やしていった。呼吸が苦しくなる。

 ファラが、再度辺りを見回した。

「とにかく、これ以上ここに留まっていても仕方の無いことです。野宿は、身体に障りますし」

 ファラの言葉が終わらないうちに、シエロは咳き込んだ。

「さあ、光があるうちに、町へ入りましょう」

 ファラは鳥に変化し、服と荷物を取りに行った。シエロは、待ち合わせ場所に指定された川の分岐へと、足を引きずった。

 日は、山陰に落ちようとしていた。せり上がる寒気に、上着を掻き合わせた。胸が痛み、呼吸のたびに細く鳴った。

 無性に、寂しく、悲しかった。

 あの優しい人たちは、何者なのか。どこへ行ってしまったのか。もう、逢うことはできないのか。


 存在するのかどうかも分からない伝説の竜を探す旅は、こうして、不可解な現象から始まった。

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製本作品の頭コーナー かみたか さち @kamitakasachi

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