2)
ミカドを崇拝する過激派・狩人。
今朝、技芸座の玄関に密告書をとめていた矢は、狩人の象徴だ。彼らは、地郷内のテゥアータ人撲滅を掲げている。憎しみをもって排斥にあたり、少しでもテゥアータ人を擁護する者がいれば、どんな幼子であろうと容赦しなかった。
もし仮に、兄が誰かに脅されて、無理やり辺鄙な学問所に囚われていたとしても、狩人は、兄を許さないだろう。
反逆の片棒を担いだ。それだけで、制裁の理由になる。
そして、家族をも。
扉を押さえている机が、振動で跳ね上がった。
「だけど、私は絶縁して六年になるのよ。兄さんとも、もう赤の他人じゃない。なのに、どうして」
「そんなこと、奴らに通用しない。ユズが助かる道は」
ダイチは、棚の引き出しから、ナイフを取り出した。
「僕を、殺すことだ。ミカドへの忠誠を誓い、身内であろうとその手で抹殺できるなら、奴らもユズを認めてくれるだろう」
「そんな」
掌へ押し当てられたナイフの柄は、凍りつくほどに冷たかった。
蝶番が弾けとんだ。
ハッとして、ダイチはユズを押した。
「隠れろ」
細い兄からは想像できない力だった。有無を言わさず、子供用の机の下へ、押し込まれる。低い机は、二十個ほどが、壁まで隙間なく並べられていた。
「窓の下に、床下貯蔵庫の蓋がある。上手くそこから逃げるんだ」
扉を押さえていた棚が、床を擦った。
扉がたわむ瞬間、隙間から刃物や槌が見える。持ちこたえられるのも、あと少しだ。
恐怖にかられ、ユズは無我夢中で這った。言われるままに、窓のある壁へ膝を進めた。
男が肩で扉をこじ開けた。ダイチは必死に棚を押し付けるが、敵わない。
室内へ滑り込んだ男が、ナイフを振るった。ダイチの上腕から血が流れた。怒声と共に、さらに男達が雪崩れ込む。
運動音痴だった兄が、腕力で勝てるはずがない。
なのに、兄は逃げようとしなかった。果敢に椅子を振り上げ、男達目掛けて投げつける。
どうして、そこまで抵抗するのか。高確率でこうなると分かっていて、ミカドの意志に反したのか。疑問は次々に湧き出る。
しかし、今は、とにかく、逃げなければ。
震える足を叱咤して、ユズは机の下を這った。窓の下へと忍び寄る。
机の列が切れる辺りに、目的の床下貯蔵庫の蓋があった。しかし、机を動かさなければ持ち上がらない。咄嗟のことで、ダイチも失念していたのだろう。
それでは、窓はどうだろう。
ユズは、斜め上にある窓をそっと見上げた。
板窓の下は、空いていた。だが、立てば扉から丸見えだ。狩人の気がダイチに集中している間に、鍵を開け、板窓を押し上げ、外に出られるだろうか。
ユズの掌は、汗でじっとりと濡れた。
壁に背をつけ、音を立てず、座ったまま窓ににじり寄る。
窓の真下にたどり着いたときだ。
壁が振動した。窓枠から、木屑が落ちてくる。何者かが、外から窓をこじ開けようとしている。
もう、駄目だ。終わりだ。これ以上、逃げられない。
歯の根が合わなくなった。
木が軋んだ。硝子ではなく、板を張った窓が持ち上がった。冷たい空気が降りてくる。細く開いた窓の隙間に、細いものが差し込まれた。
銃口だった。
抑えた炸裂音と共に、男の悲鳴があがった。
ダイチの胸倉を掴みナイフを逆手に持っていた男が、ゆっくりと倒れた。瞬きを奪われた目の間から血が流れている。
「カゲだ」
誰かが叫んだ。
ユズも、心の中で汚らわしい名称を繰り返した。
反逆者集団・カゲ。狩人に対抗し、テゥアータを擁護する集団だ。悪徳領主などを成敗する、義賊的な側面もある。そのため、貧しい農村の民からも密かな支持を得ていた。
日に日に残虐性を増していく狩人に、統率された動きと優れた戦闘能力をもって抵抗する。町中で派手に狩人と衝突することもある。しかし、巧みに地郷公安部の捜査を掻い潜り、全貌が明らかにされない。まさに影のような集団だ。
窓が大きく開いた。
全身黒っぽい服を纏った者が飛び込んだ。次々に、同様の格好の者が窓を潜る。窓の下で身を縮めるユズを飛び越える形で乱入した。ダイチを取り巻く狩人の肩と手首をつかみ、引き倒す。持ち上げた腕の付け根を踏みつける。鈍い音に、絶叫が重なった。
慌てて、狩人は撤退を始めた。だが、退路は炎で塞がれていた。立ち込める煙の中、カゲと対峙する狩人は、順に倒されていった。
カゲの一人が、血を流したダイチに肩を貸した。ダイチの唇が動く。カゲは顔を上げ、傍の者を手招いた。招かれたカゲは、何かを囁かれ、頷いた。身を翻す。真っ直ぐ、ユズへ駆け寄った。
「ひ」
脇を抱え上げられ、ユズは痺れた足で床を踏んだ。
「窓から出るんだ」
短く命じられた。男の声だった。
指を組んだ手を、膝の高さに差し出された。足台にしろというのだろうか。
生き延びるためには、カゲであろうと利用せざるを得ない。覚悟を決め、ユズは窓枠へ手をかけた。遠慮なく男の手を踏む。
身を乗り出すのに合わせ、足を持ち上げられる。子供時代に遊んだ鉄棒の要領で、頭を支点に前回りをした。しばらく宙を落ち、足から着地した。
「上手いな」
呟き、男が続いた。
ユズは、ホッとした。これで、助かる。地聖町の家へ戻れる。
カゲに頭を下げるのは癪だ。だが、人として、助けてくれた礼くらい、言おう。
そのつもりで、男に向き合った。
突如、爆発音が響いた。
表口の方で、何かが崩れ落ちる音が続いた。焼けた屋根が崩落したようだ。戸口からは、狩人の怒声が聞こえた。壁を回り、こちらへ近付く足音もあった。
「走って」
男に背を押された。
もつれる足で、ユズは、走らざるを得なくなった。
地聖町とは反対の方へと。
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