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東守口支部に着任した初日。朝礼の場で十数名の支部員を前に、チハヤが各人の顔をゆっくり見回した。背筋を伸ばし、後ろで腕を組んだ立ち姿は、部屋の隅から見ていても凛々しい。ずっと憧れだった故郷の英雄。それどころか、実は知り合いなのに、全く初対面を装うことのもどかしさが、マサキの心を重くした。
他支部の射撃手を務めていたチハヤも、同日付で東守口に着任し、再会を果たすとは思ってもみなかった。顔を合わせた途端、うっかり、「チハヤさん」と声をかけそうになって舌を噛んだ。別人のように冷たく睨まれ、上司に対する礼がなっていないと叱責を受けてしまった。心と舌は、今もまだ痛い。
「これで我が東守口支部もようやく要員がそろった。支部長はまだお戻りになられないが、各自持ち場につけ」
集まった十数名の東守口支部員が一同に敬礼した。変なタイミングで、長閑な槌音が響いた。
支部員は、三つの班に分かれていた。昼番と夜番、非番を交代で回す。昼番には、支部長が加わるが、ひとつの班は、班長、射撃手、通信士が各一名、捜査官が二名の計五名で構成されていた。
マサキは、二班の射撃手に任命された。初日から、昼番を担当する。
共に配属されたコウは、チハヤが班長を務める一班だ。
自分が一班だったら、憧れの人の直属として働けるのにと思った。が、知り合いであることを隠さなければならないことを考えると、接点が少ないほうが、ボロが出にくいかもしれない。気持ちの半分は、安堵で満たされた。
木組みを打ち込む槌の音が、ゆったりと聞こえ続けた。配属先に紹介されたばかりのマサキから緊張をほぐしとっていく。
半壊した庁舎の向かい側では、新しい庁舎の建設が行われていた。随分と速い仕事だと感心していると、もともと建て替えの話が進められていたのだと知らされた。
「古かったからな。お陰で、被害も大きくなったが」
右隣の席で、班長のフタバが嘆息した。年は二十に届いていないだろう。この若さの女性で班長を任されるということは、かなり優秀な人材か、幹部候補生だ。ひっつめに結び、背に流された長い髪は、夕焼けを思わせる明るい朱色だった。
「それにしても、すごいことになってますね」
マサキは、部屋を見回した。壁面を覆い隠すように、資料の箱が積み上げられていた。狭いところでは、体を可能な限り薄くして、横歩きをしなければならない。
平常なら、部屋の奥に支部長席が置かれ、その前に班長を含む班員が五つの机を突き合わせて島を作るが、余裕がなく、三つの机を五名で使用していた。身じろぎをしただけで、隣の人と肘がぶつかった。
マサキの左隣で、男性捜査官アオイが苦笑した。
「しばらく辛抱して」
これでも、部屋を埋める資料は、この支部が保管すべき量の一部だった。庁舎の隣人のテゥアータ商人が、屋敷を資料置き場に提供してくれていた。彼は、地聖町にも店があるし、来月には帰国予定だからと、自ら申し出てくれたそうだ。
消失した資料もあった。それらは、可能な限り再制作しなければならなかった。
「まずは、欠損資料の補填だね」
アオイが、大量の書類をマサキの目の前に積んだ。
一般庶民でも銃の携帯が認められている地郷では、当然のように銃器を使った犯罪も起きる。テゥアータ国との間に摩擦が生じていた時代には、毎日のように銃器を使用した事件が起きていたと聞く。公安部員も全員拳銃を携帯しているが、銃器がらみの事件に、率先して対応するのが射撃手だ。班長の指示を仰ぎながら、場を指揮する。
しかし、何事も起きなければ、射撃手といえども、机に向かって雑多な事務作業を地道にこなすのが日課だ。
どんなに小さな事件でも、地郷公安部が関われば、記録を残さなければならない。報告書は同じものを二部作成し、一部を担当支部保管、もう一部を本部へ提出する。他支部から提出された書類は、定期的に本部から回覧され、参考になりそうだと班長が判断したものは書き写し、自分の支部で保管する。
支部襲撃の日、マサキがここへ届けたのも、本部からの回覧用資料だった。あの日応対してくれた捜査官は、軽傷を負いながらも元気な様子で、朝礼前に声をかけてくれた。が、回覧用資料は灰となり、該当資料を再度各支部から借り受けて、書き写さなければならなくなったそうだ。
しばらくは、書き物に忙殺されそうだ。大きく息を吐くと、マサキは束になった書類を手に取った。
カコン、コン。
大工が槌でリズムを刻んだ。硝子越しに、調子はずれな歌までついてきた。
マサキの斜め前の席で、ノリナという女性捜査官が笑いながら肩をすくめた。年齢より幼く見える顔が、丸眼鏡の奥でおどけた。ノリナの隣、マサキと通信器具を挟んで向かいの席に座る、同期生のシズク通信士も、おっとりとした顔をほころばせた。
「始まったね、おじさんの歌」
「なんか、和やかですね」
作業場は狭い。天井の隅や机の角に、襲撃による火災の跡が、鮮やかに残されている。それでも、仮の事務室は穏やかな空気に満たされていた。本部の研修室にはなかった、家庭的ともいえる雰囲気だ。
支部の空気は、そこをまとめる支部長が醸し出すと聞いたことがある。まだ顔合わせも叶っていない東守口の支部長は、さぞかし柔和で、温かい人物なのだろうと、想像が膨らんだ。
しかし、その平穏も、長くは続かなかった。
突然、外から剣呑な罵声が聞こえた。それに続き、女性の金切り声が響く。
フタバ班長の顔が、瞬時に引き締まった。やや青ざめた白い頬が小さく痙攣した。
「アオイ」
鋭い命令に、男性捜査官がはじかれたように駆けていった。
マサキは、腰に拳銃の存在を確かめると、班長へ向き直った。
「自分も行きます」
外からは、アオイのものと思われる短い叫び声があがった。玄関が面している通りは、騒然としていた。
「私も行こう」
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