楓魔の戦域、その裏で

 さて、後に楓魔の戦域イビル・ウインド・ウォーラインなどと呼ばれ、恐れられる事となる戦いが繰り広げられていた一方、女子の集まる体育館でも、ひと悶着があった。


 体育館に入ろうと桔梗が体育館履きを出すと、中に入っていた大量の画鋲がばら撒かれ、仕組んだのだろう女子が因縁を付けて来たのである。

 手下のように二人の女子を従えていたが、内一人が、教室で桔梗に水を掛けた女子だった。


「黒園さん? あなた、どういうつもり? こんなところで画鋲なんて撒いて。私達に怪我をさせたいのかしら」

「違う……」

「じゃあどうぞ、拾い集めて下さい? 一つ残らず、ね」


 楓太がいれば一瞬で掃除出来るのだが、今はいない。

 かと言って、“過去は親愛、明日は狂気シャルル・シーズィエム・タロット”はやり過ぎだ。黒髪の能力は、いざという時のためにあまり使いたくもない。

 残る紺色の能力もまた、画鋲を拾い上げるための能力ではないので、桔梗はそっと両膝を突いて一つ一つ拾い上げようとした。


 が、頭を踏み付けようと上げられた足が下ろされるのを察して、すぐさま飛び退く。

 避けていなければ、彼女の上履きの裏に刺さっている画鋲のすべてが、顔面に刺さるところであった。


「何のつもりかしら」

「あら、ごめんなさい? てっきり能力を使うと思ってたから、踏み潰しちゃうところだったわ? まぁ仕方ないわよね。ただでさえ、そんなに頭が低いんじゃねぇ」

「あなたは頭が高いのね。力不足だと思うけれど」

「は?」


 どうやら周囲の状況を見る限り、彼女が桔梗イジメに最も強く賛同している一人らしい。

 もしかしたら主導者なのかもしれないが、とにかくその場にいた周囲の誰よりも強く、桔梗の事を邪魔に思っている様子だった。


 桔梗は後から知った事であるが、彼女は大物政治家の一人娘で、今まで超が付くほどの待遇を受け、いつだって他から優遇されて来たが、当学園に来て自分よりも黒髪の桔梗の方が優遇され、特別扱いを受けているのが気に入らなかったらしい。

 何とも幼稚で、馬鹿馬鹿しい理由だった。もしもこの時に知っていたら、溜め息は疎か、鼻で笑うくらいはして、更に彼女の怒りを煽っていただろう。


 とにかく彼女にとっては自分の頭が高い事は当然であり、周囲が自分に傅くのは当然の事。

 故に桔梗もまた、自分に膝間付いて首を垂れるべき――などと、本気で考えていた。権力者の不遜とも言い難い態度に、時代錯誤と言う言葉は存在しない。


「あ、あの……皆さん? そろそろ集合を――」

「先生? 少しお時間を頂けます? この身の程知らずにたっぷりと、私に対する態度と言う物を教えてあげなくてはならないようなので!」


 まだ若そうな女性教師はビクリ、と体を震わせて引き下がる。

 教師として生徒らの喧嘩やいざこざは止めなければならない立場だが、権力者の娘に逆らえばどうなるかなんて想像も出来なくて、怖くなって何も言えなかった。


「決闘よ! 私の力が黒髪を凌駕する瞬間を、皆様の目にも焼き付けて差し上げましょう」

「私があなたの相手、ね……とんだ、ね」

「あら? 今から負けた時の言い訳?」


 思わず、吐息が漏れる。


 役不足とは、本来自分の実力に対して役が負けている事を言う。

 簡単に言えば、本来主役を演じるべき演技力を誇る役者が脇役を演じていたりする事を示す言葉であり、役を担えない程力が足りない、と言う意味ではない。

 昨今ではよく、後者の意味合いで間違って伝わっている場合が多いが、彼女も例に漏れなかったようだ。


 真の意味を理解していると、どれだけ偉ぶっていても間違った意味で言葉を使っているのを聞いた瞬間、酷く落胆するものだ。

 そして当の本人は何がそうさせたのかわからないから、ただただ苛立ちを積もらせる。


「もういいわ。先生も困っているから、始めてしまいましょう」

「えぇ、えぇ! すぐに始めましょう! 徹底的に甚振ってあげるわ!」


「「=戦域展開、解放(!)=」」


  *  *  *  *  *


 “過去は親愛、明日は狂気シャルル・シーズィエム・タロット”。

 記録上辿れる最古のタロット、フランスはシャルル六世の精神治療に使われたというカードをモチーフにしている。


 タロットカードとは元々、五六枚の小アルカナと二二枚の大アルカナからなる一組七八枚のカードを差すが、一般的には寓意画アレゴリーの描かれた二二枚の大アルカナが知られる。

 桔梗の能力も、小アルカナを構成するワンドカップソード魔術陣ペンタクルの四種のエレメント十枚ずつと、四つのコードカードと呼ばれるカード四種ずつからなる五六枚については、ほとんど省いている。


 タロット占いで知られていると思うが、カードは正位置、逆位置とで示す内容が変化する。

 桔梗のタロットもまた同じ。二二枚の大アルカナカードは、位置によって顕現する姿、能力を変動させる。

 物質構築を成す藍色の力に、黒の異質な能力を混ぜ込んだ結果、生まれた力だ。


 故にこの力のせいで――もしくはお陰で、桔梗はほとんど戦った事がない。

 戦域には幾度も立ってきたものの、その大半は、大抵、召喚した異形によって決着してしまうからである。


「“忍耐の正位置ポジション・ポジティブ十二列ドゥージエム――吊るされた男ル・ポンヂュ”」


 振り払われたカードは光り輝き、砕けて消える。

 戦域を囲う外壁に亀裂が入り、厖大な量の大木が激流で流れる河川の水のような勢いで溢れ出て来て、両者を挟む中央で絡まり、戦域の空を覆う程の枝を伸ばして、草木で覆い茂る大木となって聳え立った。


「な、何よ、これ……!」

「あなた、運が良いわ。正位置の……それも、“吊るされた男”だもの」


 空を覆うように広がる枝葉の隙間で、赤い蕾が膨らむ。

 蕾は一瞬で開花し、花弁を散らせて、中央部分を膨らませ、瑞々しく大きな果実を実らせる。


 果実の爆弾。

 生い茂る枝葉を刃に変えての猛攻など、女は様々な角度からの攻撃を想定していたが、どれも外れだった。

 カードのは“吊るされた男”。それも正位置だと言うのなら当然、


 果実が破裂し、中身が皮を捲りながら現れる。

 骨と皮だけで出来たような痩せぎすの男が、次から次へと実った果実の中から現れて、文字通り吊るされる。

 そして、頭に昇る血流と呼吸の苦しさとに耐え切れず、上げた悲鳴が連鎖するように爆発して、戦域全体を悲鳴からなる怪音波が満たした。


 女は必死に耳を塞ぎ、女らしく股を閉じて座り込み、耐え忍ぶ。

 痛い。辛い。助けて。死にたい。殺してくれ。

 最早、若者が意味すら知らぬかのように、口癖のように漏らす弱音の数々が脳の奥に響いて、頭痛、目眩、吐き気を引き起こす。


「こ、の……っ!」


 自分の声さえ聞こえない。能力どころか、その場から動く事さえ出来ない。

 ずっと居たら心が病んで、うつ病にでもなってしまいそうだ。

 とにかく、頭が痛い。


「――」


 向こうで桔梗が何か言っているようだが、まるで聞こえない。

 当たり前だが、術者である桔梗だけが今の戦域で異形の影響をまったく受けてないのだろう。涼しそうな顔を見て、女は更に腹を立てる。

 怒りが怒髪冠を衝いたあまり、戦域を出たらすべて治るからと、自ら鼓膜を破り、音を断った。


(これで音の影響は……?!)


 桔梗は溜息を漏らす。

 どうせやるだろうな、と思っていた事を、彼女が想像のまましたからだ。


 鼓膜を破った程度で防げるなどと、思われている時点で心外だ。

 音による精神支配がメインの攻撃である事は確かであるが、そもそも音とは空気振動によって伝播する物。鼓膜を破り、音という表面的な武器を回避したとしても、音の根源である空気振動までは、回避出来るものではない。

 故に女は理解が追い付かなかった事だろう。音を回避しても尚、吊るされた男達の声が発する震動が全身を震わせ、衝撃波として激痛を走らせてきたのだから。


「もう、終わらせましょうか」


 本当は使うまでもないのだが、これ以上長引かせても仕方ない。

 このまま続ければ確実に勝つし、もはや時間の問題でしかないだろう。

 が、これ以上はやはり、時間の無駄だ。仮に相手が売って来た戦いであり、向こうが吹っ掛けて来た決闘だったとしても、受けたからには決着を付ける義務がある。


 そして戦いには、相応しい終わりがあるはずだ。

 ただ一方が圧力に屈し、力に陥れられるなど戦いではない。そして、そのような戦いならざる戦いを、桔梗は好まない。

 故に、終わらせる。


「あまり、見せびらかす物ではないのよね――


 静寂。

 鼓膜を破った彼女には変わらず無音だろうが、衝撃波の有無でわかるだろう。


 目、鼻、耳、口から大量の血涙を流す彼女を苦しめていた悲鳴が止み、ただでさえ骨と皮で構築されたような痩せぎすの男達が萎びて、原型も無くなる程に絞られて枯れていく。

 それらのエネルギーを一転に凝縮し、一つの巨大な蕾を彼女の頭上で膨らませ、ゆっくりと、開花していった。


「フゥ太には、内緒にして頂戴ね」


 タロットカードは本来、正位置と逆位置で内容が変わる。

 だからこそ、桔梗のカードから召喚される力もまた、正位置と逆位置によって内容が変わる――だけだと、人はまず思うだろう。

 無理もない。タロットカードと言う原型が、誤解を招く。


 まさか正位置と逆位置、更にはもう一つ――根源たる寓意画アレゴリーに準じたもう一つの力が、一つのカードに宿っているなどとは誰も思うまい。

 何より、事実に気付いた瞬間の絶望感は何とも形容しがたいものだ。

 正位置と逆位置の二種に限っても、カードは二二枚。

 合計四四の異形のいずれかが襲い来ると言うだけでも脅威なのに、更にもう一つある事で、力の種類は六六種にまで増えるのだから。


 さらにそこに、未だ見せていない紺と黒の髪が宿す力。

 まったく以て、底が見えない。


――“一切卍事障碍死決終結いっさいばんじしょうがいしけつしゅうけつ


 女の頭上で開花する。

 血のような色の蜜を垂らしながら花の中より現れたそれは、巨大な蟷螂かまきり

 蟷螂の斧と言うには鋭利で巨大な鎌を両腕に備え、億を超える複眼にて獲物を見据えてよだれを垂らす漆黒の蟷螂が、人間と同じ牙を剥いて唸っていた。


「ひぁっ……!」


 蟷螂の目を構成する複眼の一つ一つが、人間の目玉である事に気が付いたらしい。

 何より、彼女には頭上から下がる鎌を防ぐ術がないのだろう。あれこれ考えているようだが、妙案も奇策も何も浮かばず、顔色は悪くなっていくばかり。見るに堪えない。


 断念ギブアップ棄権リタイアも、鼓膜を破っているせいで発声出来ず、離脱出来ないのだから本当に軽率。

 同情しようにも、自業自得と言うしかない。


はい、おしまいラ・フィン


 背を向けたので、鎌で引き裂かれたのか喰われて終わったのか知らないが、悲鳴とも奇声とも言い難い絶叫が聞こえた直後に戦域は閉じ、戦慄する女子らが立ち尽くす体育館に戻って来た。

 女は画鋲の散らばる入口に背中から倒れており、白目を剥き、泡を噴く姿には、戦域に入るまでの勇ましさはどこにもない。

 せめてもの慈悲は、気絶しているお陰で無様に逃げる醜態を晒さなくて済む事くらいか。


「ごめんなさい、先生。少し時間を掛けてしまいました」

「い、いえ……」


 嗚呼、まただ。


 やっぱりここにも、黒園桔梗を人間として見てくれる人はいない。

 いないのだと、改めて理解して、寂しくなって、唇を噛み締めた。

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