第37話『ルートB』

 灰色の鱗、体高おおよそ7メートル。

 噂のハグレだ。


「…………っ」


 ヤバい。

 目が合ってしまった。


 竜種、ドラゴンがこちらに向かって翼を広げ、大きく咆哮した。

 息が止まりそうになった。

 また体が勝手に逃げ出そうとした。

 だけど。


「くっ!」


 理性で押し止めた。

 俺が逃げたらターリャがやられる。


「トキ…、どうしよう……」


 幸か不幸か、ドラゴンの咆哮に耐えてしまったルシーはまだターリャを乗せてそこにいる。

 せめて、ターリャをここから離さないと。


「……、やるしかない…!」


 盾を戻して構えると、ドラゴンが俺を見ながらゆっくり近付いてくる。


「ターリャ、いいか。俺が陽動になるからお前はガルアさんところに避難するんだ」

「でも、トキ…そんなのできないよ…」


 ターリャの体が激しく震えている。

 当たり前だ。

 堪えられるわけがない。

 でもターリャは俺を案じて動けなくなっている。


「大丈夫だ。俺はこういうのから逃げるのは慣れている。ターリャが行ったのを確認したら、俺も全力で逃げるから」


 嘘ではない。

 逃げるだけなら、俺は逃げきれる自信がある。


「信じろ」

「……っ、わかった」


 ターリャが手綱をしっかり握り、振り落とされないように体勢を整えた。


「 来い!!!! 」


 威嚇をすると、ドラゴンはこちらに向かって走ってくる。

 と、同時にターリャも街へ向かってルシーを走らせ始めた。

 このまま囮になって──


 そう思ったのだが。


「なっ!」


 そのドラゴンは俺の目の前で跳躍し、ターリャの方へと跳んだ。

 即座に方向転換して、腰に差してある模造剣を投げる。


「きゃああああっ!!」


 ターリャの悲鳴と共にルシーが嘶く。

 ドラゴンがターリャを通せんぼするように先回りして、噛み付こうとした。

 だが、俺が投げた模造剣が顔に飛んできているのに気が付き、すぐに攻撃を中断して、後ろへと下がって回避した。

 くそっ、こいつ知能が高い。


 目の前で挑発した俺よりも、弱い方ターリャを狙った。


 ドラゴンとターリャの間に割り込む。

 これではターリャを安全に逃がせない。


「くそっ」


 やっぱりギリギリまで引き付けるしかないか。


「ターリャ、今は岩の影に隠れてろ!」


 指示を飛ばして突撃する。

 すると、ドラゴンは前肢を振り上げた。


「ぐっ」


 ドラゴンの鍵爪が盾に衝突した。

 ガリガリと嫌な音が響くが、盾に傷はない。


 するとドラゴンはようやく俺がそう簡単に壊れない面白い玩具だと気が付いたのか、ターリャから俺へと標的を変えた。

 咆哮とは違う、嬉しそうな声を上げてドラゴンは攻撃を加えてくる。

 主な攻撃方法は爪だが、時たま繰り出してくる牙や、回転しての尻尾での薙ぎ払いが連続で襲ってくる。

 一撃一撃が重く、鋭い。

 気を抜けは盾ごと吹っ飛ばされそうになりながら、俺はあるものを待った。


(もう少し、あともう少し…っ!!)


 メモリがジリジリ上がっていく。

 そして、ついに満ちた。


 枷が外れた。


「喰らいやがれ!!!」


 てめぇが俺に与えたダメージを全て返してやる!!!


 柄を握り、目の前のドラゴンに向かって全力で振り抜いた。

 出し惜しみなんてしない。

 この一撃にチャージ全てを込める。


 凄まじい衝撃波と共に、斬撃がドラゴンを襲った。

 これで少しはダメージを与えられればと思った。


「っ!?」


 とんだ甘い考えだ。

 大砲のように鳴り響いた衝撃波は、近くの岩を半分近く砕いた。

 だというのに、目の前のドラゴンにはほんの少ししか傷が付いていない。

 ガルアの言葉がよみがえる。


 竜種は、強靭だ。

 スキルなんかじゃない。

 純粋な、生まれもっての能力だ。

 竜種は総じて硬く分厚い鱗を持っている。

 鱗の厚さは個体によって様々だけど、そこらの剣じゃ傷一つつけられない。

 どんなに全力で挑んでも、たいしたダメージにはならないという。

 例えるならば、人間に飛んできた虫がぶつかった程度。

 瞬間痛いけど、それだけだ。

 竜種を傷つけられるのは、同じ竜種か、防御力を上回るほどの威力を与えることができるか、弱点を的確に攻撃した場合のみ。


 だから、ドラゴン自身の攻撃ならば通じると思ったのだが…。


(これじゃあ、もう術が…っ!)


 ドラゴンが咆哮を上げる。

 しかし、今までの咆哮とは少し違うように聞こえた。

 まるで苛立ったような、そんな感じだ。


「!!?」


 動きが加速した。


 ほとんど条件反射で防御した盾から火花が飛び散る。

 なんだよこれ、俺はクソデカイチェインソーとでも戦ってんのか!!?

 2撃、3撃と防ぐが、その威力が凄まじい。

 一つ受けるだけでチャージが三分の一も溜まる。

 だけど、抜ける余裕もない。

 そんなのドラゴンが許さない。


 尻尾が岩を砕いて、その破片が飛んでくる。

 それらを受け流し、転がりながら逃げ回っている。

 息が上がる。

 どうにもターリャを逃がせるタイミングがない。

 こんな怒り狂ったドラゴンの視界にターリャを入れるのも危険だ。


 山を登るか?

 だけど、上に登って、立ち回れるほどのスペースがあるか?


「ぜっ、はぁっ!」


 体力も限界に近い。

 そう思ったとき、ドラゴンが口から黒い煙を吐き出した。

 なんだ!?毒ガスか!?


 慌ててその煙から逃れようと後ろへと飛びずさった瞬間、カチンという音が響いて、煙が全て炎へと変わった。

 肌が焼ける。

 だが、煙からすぐに離れていたから火傷は軽い。


 あれはこの盾で防げない。

 なんて厄介な。


 延焼して白に変わった煙を蹴散らしてまたしてもドラゴンの猛攻が始まった。

 これもまだギリギリ対応できると、動きを合わせようとした瞬間。


(え)


 ドラゴンが今までにない動きをした。


 尻尾が、横ではなく斜め下からやってきた。

 跳ね上げられる盾。

 がら空きになった胴体。


 あ、ヤバい。






 甦る記憶。

 振ってきた爪が、肩に食い込み胴体を袈裟斬りする。

 左腕はその衝撃で血飛沫を撒き散らせながら盾ごとどこかへ飛んでいった。

 次いで、迫ってきたのは赤い口に並ぶ鋭利な牙で──







 右手が勝手に左腕を掴んで強制的に下げさせた。

 盾の下部に爪がぶつかり火花を上げ、そのまま俺の体を裂いて地面を抉った。


 左腕は繋がっている。


「がふ…ッ」


 喉奥から生暖かいものが競り上がってくる。

 体は後ろへと吹っ飛ばされて、ごろごろと転がった。


 止まるや起き上がり、口まで来た液体を地面に吐き捨てる。

 まだ、生きてる。

 盾もある、チャージは満タン。


 視界の端にターリャが映る。

 怯えながらも俺を見ていた。


 ああ、大丈夫だ。

 まだ生きてる。


「このクソトカゲが!!」


 狙いを定め、チャージを放った。

 先程よりも凄まじい衝撃波だ。

 ここで初めてドラゴンが悲鳴のようなものを上げた。

 ははは。

 どうだ痛かろう。


「今だ行け!!!!」

「っ!」


 ターリャが小さく首を振る。

 それを見て俺は足元の石を掴んで、全力で投げた。

 石はルシーにぶつかり、驚きの声を上げてルシーは全速力で駆け出した。


「トキ!!トキいいいいい!!!」


 ターリャの声が小さくなっていく。

 これでターリャはもう大丈夫だ。


 土埃が晴れて、ドラゴンの姿が露になる。

 さすがは怒り狂ったドラゴンの攻撃だな。

 結構血が出ているじゃないか。


「ざまーみろ…!」


 ぎろりとドラゴンが俺を見る。

 さて、逃げるか。


 ドラゴンの口から吐き出された煙が先程まで俺がいたところへ充満して爆発した。

 それを傍目に俺は駆けた。

 一心不乱に、体が動くままに。

 けれど、ターリャの方向とは別方向へ。


 尻尾が薙ぐが、俺はそれを回避した。

 盾を小型にしたから動きやすい。


 与えられる攻撃をかわしながら、マジックバッグから香油を取り出し、地面へと投げつけた。

 辺りに広がるミントの香り。

 ドラゴンは一瞬怯んだが、すぐさま俺を追い掛けてきた。


 そう簡単に撒けるわけないよな。

 だけど、俺は生き残らないといけない。


 呼吸が苦しい。

 視界が霞む。


 それでも足を叱咤して逃げ回って、遂に撒くのにちょうど良さそうな岩場を発見した。


 気が抜けたのか、体力が尽きたのか。

 足を滑らせた。


 視界が横に回って、体が空中に放り出された。









「あれ…?」


 気が付くと、空を仰いでいた。

 辺りは岩だらけで、薄暗い。


 これはもしかして、地面の裂け目かなにかに落ちたか。


 ズシンズシンとドラゴンが歩き回って俺を探し回る音が、周りの壁に反響している。

 突然落ちたものだから、見失ったようだ。


 グーグーと、不満そうな声を上げたあと、ドラゴンの音が消えた。

 飛び去ったらしい。


「…………助かったか…」


 少なくとも、ドラゴンに喰われずに済んだ。


「……いや、……まだ助かってはないな……」


 ドクドクと温かいものが、胸から太ももにかけて走る熱い箇所から流れ出ている。

 痛みは麻痺して、熱いとしかわからない。

 傷の具合を確かめようとしたけど、腕が動かなかった。


「…ターリャ、無事に街につけると良いんだけど……」


 ルシーがキアハ並みに記憶力の良い馬であることを祈るしかない。


「…………眠くなってきたな……」


 じわじわと強烈な眠気が襲ってきて、俺はその眠気にあがらえずに深い眠りのなかに落ちていった。



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