第10話 急変
「……え?」
夕方。家の中に入って、あたいは驚愕に目を見開いた。
割れた食器。荒れた部屋。飛び散る薬。泥まみれの床。本棚だけは何故か綺麗な変わり果てた居間。そして何より――
お師匠様が、いない。
「お、お師匠様?」
だが、血痕はない。だから、きっとけがはしてないはず……。
違う! そうじゃない! 問題は……。
「……メガルハ、さん?」
心当たりの唯一ある男の顔を思い浮かべる。
ふとメガルハさんが最初に言っていたことを思い出す。
『兵隊どもがどっかいったら出て行く』
つまり、メガルハさんがいないということは、兵隊さん……兵士たちがメガルハさんを連れて行ったということで、じゃあお師匠様が一緒に、魔法使いだと誤解されて連れて行かれたってこと……?
いや、でもお師匠様には魔法がある。それに、お師匠様はとても頭が良い。そんなお師匠様が簡単に捕まることなんて……。
でも、現にお師匠様は家にいなくて、家の中もぐちゃぐちゃで。
じゃあ、お師匠様はどこに? いつ帰ってくる? また会えるの?
……真っ暗な闇の中に突き落とされたような、絶望と言われる何かに包まれた気がした。
ーーどうしよう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
頭の中が埋め尽くされる。もう何を思考しているのかも思っている言葉もよくわからない。どうしよう。あたいは、一人じゃ、なにも。
ふらふらと揺れる体。定まらない視界に合わせて脚はたたらを踏む。そしてついに椅子の脚に躓いてテーブルの上に勢いよく倒れ込んだ。
激しく額をぶつけた痛みに顔をしかめながら頭を持ち上げる。
「わっ?!」
その時、机の表面がわずかに青色に光って、短い文字を浮かび上がらせた。動揺していたあたいは驚いて尻餅をついてしまう。
今度は恐る恐るテーブルの上を覗く。淡い文字は少しの明かりを放って、こう浮かんでいた。
『大丈夫だ。心配するな』
あたいは目をパチパチと瞬かせる。……大丈夫? そっか、お師匠様がそう言うなら、あたいは安心できる。お師匠様は、お師匠様だもん。だから、さっさとこの荒れた部屋を片付けて、綺麗にして、ご飯を作って、元気なお師匠様の帰りを待てば――
「……違うよ」
あたいは、手で青い文字を払う。文字はたき火の煙のように儚くかき消えた。魔力の残滓が塵となって机の上に満天の星空を描き出す。
……心配するな、って。
「そんなの言われたら、あたい、心配になっちゃう……」
物心ついたときからここにいた。
目の前には、いつもかっこいいお師匠様の背中があった。
お料理は下手っぴだけれど、お師匠様はどんなに難しいことでも平気な顔で成し遂げ、あたいにいつも堂々とした態度を見せてくれて、あたいはそれが格好良くて、憧れて。だから、どんなに大変な授業も修行も耐えて。
なのに、今更『心配するな』なんて。
「……探さなきゃ」
あたいは、自分の部屋に走って鞄を手に取る。あたいの部屋はどうしてかまったく荒れていなかった。そして、その中にお金とか薬とか食べ物をありったけに詰め込む。ポケットにはまだ一度も使ったことのない杖を忍び込ませる。
お師匠様を探す。きっと、そんなに遠くじゃない。でも、あたいはあんまり人間のこととか知らないし、どんな集落があるのかも知らない。
だから――
「まずは、ジャンの、おじいちゃんの家に!」
きっと、ルトンさんなら、“良い人間”なら……。
甘い考えかもしれない。門前払いされるかもしれない。だけど、何をしてでも。
お師匠様。あたい、絶対に見つけるよ!
あたいは、紙に『迎えに来てください』と走り書き、星の見えない曇天の夜空の下、家を飛び出した。
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