249話 試練への道のり(1)

  「どうした少年。早くこっちへ来いよ」


  金髪の男は低い声でおれにそう呼びかける。


  「お前は誰だ! ここはどこなんだ? 答えろ!」


  おれは男に問いかける。


  お前はいったい誰なのだと。

  そして、この暗闇に浮かぶ一本道だけの空間は何なのだと。


  すると、男はおれの質問にあっさりと答える。


  「ここは《冥界の悪魔》ハワードが支配している亜空間だ。この先をずっと進んでいけばハワードのもとへ辿たどり着くだろう」


  男は自身の後ろを指差してそう告げる。


  「そこにお前が護りたいと言っている子どもたちがいる。その気持ちが本物だというのならば進むがいい」


  その先に十傑の悪魔の一人、ハワードがいるだと……。

  だが、どうしてこいつはすんなりとそれを教えてくれるんだ。

  あまりにあっさりと答えた男に対し、おれは怪しく思う。


  「お前はおれの邪魔をしないのか……?」


  おれは金髪の男に恐るおそる尋ねてみる。


  明らかにこいつは人間ではない。

  おそらく、こいつもハワードたちと同様に悪魔なのだろう。

  魔力を隠しているため、実力はまったく計れないが雰囲気からして一介の上位悪魔というだけはなさそうだ……。


  「安心しろ。俺の役目はここでお前を殺すことではない。それだけは宣言しておこう」


  こいつの言葉を信用していいのだろうか……?

  この男、実力のわからない上に目的もわからない。

  どこか危険な匂いがする。


  「どうした、進まないのか……?」


  躊躇ためらうおれに男は問いかけてくる。


  おれは黙って状況を分析する。

  特に返事をすることもなく、沈黙による時間だけが過ぎてゆくのであった……。



  そして、そんな沈黙を破るように男は再びおれに問いかけてくるのであった。


  「なぁ、少年。お前は護りたい者のためにどこまで非情になれる?」


  どこかうれいのある悲しげな声に聞こえた。


  「どういう意味だ……?」


  おれは男の曖昧な表現を受けて聞き返す。

  すると、すかさず男は別の表現でおれに投げかける。


  「お前は愛する者のためなら、罪のない人を殺せるのかと聞いている」


  男は真剣な顔つきであった。


  「何をバカなことを言ってるんだ! そんなこと、できるわけがない! いや……許されるはずがない」


  すると、男はおれの答えに満足したような表情を見せる。


  「ふっ……。そうだ、お前は殺さない……。いいや、殺せないんだ」


  「だからお前はマルチェロという上位悪魔にその選択を迫られたとき、姉のために罪のない人間を殺すことができなかった。違うか……?」


  なんだ……こいつ。

  もしかして、レイのことをいっているのか?


  あれは確か1ヶ月近く前のこと。

  サラがカルア王国のダリオスに誘拐されたときの話だ。


  おれはマルチェロという上位悪魔に取引を持ちかけられた。

  思考支配で操られているレイという少年を殺せば、サラを助けてやると。


  だが、おれはレイを殺すことができなかった。

  サラもレイも、二人とも助けたいと思ったからだ。


  この男は、どうしてそのことを知っているんだ……?


  改めておれは男に強い不信感を持ち警戒をする。

  そして、男はおれの反応を愉しむようにしながら言葉を続けるのであった。


  「いいや……。そもそもお前は罪のある人間ですら殺せない。お前とはそういうやつだ」


  「かつて自分の姉をさらい、この世界を牛耳ぎゅうじろうとしていた国王ダリオスですら、お前は殺そうとはせずあくまで無力化しようとしていた」


  こいつ、ダリオスとの戦闘のことまで……。


  「つまり、お前はその人間に罪があろうがなかろうが殺せない。たとえその相手が、自分に殺意を持っていようと、自分の大切な人を奪おうとしていようともだ。違うか……?」


  そうだ……。

  おれはあの時、躊躇ためらったんだ。


  早くダリオスとの戦闘を終わらせなければ、融合シンクロしているハリスさんを救えないとわかっていた。

  それなのに、無意識のうちにおれはダリオスの心臓ではなく、腕を狙って切り落としていた……。


  おれは罪があろうがなかろうが人間を殺したくないんだ。

  そんな心の根底にいる本質をこいつはハッキリと突きつけてくる……。


  「お前、何者なんだ……? どうしてそれを知っている!?」


  おれは狼狽うろたえるように大声で叫ぶ。

  だが、男はおれの質問に今回は答えてくれなかった……。


  「できることなら、目の前で苦しむ人々を助けたい。だが、その過程で人は殺したくない——か……」


  「お前の考えていることは単なる綺麗事だ。子どもが描く幼稚な理想に過ぎない。それでは本当に護るべき者は護れない」


  男は強く断言する。

  おれの考えは理想に過ぎないと…….。

  それでは護るべき者は護れないと……。


  「何を諦め、何を護るのか、誰しも選択を迫られるときがやってくる。だが、お前にはその選択ができないのだ」


  「お前はこの世界における基本原則を未だ理解できていない。だからこそ、自分の手に負えなくなった途端、泣きわめいて他人を頼るしかないのだ」


  「そうしていった結果、お前は巻き込んでいった者たちをやがて死なせることになる……。精霊ティルや精霊ハリスのようにな。お前はいつまでそんなことを続けるつもりなんだ……?」


  男の言葉がおれの胸に突き刺さる。

  悔しいが、何も言い返すことができない。


  男の言っていることは事実に他ならない……。

  現に、おれはそれで大切な人たちを傷つけて、時に失ってきたんだ……。


  「言っておくが、カシアスやアイシスはそういった覚悟をはっきりと持っているぞ。だからこそ、あいつらは精霊ハリスを救うことを諦め、お前を護ることに専念した」


  「自分たちの力量でどこまでの範囲を護れ、どこから護れないかをよくわかっているからだ。そして、彼らはそれを躊躇ちゅうちょなく決断できている」


  男はカシアスとアイシスついて語る。

  彼らはおれと違って覚悟を持っていると……。


  「その点、お前はどうだ? 強欲にも、自分の手で救えない命まで護ろうとして、他人を巻き込み、危険な目に合わせている。いいや、お前のやっていることはそんな甘いものではない……」


  「自分にできることを精一杯やっている上で、他人に助けを求めるのならまだしも、お前というやつは人を殺したくないとわめいて自分の手を決して汚さない」


  「人を殺すのは悪いことだ。話し合えばわかりあえるかもしれない。きっとあれは操られているだけなんだ……」


  「そんな御託ごたくを並べて、肝心なところでお前は仲間たちの足を引っ張る。そして、その愚かな理想と決断によって仲間を死なせるのだ」


  「自分にできることをまっとうすることすらせずに、他力本願で不遇な者たちを救いたいとわめいている」


  「そして、上手くいったときの美しい結果だけを見て、その行為に酔いしれる。それまでの過程で、自分がどれほど惨酷なことをしてきているとも気づかずに……」


  男はこれまでのおれがしてきた行いをことごとく否定していく。

  だが、悔しいことにおれは顔を歪め、拳に力を入れるだけで何も言い返すことができなかった。


  「それに味を占めたお前はカシアスたちの善意を利用して、あれも救いたい、これも救いたい、すべてを護りたいなどとほざいてる。それについて、お前自身は何ひとつ悪びれることなく、偽りの正義を気取っているのだ」


  「醜悪しゅうあくであるのにもほどがある……。観ていて不愉快極まりないぞ、少年……。お前は救いようのない偽善者だ」


  男はそう告げると、おれを軽蔑した瞳で見下ろす。

  その瞳の奥には、失望と非難の感情が露わとなっているのであった……。

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