223話 マルクスとの出会い(2)

  隣国、カルア王国の大臣であるマルクスによって助けられたカイルたち。

  傷ついた彼らを乗せた馬車はローレン領からみて南の方角へあるテスラ領を目指し、ゆっくりと静かに進んでいた。


  カイルは落ち着いた呼吸をして寝息を立てるハンナと娘を眺め、安らかな笑みを浮かべる。

  どうか、こんな平穏な時間がいつまでも続いてくれないかと願いながら……。



  そして、そんな風に二人を見つめていたカイルは彼女たちから視線を外し、隣に座る男へと視線を移す。


  その人物は、カイルが密かに憧れを抱いていた者であり、よく兄貴分であるエトワールからも数多くのエピソードを聞いていた。



  マルクス=ヴェルダン——。



  彼は王国貴族の中でも七英雄テオ=ルードの血が流れている英雄の末裔であり、高い魔法技術を持ちながら、陽気な性格で人に好かれるタイプの人物である。


  公の場では礼節がしっかりとしており、プライベートの場では誰とでも親しく接することができるという評価を学生時代から受けていた。

  そして、その才能を国王陛下に認められ、カルア魔術学校を卒業した後は外交のかなめとして活躍してきたのであった。



  若くして、フォルステリア最大の国家であるカルア王国の大臣として成り上がったマルクス。

  そんな彼が今、カイルの隣に座り馬車の窓から移りゆく景色をジッと眺めている。



  カイルは少し不思議な気分でそんな彼を見つめているのであった。

  どうして、彼は共和国の中でもあんな整備されていない道を進んでいたのか。

  そして、この出会いは偶然なのか、必然なのか……。



  すると、マルクスはカイルが自分に視線を向けていることに気づき、二人は見つめ合う形となる。


  互いのことは噂で知っていても、実際に会うのは今日が初めて。

  二人の間には少しばかり重い空気が流れ、沈黙が続く。


  そして、この空気に耐えられなくなったのか先に沈黙を破ったのはカイルの方だった。



  「それで……私に、何も尋ねないんですか? 護衛もなく、あんなところで妻子を連れていた私に対して……」



  カイルは重い口を開き、ひとつマルクスに尋ねる。


  あのような状況にいた自分たちに対して、何も聞いてこないマルクス。

  カイルが一般人ならばともかく、同盟国の一領土の次期領主候補に対して何も追及してこないことに彼は疑問を覚えていた。


  すると、マルクスはカイルから少し目線を逸らして、ひとことつぶやく。


  「何か、わしに聞いて欲しいことでもあるのかな?」


  マルクスはそう発すると、目の前で安らかに眠るハンナたちに視線を移すのであった。


  「いえ……。決して、そういう意味では……」


  少しずつ声量が小さくなり、最後にはカイルも自身で聞こえないような声で答える。

  そして、視線を逸らしたマルクスに合わせ、カイルもハンナの方をチラリと見つめる。



  そんなカイルの様子を見かねたマルクスは、前を向きながら話を始めた。


  「うむ……。わしも、ローレン領の領主ベイルとその妻ヴァレンシアの噂は聞いていたからな。なんとなくだが、おぬしの境遇と現状について想像がついておる」


  彼はローレン領に関わる噂について聞いており、カイルの行動もなんとくではあるが理解していると話すのであった。


  「わしの友人がエトワール=ベルデンのことを気にかけていてな。それで、彼が今住んでいるというローレン領について調べていたのだよ」


  エトワールについて少し調べていたと話すマルクス。

  視線こそカイルに向けられているわけではないが、マルクスは確かにカイルに向けて話していた。

  そして、カイルはそんなマルクスの静かな語り口調、なぜか深く惹きつけられていた。


  「そのとき、おぬしのことも知った。初めてその境遇を知ったときはとても驚いたのを覚えている。一度は両親に見限られはしたが、それでもたゆまぬ努力して才能を開花させたと……」


  「何がお主をそこまで駆り立てたのか、当時のわしには全くわからなかったが、今日お主と出会ったことでその理由がわかった気がするわい」


  マルクスは優しい瞳で、静かに眠るハンナたちを見つめてそう語る。


  「ほんとうに頑張ったのだな……。心から尊敬する」


  そう話すマルクスは、本心からカイルにそう語っているようであった。

  だからこそ、カイルにはマルクスの言葉が深く心に染みたのであった。


  「ありがとう……ございます」


  カイルの胸の奥底から感情が湧き上がる。

  彼の目の前にいる男は、カイルの半生をしっかりと見つめようとして評価してくれた。


  七英雄の末裔だからとか、恵まれた環境にあるのだから、優れていて当然なのだとは評価せず、彼が歩んできた苦しかった道のりをしっかりと見ようとしてくれた。

  だからこそ、マルクスの言葉はカイルの心に染み渡ったのであった。



  そして、しばらくするとマルクスはハンナたちから視線を移してカイルの方を向き、真剣な顔つきで彼に問いかける。


  「これからもお主は険しい道を歩もうとしているのだろう? 出会ったばかりの男に話す義理はないと思う。だが、よかったら聞かせてくれないか」


  「産まれたばかりの子と、子を産んだばかりの母を連れて旅を続けるのは難しいことだぞ。お主たちはどこか行くあてはあるのかな?」


  マルクスは単純な疑問として問うているのではなく、明らかにカイルたちの身を案じて質問をしている。

  カイルは真剣な彼の表情を見てそう感じたのであった。


  だからこそ、カイルは建前ではなく本音で語ることにした。

  目の前にいる命の恩人を疑うのではなく、信じて弱音を吐くことにしたのであった。


  「いえ……。お恥ずかしいながら、急遽亡命することが決まり、頼れる領主も名家もなく困っているのです……」


  カイルがローレン領から逃げようと決めたのは医師のルークがカイルの母であるヴァレンシアの企む悪事を密告したからだ。

  だからこそ、その密告から数日間しか亡命の計画を立てることしかできなかったのだった。


  「一応、ローレン領に隣接するガイウス領を目指し、そこで妻と娘だけでも宿を借りて隠れようとしていたのです。金銭を持ち出すことはできましたし、妻は平民出身でガイウス領では顔が割れていませんからね」


  カイルの名前は既にローレン領だけではなく、エウレス共和国全土へと知れ渡ってしまっている。

  特に、ローレン領周辺では素顔まで知られている。


  だからこそ、他の領地に亡命するとしても、馬車で数日移動するくらいでたどり着けるところではカイルの存在がバレてしまう。

  彼がローレン領から亡命したと噂が広まればなおさらそれがバレるのは早くなるだろう。


  だが、平民出身であるハンナたちは別だ。

  ハンナが赤児を連れて、周辺の領地で宿を取る分には問題は起きないはずだ。

  彼女との結婚は急遽決まったことだし、領土をあげての挙式も行なっていない。

  偽名さえ使えばローレン領のヴァレンシアたちに居場所を特定されることはないはずだ。


  幸いにも亡命まで数日間の猶予はあったということで、しばらく生活できるだけの金銭を持ち出すことには成功している。

  あとは謎の母子が宿屋に住み着いているという変な噂が立つ前に再び旅立てばいいだけだ。


  要は出産を終えたばかりのハンナの身体と、産まれたばかりの娘の体調を整えるのが目的だ。

  その間、カイルは存在がバレないように森林で野宿していればいい。



  これが準備などがしっかりとできない中でカイルたちが立てた最善の亡命計画だった。

  だが、これを聞いていたマルクスはカイルに疑問を投げかける。


  「それで、本当に大丈夫なのか……?」



  「そっ、それは……」


  カイルはマルクスの質問に言葉が詰まる。

  それは実際、カイルもこれが完璧な計画ではないということがわかっていたからだ。


  「ローレン領に隣接するガイウス領に行くつもりと言うが、その距離なら追手が来るのも早いぞ」


  「特に見知らぬ女、子どもについての取り調べを行うようにという勅令が出されるかもしれん。ガイウス領はローレン領と繋がりはあるからな」


  マルクスはカイルたちの身を案じて心配の声をかける。

 

  「それに、肝心の二人が体調を崩したらどうするのだ? お主は二人の側にいてやることはできないのだろう……」


  「金があるからといって、身元がわからない母子を何の疑いもなく診察してくれる医師がこれから向かうところには絶対いるのか? そこが一番の問題点だとわしは思うぞ」


  マルクスの言葉は何ひとつ間違っていない。

  カイル自身もそのことを一番危惧していた。

  だからこそ、彼の言葉に対して何も言うことができなかったのだった。



  そんなカイルを見たマルクスは、再び彼から視線を逸らし、ひとりごとのようにどこか遠くを見て語り出すのであった。


  「これから話すことはひとりごとに近い。だから、何も異論がなければ静かに聞いてほしい」


  静かに語り出したマルクス。

  突然のことにカイルは驚きはしたが、彼の言葉通りとりあえず黙って聞くことにした。


  「この馬車はエウレス共和国のテスラ領に向かっている。そういえば、あそこはローレン領とは縁がほとんどないところだったな」


  「それに、あそこの領主の息子であるルクスというのはお主と年齢や境遇も近く話が合うかもしれん。きっと、お主のよき理解者になってくれるだろうな……」


  「テスラ領でのわしの滞在時間は1週間ほどを予定していたが、さきほど謎の魔力の存在を感知したからな。調査のために滞在期間はもう少し伸びるかもしれん」


  「その間、悪いがお主たちにはわしの連れということで、テスラ領の領主たちのところでくつろいでいてもらおうかな。もちろん、あそこなら医療サポートも万全じゃろうな」


  マルクスはそう語ると、再びカイルの方に顔を向けた。


  「さて、どうじゃ? お主には二つの選択肢がある。わしの連れとして旅をするか、しないかだ」


  カイルはこの意味を理解すると、自然と涙が溢れてきた。

  そして、もちろんカイルの答えは決まりきってきた。

  全てはハンナたちを守るため、それがカイルの生きる全てだった。


  「ありがとう……ございます。ほんとうに、マルクス様にはお返し仕切れぬほどの御恩が……」


  カイルは溢れ出る涙を拭いながらマルクスに感謝の言葉を伝える。


  「気にするでない。なぜかわからぬが、こうするのが正しい気がしたのだ。思えば、あの森林でお主たちを見つけたのも偶然のことだ」


  「じゃが、今でも覚えているがあれはまるで何かに吸い寄せられたような……。まぁ、過ぎたことはよいか!」

 

  「それに今後のこともわしに任せておけ! ローレン領と繋がりのないテスラ領でそのまま暮らしてもよいし、何ならわしに付いてきて王国に来てもよいぞ! どちらにせよ、お主たちの安全は保証しよう」


  マルクスは笑顔でそう語る。

  このとき、カイルは家族を守ること以外に、もう一つだけ心に誓うことにした。


  それは、生涯かけてマルクスに恩返しをすること。

  彼に付いて行き、彼の携わって生きていくということだった。




  それからも馬車ではカイルとマルクスの何気ない会話が続いた。

  そこで、マルクスは気になっていた質問を投げかける。


  「そういえば、この子の名前は何というのだ?」


 可愛らしく眠る赤児をみてマルクスはカイルに尋ねる。


  「それが、まだ名前が決めていないのです。無事に、全てが終わったらハンナと二人で名前を考えようとしているのですが……」



  「そうなのか……。それでは、この子のためにも無事に全てを終わらせないとじゃな」


  マルクスはそう笑うと、二人を乗せた馬車はテスラ領を目指してさらに進んでいくのであった。




  ◇◇◇



 

  ——メルドラコス英雄伝——




  かつて、七英雄が活躍した時代に生きたとされる物書き、メルドラコス。

  彼が遺した七英雄に関する伝説は今でも人間界で語り継がれており、何度も何度も再版され、800年近くも読み継がれてきた。



  カイルとハンナの間に生まれた娘は、その『メルドラコス英雄伝』に記されている一人の女性の名から付けられることとなる。



  少女に与えられたのは『セアラ』という名前。

  それはかつて、七英雄として人間界を救った偉大なる賢者の一人、ララ=エリソンの血縁者の名だ。



  やがて彼女はマルクスの息子として生まれてくるアベルとともに、この人間界に巣喰らう巨悪と闘う運命を背負うこととなる。



  そして、選ばれし存在……。

  運命に定められた存在である《ハーフピース》たちの物語はこれからも続いていくのであった。

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