191話 風雷の悪魔エストローデ

  おれは目の前で起きていることが理解できない。



  転移魔法でメルを連れて、サラたちの待つ応接間まで戻ってきたおれ。

  そんなおれの目に映っていたのはサラと対立する禍々しい剣を持つ男だった。



  嘘だ……。



  この人がここにいるなんてありえない。

  きっと、何かの間違えだ。


  それに、あの手に持つ剣は人間界にあるような普通の剣じゃない。

  間違いなく魔界で作られた魔剣だ。


  だけど、おれはその人が偽者にも幻覚にも見えない。

  そこでおれは思わず尋ねずにはいられなかったのだ。


  「どうして……。どうして、エトワールさんがここにいるんですか」


  口の中がかわき、かすれた声が部屋に響く。


  その男はおれを見つめると何気ない顔で答える。


  「どうして私がここにいるのかだって? そんなの、決まってるじゃないか……」


  今朝まで会っていた彼と同じ顔つきに優しい声。

  しかし、その瞳の奥に見え隠れする深い闇はおれたちのことなどまるで気にしておらず、これから起こる災厄を予感させるものだった。


  「終わらせに来たんだ。16年前に起きた悲劇の復讐を……。そこにいるヴァレンシアとセアラに対してのね!!」


  はっきりとおれたちに敵意を剥き出しにするエトワールさん。


  そこにはおれたちの知る慈悲深き孤児院の院長としての姿はなかった。


  復讐の憎悪に身を委ねた狂人。

  まるで、そんな言葉が似合うような姿を彼はしていた。


  16年前の悲劇?

  ヴァレンシアとサラへの復讐?


  いったい、何のことなんだ……。


  おれはエトワールさんの言葉の意味を分からずに、ただ立ちすくむことしかできなかった。


  すると、エトワールさんの言葉を聞いたヴァレンシアが顔を真っ青にしながら地に頭をつけて土下座をする。


  「エトワール、悪かった! あの時の私はどうかしてたんだ。都合が良すぎるということはわかってる。しかし、許してくれないか!」


  ヴァレンシアは領主としてのプライドが高い人物だ。

  そんな彼女が一人の領民であるエトワールさんに土下座をして許しを乞う。


  おそらく、今の彼女の周りには護衛が一人もおらず、エトワールさんの持つ魔剣とその雰囲気に恐怖したのだろう。

  彼女はそのプライドを簡単に捨て去った。



  しかし、ヴァレンシアが謝罪しているということは、やはり二人の間に何かがあったということなのだろうか?

  だとしたら、サラは全く関係ない気もするんだけどな……。


  すると、エトワールさんはサラと対峙するのをやめ、土下座するヴァレンシアのもとへとゆっくり向かう。


  「すまなかった! 私が全部悪かったんだ……」


  エトワールさんが一歩一歩近く間も、彼女は絶えず謝り続けた。

  その姿はまるで、皮肉にも領主に命乞いをする領民のようだった。


  そして、エトワールさんはヴァレンシアの目の前にたどり着くとひと言だけ告げる。


  「おい、顔をあげろ……」


  感情のこもっていないその声におれは恐怖を感じた。

  この人は本当におれたちが知るエトワールさんなのかと……。


  そして、エトワールさんに言われたようにヴァレンシアが顔をあげ、彼を見つめる。


  ヴァレンシアの顔には絶望に染まってはいたが、それでも少しばかりの希望が見え隠れしていた。


  わずかに頬を緩ませながら、彼女はエトワールさんに尋ねた。


  「許して……くれるのか?」


  顔をあげろと言われ、彼女はエトワールさんに許してもらえると思ったらしい。

  その言葉を発する彼女の顔からは反省の色が全く見られなかった。


  そんな彼女を見て、エトワールさんは動いた。


  エトワールさんの持つ魔剣がヴァレンシアの胸に突き刺さる。


  「えっ……」


  何が起きたのか彼女にはわからなかったようだ。


  それもそのはずだ。

  おれにだってエトワールさんがいつヴァレンシアを刺したのか全く見えなかった。


  刺された彼女自身、許されたと思っていたみたいだし、何が起きているのか全く理解できていないだろう。



  「ギャァァァァア!!!!」



  ヴァレンシアの悲鳴が辺りに響き渡る。


  魔剣に突き刺されたその傷口からは、魔力が体内へと流れ込んでおり、純粋に突き刺された痛みと魔力による痛みが合わさっているのだろう。


  とてもじゃないが、ご老体の彼女に耐えられるとは思えない。


  エトワールさんはヴァレンシアを突き刺した魔剣をそのまま上に持ち上げ、彼女は宙に浮いた形で魔剣に貫かれている状態になる。


  「ぐわぁぁ……」


  まるで地獄から這い上がってきたかのようなバケモノのようなうめき声。

  ヴァレンシアの顔が歪み、本当に苦しそうに声を上げる。


  おれは流石にやり過ぎだと思い、さっきから動こうとしている。

  しかし、まるで何かに止められているかのように身体が動かない……。


  おそらく、サラも同じ状況なのだろう。

  さっきから暴走するエトワールを見つめたまま動かないでいる。

  いったい、何が起きているんだ!?


  そして、そんな彼女にエトワールさんは声をかける。


  「お前はバカなのか……?」


  冷酷なその瞳で魔剣に貫かれたヴァレンシアを見上げて尋ねるエトワールさん。


  そして、彼の怒りの感情は爆発する。


  「お前のせいでおれはすべてを失ったんだぞ!! その意味を、しっかりとわかった上で言ってんのか!!」


  エトワールさんの声に力が入る。


  ヴァレンシアを深く憎む様子がおれたちにも伝わってくる。


  「この16年、お前は一度でもおれに謝りに来たのか……? 自身の行いを悔いて謝ろうと思ったことはあったのか……?」


  「おれはお前を絶対に許さない! 楽になれると思うなよ……。死ぬよりつらい苦しみを与え続けてやるからな」


  エトワールさんはそう告げると、魔剣を振り払ってヴァレンシアを放り投げる。


  魔剣に貫かれていた彼女はそのひと振りで身体を投げ出され、壁に打ち付けられて床に倒れ込む。


  そして、彼女が倒れ込む床にはじわじわと血溜まりが広がっていった。


  「スーッ……。ハァー……。グァ……」


  ヴァレンシアの苦しそうな吐息が聞こえてくる。


  ヴァレンシアは普通の人間だ。

  魔剣であんな事をさせて生きていられるはずがない。


  きっと、エトワールさんが魔法か何かをかけたのだろう。

  ヴァレンシアは死にたくとも死ねずに、苦しみながら息をしていた。


  エトワールさんはヴァレンシアを投げ捨てた後、おれとサラをじっくりと見る。

  まるで、次はおれたちのどちらを痛ぶってやろうかと悩んでいるように……。


  そして、彼はおれの方に向かって声をかけた。


  「エストローデ、やれ! そっちはお前の獲物だろ」


  「セアラこっちはおれがやる!」


  おれは状況が理解できない。

  しかし、エトワールさんの言葉を合図にしたかのように、急に身体が動くようになった。


  すると、ポンッとおれの肩が叩かれる。


  いったい何だ!?


  おれは肩を叩いた人物を見る。

  そこにはおれと同じくらいの背丈の子どもがいた。


  身長は160センチ前後、青髪が似合う爽やかそうな少年。

  しかし、そいつは人間ではなく背中に翼が生えていた。


  「エトワールの復讐も半分終わったからな。もう動いていいぞ」


  おれは得体の知れない存在に恐怖し、背中にゾワっとしたものが走り抜ける。


  おれの肩を叩いたそいつは、その見た目には似合わない大人びた話し方でおれにそう告げる。


  この雰囲気、それに背中に翼って……こいつ悪魔か!?

  まさか、こいつがおれやサラの動きを止めていたというのか……?


  ——というより、こいつはいつからここにいたんだ?

  こいつの気配におれは全く気づかなかったぞ……。


  ヤバい……危険な予感しかしない。

  おれは現在、両手でメルを抱えている状態。


  とてもじゃないが、こいつと戦えるような状況ではない。



  「誰だよ……お前」



  おれは危機迫る中、目の前のこいつにそう尋ねることしかできなかった。


  本来ならば、メルだけでも安全な場所に転移させなければならない。

  しかし、おれはパニック状態になっており、そんなことに頭が回っていなかった。


  すると、こいつは丁寧にもおれの疑問に答え、自分のことを語ってくれた。



  「おれか……? おれの名はエストローデ」



  「ユリウス様に仕える十傑の一人。《風雷の悪魔》エストローデだ」



  目の前に現れた十傑を名乗る悪魔エストローデ。


  今のおれにはアイシスもカシアスも付いていない。

  そんな中で、十傑の悪魔を相手にメルを守り切れるのか……?



  「よろしくな、アベル」



  目の前の悪魔エストローデがおれの名前を呼ぶ。



  エトワールさんの裏切り、十傑の悪魔登場。

  絶望するしかないこの状況で、これからおれたちの戦いがはじまろうとしていた。

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