3.「開③」
「――だっりー! 体育マジだるかった! この炎天下にマラソンとか、うちの高校のカリキュラム、バグっててるだろ!」
学校の廊下。更衣室での着替えが終わった俺たちが向かう先は教室。およそ疲れているようには見えない陽介が、舌をベロリと垂らしながら辟易をところかまわずぶちまけていた。
「……とかいいながら、ブッチギリで一位だったじゃねぇか。お前、運動できるんだな」
「体力だけはあるんだよ! サッカーとか野球とかは苦手! 走るだけなら負けねー!」
言いながら、ニカッと白い歯を見せた陽介が、大袈裟なガッツポーズを披露して――
「……って、アレ? うちの教室、やけに人集まってない?」
隣を歩く友人はコロコロとよく表情を変える。ポカンと口を開け放っている陽介の視線の先――、釣られて俺も眼を向けると、確かにガヤガヤと人だかりができてた。
「……なんか他クラスの連中も集まってるなー、なになに? ケンカ?」
隣を歩く友人はコロコロと本当によく表情を変える。ニヤッと口角を釣り上げたかと思うと、陽介は俺を置いて足早に教室に向かってしまった。
……とはいえ、俺も向かう先は一緒なワケで――
――はっ……?
ひとだかりの元凶……、2-Aの黒板に書かれた無機質なテキスト。
短い文章を読み終えた俺は、
およそ一発で、その内容を理解することなんてできなくて――
※※※
二年A組に集う
これから、あなた達には命がけの鬼ごっこに参加してもらいます。
ルールは簡単。
一、鬼になった人は、今日から一週間似内に他の色眼族の両眼をすべて潰してください。
失敗した場合、一週間後に鬼の両眼が潰されます。
二、クラスに潜む色眼族は全部で五人です。鬼は一人、それ以外の人間チームは四人。
三、一週間、誰か一人でも逃げ続けることができたら人間チームの勝利、
人間チームのすべての両眼が潰されたら、鬼の勝利となります。
四、人間チ―ムの誰かが鬼の両眼を潰しても、人間チームの勝利となります。
以上。
※※※
――ナニコレ、なんかのイタズラ?
――『色眼族』って何? ……コレ書いた奴、オカルト漫画の読みすぎなんじゃない?
――眼を潰すとか……、悪趣味~、こういうことする奴がヘンな事件起こすんだよな~。
ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――
喧騒が、右耳に入っては、左耳から抜けていく。
俺は今、自分がどんなマヌケ面を晒しているのかわからない。
――今朝の記憶が、眼前の光景とリンクした。
『あなたは、人間です』
――なんだよ、コレ――
心の中で、ポツンと漏らす。
……『色眼族』を知ってる奴が、この学校に居るってコトか?
ハッとなった俺はポケットからスマホを取り出し、ミラーモードにして自分の顔を確認した。
――ボサボサの髪、ちょっとだけコケた頬骨、綺麗でも、とりわけ汚くもない薄黒い肌……、
そして、真っ黒な瞳。
やる気のない男子高校生のツラと対面しながら、俺は一人、そっと胸を撫で下ろす。
でも、ドクドクと波打つ心臓の音は止められそうになくて――
「――ハギ! どうせお前だろ! こういう陰気なイタズラ思いつくの!」
聴き覚えのあるバカみたいな大声に、俺の肩がビクッと震えた。
「……ぼ、ぼぼ、僕じゃ……、ないッ!」
バカみたいな大声が遅れてもう一つ――、ガタッと椅子が倒れる音が聞こえて、フッと後ろに目を向けると、自席から立ち上がったハギが挙動不審に顔を動かしていた。
「……ホントか? キョドりまくってるじゃねぇか! どうせ俺らにいつもいじめられてるから、そのハライセとかだろ!」
例の男、茶髪で細身のソイツが性懲りもなくハギに近づいた。
「……ってかお前、前髪長すぎてキメーんだよ。俺、顔見たらウソついてるかどうかわかる特殊能力持ってるから、そのツラ、見せてみろよ」
茶髪の男が相変わらずニヤニヤ笑いながら、ハギの顔に向かって手を伸ばした。
刹那――
「――ヤメロッ!」
裏返りまくった金切り声が、教室中に響く。
……言うまでもないだろう。発生源はハギ。
空間が静寂に包まれ、ハギのあまりの剣幕に茶髪の男も思わず手を止めていた。
沈黙に遅れて気づいたのか、ハギって奴がハッとなったようにキョロキョロと周囲を見回して、ブルブルと、その身を震わせ始めて――
「……な、なんだよ、ハギの癖に急にでかい声出すんじゃねーよ。顔見られるくらいで、なんでそんなに――、って、オイッ!」
茶髪の男の声が虚空を切って――、ハギは、全速力で教室を飛び出していった。
残された茶髪の男が罰の悪そうにポリポリと頭を掻いて、チっと舌打ちを鳴らして――
それが合図とばかりに、教室が再び喧騒に包まれ始める。
ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――
グルグルと、俺の頭の中で疑念が巡る。
――クラスに潜む色眼族は全部で五人です――
……ハギってやつ……、アイツ、もしかして――
とある、『仮説』。
――もし、それが当たっているのなら、確かにあのタイミングでハギって奴が顔を見られるのは死ぬほどマズイだろう。ハギは俺と同じく『ぼっち組』の一人。茶髪の男にイジられる以外は殆ど誰とも交流を持っていない。……その『立ち位置』も、俺の仮説を裏付ける要因の一つになり得る。
ハギが俺と『同じ』だとしたら、積極的に他人と交流を持とうとしないのは必然だ。
――そして、もし本当に、このクラスに『色眼族』が五人もいるとしたら、
……もう一人の『ぼっち組』……、『あの女』も、もしかしたら――
「一条さん」
機械みたいに、無機質で。氷みたいに、冷たい声。
耳の裏側をそっと撫でられたような。
妙なキモチワルサを覚えた俺は、思わずバッと後ろを振り向いて。
「あなた、『色眼族』ですよね?」
――ギリギリ、俺の耳に届くか届かないかくらいの、か細い声。
周りの連中は、俺たちのやり取りに気づいていないみたいだ。
高さは俺の胸元くらい、距離にして約三十センチメートル先。
少し紫がかったショートヘアが遠慮がちに揺れて、
何を考えているのかまるでわからない、能面のような無表情の『彼女』が、
無色透明な黒い瞳で、俺の顔を見上げている。
ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――
喧騒が、右耳に入っては、左耳から抜けていく。
俺は今、自分がどんなマヌケ面を晒しているのかわからない。
まるで、俺たち二人を囲う半径一メートルの空間だけが切り取られてしまったみたいに。
刻が、止まったような気がして――
「昼休み、屋上に来てください。話したいコトがあります」
その言葉を皮切りに、世界に時間が返還される。彼女はくるりと背を向けて、スタスタと、アンドロイドロボットのような足取りで自席に戻っていった。
ドッと――、俺の全身から汗が噴き出る。
気づかない内に、呼吸の仕方を忘れてしまっていたらしい。短く息を整えながら、額に浮かんだ脂汗をぬぐいながら、俺の頭上を巡るは、幾多の疑問符。
筆頭となり得たのは、圧倒的な一つの『問い』で――
……あの女、何者だ?
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