2.「開②」


 ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――


 ……騒がしくなってきたな。そろそろホームルームが始まる時間だ。遅刻寸前の連中が慌ただしく教室の中へと駆けこんできた。


 一週間も経てば、ぼっちの俺でもコミュニティの内部事情はある程度わかってくる。うちのクラスは男子も女子も、おおまかに三つのグループから構成されているようだった。

 イケイケグループ、イケてないグループ、そのどちらでもない中間グループ――


 ……まぁ、学内ヒエラルキーの構成なんざどこの高校でも似たようなものだろう。雪村も陽介もおそらく『中間グループ』に属しており、クラス内の誰とでもそれなりに交流を持っているらしい。雪村は男女問わず誰にでも屈託なく話しかけ、陽介に至ってはイケてないグループと昨日観たアニメの話で盛り上がり、イケてるグループとファッションブランドの話で盛り上がり――、ただのバカに見えるが、そのアンテナの広さには素直に舌を巻く。


 ――で、どのグループにも属していない『ぼっち組』の一人が俺ってワケ。

 ……ちなみに、『ぼっち組』の住人は俺以外にも男女それぞれ一人ずつ、『計二名』存在していた。……どこの世界にもいるわな、望んでか望まないでか、教室の中で自分の席から全く立とうとしない奴。自分からは絶対に他人に話しかけようとしない奴――


「……よぉ~、ハギちゃん! 朝っぱらから本なんか読んでんじゃねーよ!」


 誰の耳で聞いても、およそ不愉快な大声。

 チラッ――、と眼を向けると、茶髪で細身の男が『とある生徒』の眼の前でニヤニヤと薄気味悪い笑顔を浮かべている。……ええと、『コイツ』の名前は覚えていない。


 とある生徒――、異様に長い前髪で一切の表情が見えない大男が、その身を最大限に縮こませてカバーのかかった文庫本を両手でつまんでいる。茶髪の大声によってクラス中の視線が一斉に集まったせいか、『ハギ』と呼ばれた大男は蛇に睨まれた蛙のように委縮していた。


「俺も最近、読書ハマッてんだよね~! どれどれ、ナニ読んでるのか見せてくれよ!」

「あっ……」


 茶髪の男が、ハギの手から小さな文庫本を強引に奪い取る。

 カバーを乱暴に引きはがし、教室中にお披露目されたのはいわゆる『萌え全開』の美少女イラストだったワケで――


「……ナニコレ――、『異世界転生したら幼馴染がケモナーでアホ毛なボインがツンデレ上等』……? いやいや、言ってる意味わかんねーよ! タイトル長くすればいいってもんじゃねーだろ! こんなもん朝っぱらから読んでる奴、人生終わってるダロ!」


 ――ギャハハハハハ……


 誰の耳で聞いても、不愉快な笑い声。

 ……いや、タイトルが意味不明なのは俺も同意見だけど――


 羞恥。憤怒。焦燥。困惑。

 複雑に絡まり合ったマイナスの思考が湧き出るように、

 ハギと呼ばれた大男の身体がプルプル震えている。


 今にも爆発しそうなその巨体が――、しかしはじけ飛ぶことは決してなかった。

 ハギは動かない。――いや、正確に言うと、『動けない』んだろうな。

 打ち震えるほどの『怒り』でも、予測不能の『恐怖』には敵わない。

 まるで、透明な手が何本も彼の背後から生えていて、その全身を絡め取るように――


「――いい加減にしなさいよッ!」


 正義の光が一筋。閃光のように駆け抜けたその声が、

 地鳴りのような嘲笑をピタリと中断させた。


 ジッ――、とクラス中の視線が『一人の少女』に集まる。

 見知った顔……、さきほど俺に話しかけてきた一人のクラスメート。

 雪村吹季が、茶髪の男に向かってギロリと野犬のような眼を向けていて――


「誰が何を読んでいても人の勝手でしょ! 高校生にもなってこんなイジメみたいな真似……、恥ずかしくて見てらんないわよ!」


 ……同意。俺もイタくて見てらんない。茶髪の男も、ハギとかいう大男も――

 ――ズカズカズカズカ……

 無遠慮に茶髪の男に近づいた雪村が、頭一つ分低い位置からその顔を再度睨みつける。――而して、茶髪の男とはいうと一切怯む様子を見せず――


「あっれー! ……雪村、もしかしてハギみたいなヤツがタイプなの? 私のダーリンをいじめないでー! 的な?」

「……はぁっ?」


 雪村の眉が露骨なほどに八の字に曲がり始め――

 ……いや、こんなバカがこの世に存在するとは。


「……なんでアンタはそういう幼稚な発想しかできないワケ? ……いいから、その本をハギ君に返しない! 本のカバーも!」


 一瞬だけ萎れかけた正義の炎。慌ててガソリンを注ぎ込んだ雪村が再び怒声を茶髪の男に浴びせ、ビシッと突き出した右手人差し指が水平に伸びる。


「……へいへーい、末永くお幸せに~」


 茶髪の男の顔面には反省の『ハ』の字も書かれておらず、でも流石にこれ以上場をこじらせる程のバカではなかったらしく――、手に持っていた文庫本をハギの机にポイッと投げ捨て、自身はヒョロヒョロとやる気のない足取りで自席に戻っていった。

 ハァッ――、と露骨に呆れたタメ息を吐いたのは雪村で……、彼女はすぐにハッとしたような様子でハギへと眼を向け、彼に向かって女神のような微笑を注いだ。


「ハギくん……、大丈夫? あんな奴の言うコト聞かなくていいからね?」


 一切が枯渇した大地に、一滴の雫がこぼれて。


「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ……、あ、あ、あ、あり――」


 未だに身体を打ち震わせているハギが、パクパクと口を開閉させていた。


 ――終焉。

 気づけば教室内にはガヤガヤと喧騒が舞い戻っており、皆が皆それぞれの世界へと還っていく。


 ……雪村吹季。

 勇猛果敢な正義の少女の名前を、心の中でつぶやいてみた。


 ……どんな人生を送ってきたら、あんな性格になるんだろうな――

 少なくとも『俺』には、皆目見当がつかないワケで。



 ――ガラガラガラッ。


「――おーっす……、お前ら―、朝のホームルーム始めるぞー」


 程よく間延びした声が教室内に響き、有象無象のクラスメートたちがガタガタと自席に戻り始める。ヨレヨレのワイシャツを纏った中年の担任教師が教卓に両手をのせると、野太い声が四角形の空間に再びこだました。


「……えーっと、今日の日直誰だっけ……、あ、月影か。じゃあ月影、頼む」

「――起立」


 無機質で、淡々とした、機械音声みたいな音が耳に流れて。



 月影と呼ばれた『その女』の声を聴いたのは、

 そういえば転校してから初めてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る