大原則也


 帰宅して郵便ポストの中をあらためると、一通の、洒落た装飾の施された封書が届いていた。差出人は、隣の市に住む「大原則也」という人物である。

 オオハラ・ノリヤ?

 聞き覚えがあった。

 この大原則也なる人物は、昔、ぼくが中学校(母校)で教育実習を行ったときの教え子なのだ。教え子というか、ぼくの受け持ちが二年二組だったのだが、その二年二組の生徒だったのである。

 オオハラ・ノリヤに、特別な印象は何一つ残っていない。顔も忘れた。眼鏡を掛けていたか、掛けていなかったかもわからない。部活は文化系か体育会系か。わからない。勉強はできたかできないか。わからない。

 そんなオオハラ・ノリヤの名前を覚えていたのは、当時、ぼくはこの大原則也を「大原則なり」と心の中で呼んでいたからだ。

 大原則なり。

 大原則なり。

 大原則なりィ!

 ちょっと面白い名前だったから、記憶に残っていたのだ。たぶん、小説とか、大学の友人とのバカ話のネタになるとでも思ったんだろう。といって、教育実習を終えてのち、大原則也を思いだすことはなかった。かれこれ一〇年近く、すっかり存在ごと忘れていたわけである。

 封を開けてみると、結婚式の招待状だった。

 そこには、プリント文字で、こう書いてあった。



丸子 修 様


 謹啓 丸子様におかれましては益々ご清祥のことと心よりお慶び申し上げます 

 さて 私 大原則也と内藤昌子とはこの度入籍いたしました そこで ささやかながら式披露宴を開催させていただくことになりました

 つきましては 恩師である丸子様にもご出席賜りたく 大変ご多忙の中とは拝察いたしますが 万障お繰り合わせの上 是非ともお越しいただきたく存じます 謹白

 日時 令和四年〇月〇日午後一時より

 会場 軽井沢グランドホテル塩壺

 なお JR中軽井沢駅からタクシーをお使いいただけます その際のご請求を軽井沢グランドホテル塩壺の挙式部にお申し付けください



 といった文面である。

 まず、ぼくのことを「恩師」などと呼ばわることにびっくりしてしまった。

 たかだか三週間ばかり教育実習に行っただけで、恩師も何もない。実習に行ってそれっきり、教師になったことなんか一度もなく、いまは製氷会社の営業マンをやっている。

 それに、繰り返すが、この大原則也とは特筆すべき関係性は一切なかった。

 かろうじて「大原則なり」の語呂合わせで記憶にとどまっていただけなのだ。

 それを恩師だから結婚式に来いとは、一体どういうわけなのだ?

 ――それに。

 じつは、ぼくも軽井沢で式を挙げたから、あの辺の式場には少し詳しいつもりだが、グランドホテル塩壺なんて式場は聞いたことがない。

 塩壺というからには、星野からさらに東へ行った塩壺温泉の周りにあるホテルなのだろう。だからタクシーを中軽井沢駅から使えという理屈はわかるものの、中軽の駅なんか軽井沢駅から目と鼻の先なのに、わざわざ新幹線の停車駅から乗り換えをさせるあたりも気になった。

 日時については、まだ半年も先だから、これは問題ないと思う。それから、ぼくの住所は田舎の電話帳を見ればすぐにわかるから、これも不思議はない(たぶん大原則也はこの地域にまだ住んでいるのだろう)。

 とにかく。

 こんな招待状を寄こしてきた意図がまったくわかりかねる。

 ぼくは、早速、宮野亜矢子にライン電話をかけた。

 宮野亜矢子は、ぼくといっしょに教育実習を行った人である。この他に、八ッ橋政則、細川まりあの計四名が実習生だったが、後段の二名の連絡先はわからないから、宮野亜矢子に訊いてみようと思ったのだ。

「もしもおし」

 おりしもスマートフォンを眺めていたのか、すぐに亜矢子が電話に出た。

「ああ、亜矢子、いま大丈夫?」

「いいよ。どうしたの、修」

「一〇年くらい前に、おれたち教育実習に行ったじゃない」

「うん」

「そのときの教え子から、きょう、結婚式の招待状が届いたんだ」

「は?」

「そっちには届いてないか?」

「届いてない届いてない。だって実習以来、誰とも、なんの関係もないもん。え、誰から招待状来たの? その後、修と何か付き合いあったの?」

「全くないよ。大原則也っていう生徒なんだけど。大原則也」

「オオハラ・ノリヤ? 誰それ。知らない」

「いたんだよ、おれの受け持った二年二組に。たまたま名前だけ覚えてたんだけど、招待状が届くいわれなんか全くないからさ」

「それで何、出席か欠席か丸つけて葉書出せって?」

「そう」

「出んの?」

「まさか。というか、出ちゃ悪いだろ。だってほとんど他人だぜ」

「そうだよね。何だろ、この人の親あたりが昔風の考えで、とにかく呼べるだけ呼ぼうって考えなのかな。ほら、よくいるじゃん。自分のときは結婚式に一五〇人も来たとか、年いっても自慢してくる人」 

 だが、それにしたって、ぼくレベルを招いたりなんかしたら一五〇人じゃ利かないはずである。

「会場どこなの」

「軽井沢」

「軽井沢? あたしも軽井沢だったよ」

「え? おれも軽井沢だった」

「まじ? 修はどこなの」

「有明ハウス」

「まじ? あたしたち音符の森だったんだけど。めっちゃ近くじゃん。有明ハウスも迷ったんだよなあ。ねえねえ、意志の教会は下見した? 意志の教会」

「したよ」

「あそこ、なんか微妙じゃない? 急かされるんさ、次のカップルたちに」

 いまは飯山市民でも、くだけてくるとお国言葉が出る。

「一日に何十組も式挙げるから、めっちゃ巻いてやるんさ。ライスシャワーしてると、次の組が待ってるの普通に視界に入るらしいんさ」

「え、そうなの、意志の教会?」

「そうそうそ。ブーケトスしたら、次のグループの人が取っちゃったとか」

「本当に?」

「うそ」

 大原則也の話題から逸れはじめたので軌道修正し、

「それでね、その大原則也たちは」

「オオハラ? ああ、いまの子ね」

「うん。彼らは、軽井沢グランドホテル塩壺ってとこで挙げるそうだ」

「塩壺?」

「塩壺」

「塩壺って、進行方向、左行くとあるとこ?」

 国道一八号を東に向かっていると理解し、

「そう。あそこから結構入っていくとある」

「星野の先だよね」

「そう、ちょっと先」

「ふうん。あたし、いつも小諸インターで降りてサンラインから軽井沢行くんさ。修は? 小諸? 碓氷?」

「おれは坂城町から行く」

「はあ? 坂城町? 軽井沢関係ないじゃん」

「ちげえんさ。下塩尻に、ばかいい喫茶店あるんさ」

「え、どこ?」

「風穴からちょっと行った、バラックの群がったあたり」

「え、あそこ? ばかきっちゃなじゃん」

「それが意外にきっちゃなじゃねえんさ。そこがまた腹立つんさ」

 などとひとしきり無駄話をしたあと、

「ちょっと待って。その大原って子の式場、軽井沢、なんて言ったっけ」

「軽井沢グランドホテル塩壺」

「ちょっと待って、軽井沢グランドホテル、えっと、塩壺?」

「塩壺」

 カタカタ音がしているのは、パソコンのキーを叩いて検索をかけているのだろう。

「塩、壺と」

 パチン、とエンターキーを叩く音がした。

「あったあった」

 亜矢子は言った。

 しかし、すぐに、

「あれえ」

 と、きっと首を傾げているんだろうなという疑問の声が聴こえていた。

「どうしたの」

「閉業ってなってるんだけど」

「は」

「グーグルで見てるんだけどさ。場所を検索すると、グーグルの口コミとかといっしょに、住所とか電話番号とか表示されるじゃん」

「うん」

「あそこに閉業って書いてある」

「閉業?」

 ぼくも、ライン通話のポップアップを閉じて、スマートフォンの検索で「軽井沢グランドホテル塩壺」を検索してみた。

 すると、たしかに閉業となっていた。

 具体的には、こう書いてあったのだ。


軽井沢グランドホテル塩壺

Karuizawa Grand Hotel Shiotsubo

 口コミレビュー なし

 経路案内  保存

 所在地:長野県北佐久郡軽井沢町大字塩壺××××

 閉業


 のみならず、検索でヒットした、地元新聞の記事を読むと、平成二四年に惜しまれつつ閉業、などと書いてある。平成二四年といえば、ぼくの大学四年のころであり、教育実習に行った、まさにその年なのだ。

「ねえねえ、一〇年前に閉業してるじゃんこのホテル」

 と亜矢子も言った。

「ああ、おれもその記事見てる。真剣新聞のやつだよな? ――もしかして、名前は同じで新規にオープンしたとか、今後するとかか? それにしちゃ、検索に何も引っ掛からないけど……」

「行かないほうがいいんじゃない?」

 亜矢子が言った。

「なんか不気味じゃない?」

「うん、まあ」

 行かないほうがいいのは色々な理由でそのとおりだと思うが、しかし欠席するにも欠席の旨を葉書で伝える必要がある。それとも、しらを切りとおすか?

「もしかしたら」

 亜矢子が、ぼそぼそと言った。

「ホテル閉業したの二〇一二年なんでしょ? その時点から、世界線が分岐したんじゃない?」

「世界線が?」

「そう。もし、修がその生徒と縁ができて、実習が終わってからも師弟関係みたいなのがあって、いまだに付き合いがあるとしたら、招待状届くかもしれないじゃん」

「うん、まあ、そういうのはなかったけどね」

「でも、そういう世界線が分岐して、どっかに今もあるんじゃない?」

「その世界では、ホテル塩壺もちゃんと営業してるってことか?」

「そうそう」

「まさか、そんなことが……」

「どっちにしたって、なんだか断るのもおっかないわね。どうして来ないのかって食い下がられても困るし。かと言って、出席しちゃったら、いつのまにかそっちの世界線に入って、二度と戻って来れなくなっちゃうかもよ」

「…………」

 最後に、亜矢子がぽつりと、

「その招待状、うちにもきたらどうしよう」

「亜矢子のところに? それはないんじゃないか。相手は男だぜ。普通あんまり異性は呼ばないだろ」

「でも……」

 そのとき、ピンポン、と電話越しにチャイムが聴こえた。

「あ、ちょっと待って」

 しばらく経ってから、亜矢子が戻ってきた。

 それから、震えた声で、

「どうしてあたしの住所がわかったのよ」

「え」

「招待状、来たわ……。宅配便で送ってきたわ」

 泣きそうな声で、ぼくに教えた。



 了




 


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