ぼくの恐怖体験(二)


 これは、今から七、八年前の話である。

 昔からたまにあったのだが、夜など、しいんとした部屋で過ごしていると、階段をみし、みし、と歩く音が聞こえてくることがあった。

 家鳴りというのか、木造の家屋が、ちょっとした加減でみし、みし、と鳴ることはあるのかもしれないが(特に屋根に雪があるときなどそうだが)、そういうものではなく、明らかに一段一段、きざはしを誰かが踏みしめている音がする。

 家族のだれかが上がってきたのか?

 しかし、翌朝訊いてみれば、誰も二階へなんて上がっていないし……

 仮に家族なら、普通にトントントンと上がってくるはずなのだ。なにも泥棒のように忍び足で歩く必要はないはずである。

 そんなことが、何日か続いた。

 鈍感なぼくでも、さすがに気に障ってきた。

 端的に言って、仕事の邪魔だからである。

 足音が聞こえてきたら、憤然と部屋を出て、階段という階段に塩でも撒いてやるか? などと考えるが、そんな勇気もない。あまり急進的になると、思わぬ反撃をくらってしまうのではないか?

 そこで、階段の踊り場に、盛り塩をしてみようと思いたった。これなら、比較的穏便な対抗措置ではあるまいか。

 といって、盛り塩なんてやったことがないから、「味しお」を小皿に盛ればいいくらいに思っていたところ、ネットの情報によれば、精製塩ではなく「天日塩」という、ちゃんと海水から採った塩のほうが望ましいのだそうだ。

 ぼくは、早速スーパーで天日塩を買ってきた。

 普通の「味しお」の何倍も高い。どうも天日塩というのは国内では採れないらしく、これもオーストラリア産だった。

 家に帰ると、ぼくは小皿に塩を山盛りにして、踊り場の隅っこのほうへ置いた。

 と、その瞬間だった。

 カチャン! と、小皿がひっくり返ったのだ。

 ちゃぶ台返しというか……

 見事に、小皿がそっくり返って、底が上を向いたのだ。

 ――は?

 茫然としてしまった。

 なんだ?

 今のはなんだ? 

 いま自分が置いた皿を、ふざけるなという感じで、突っぱねられたのだ。

 にわかに腹が立ってきた。

 なんだ?

 どういうつもりなのだ?

 まるで、おれを浄めようなどと思い上がるな、とでも言いたげではないか。

 ぼくは、濡れ雑巾を持ってきて、そこに塩をふんだんに塗りたくると、階段の一番下から一番上まで、丹念に拭いてまわった。

 盛り塩がいやなら、こうやって、きざはし単位でしっかり塩を塗りこまれるのはもっといやだろうと考えたのだ。

 塵ごと、じゅわじゅわと塩水で洗い流して……

 どうだ、参ったかという、総攻撃のつもりであった。

「ギャース!」

 と亡霊が悲鳴を上げた、ということはもちろんない。

 ぼくは、見違えるようにきれいになった階段を眺めながら……

 やってやった、やってやった、と満足した。

 あの妙な足音も……

 これで止むはずだ。

 根拠はないが、そう確信したのであった。



 そのとおりだった。

 その日から、階段をのぼる足音は、ぱたりと止んだのだ。

 しかし、ぼくは不安になってきた。

 階段の足音は止んだが、浄めの及んでいないところ……たとえば、二階の廊下だとか、ほかの部屋の床だとかから、足音が聴こえてきたらどうする?

 そうだ。

 ぼくの書斎の床だって、拭かねばならないのではないか? 背後で、ヒタリ、ヒタリと足音が聴こえたら縮み上がってしまう。

 こうして、ぼくは真夜中に起きだして、ひとり黙々と、二階の床という床を塩漬けの雑巾で拭いてまわったのであった。

 それが幸いしたのか、あれから足音を聴いたことは一度もない。天日塩なんてのも、買ったのはあれが最初で最後である。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る