未来の日本語


 子どもが生まれた。

 女の子である。

 妻が、地元の北海道で出産するため、それに付き添うために三日ほど仕事を休んだ。  

 今日が、久しぶりの職場である。

 短期大学の研究室でメールや手紙の処理をしていると、コンコンとドアがノックされた。

「どうぞ」

「先生、この度はどうもおめでとう」

 言語学者の飯田女史だった。飯田女史は、これは出産祝いだと、子ども服と、なにやら一枚のCDをぼくに手渡した。

「これはなんです?」

 CDのケースをヒラヒラさせるが、何も文字が書いていない。

「じつは、わたしが子守歌を吹きこんだのよ。『ねんねんころりよおころりよ』」

「ああ」

 有名な歌なので知っていた。

「わたしくらいの年になると、先生みたいな年の方のお子さんって、まあ孫みたいなもんだわ。さぞかわいらしいことでしょうね」

「はあ」

 しかし、別に歌がうまいわけでもない(そんな話は聞いたことがない)飯田女史が、わざわざ自分の歌声をCDに焼いてくるなんて。

「じゃ、折を見て、それを聴かせてあげてちょうだいね。それじゃ」

 飯田女史は出ていった。



 妻と子どもは、じきに退院して、東京の自宅にやって来た。

 ぼくは、毎日子どもの寝顔を見るのが愉しかった。

 そんな日々の中で、飯田女史からもらったCDのことなど、すっかり忘れていた。

 ある日、荷物の中からCDケースが出てきて、ようやく思い出したのである。

 ちょうど、その日は妻が所用で外出をするため、日中、ぼくが一人で赤ん坊の面倒を見ることになっていた。

 ぼくは、CDのケースをパカッと開けてみた。

 紙片が入っていた。

 開いてみると、飯田女史の字で、<二七世紀日本人の発音推測>と書いてあった。ご丁寧に、Prediction of Japanese pronunciation in the 27th centuryなどと、筆記体で書かれている。

 ハハ、と乾いた笑いがでた。

 飯田女史は、古代日本語がどう発音されていたかとか、日本語の音韻変化とかを専門に研究しているのだ。なるほど、過去の音韻変化の経緯を踏まえて、逆に未来の日本語を予測したのだな。それを「ねんねんころりよおころりよ」に乗せて披露するというのだ。飯田女史らしいプレゼントなのだ。

 それを最初から言わなかったのは、一つには、やはり手前みそというか、多少のあつかましさを自分でも感じていたか、あるいはサプライズを期待してのものだろう。

 赤ん坊は、さっきまで眠っていたが、いまは目を開けて、ニコニコと天井を眺めている。

 子守歌が収録されているのなら、試すのはいまではないか?

 よし。

 ぼくは、ラジカセにCDを入れて、再生した。

「……二七世紀日本人の発音推測」

 飯田女史の声である。

 続いて、音声を収録した日付をしゃべった。ぼくがCDを受け取った、前日の日付だった。

「推測一」 

 ぼくは、ボリュームを上げた。

「ヌェンヌェン、コンロリーン、ヨ、オコロヒヨー」

 奇怪である。

 だが、言語の変化とはそういうものなのだ。「ね」をネと発音するのは、あくまで現代日本語のルールであり、「ネ」をヌェとか、「り」をヒとか発音するような時代がきたって不思議はない。

「ボヤ、ヨイコダン、ヌンネンシーナンセ~」

 ……まあ、こういう展開もあるだろう。平安時代の和歌だって、本来の発音を文字に起こせば、ずいぶんとヘンテコになる。「衣ほしたり天の香具山」とは発音せず、「コホロモォ、ホォスィタアリイ、アムアノオ」と、こんな調子なのである。

 赤ん坊は、別に歌に反応することもなく、天井を眺めて笑っていた。

「推測二」

 続きがはじまった。

「ヌンヌンコオリヨ、オコオリヨ」

 推測一と、またちょっと違う。

「ボヤ、ヨイコドゥーワン、ネンネシーナンホエ~」

 しかし、赤ん坊は目を開けたままである。

 少なくとも、子守歌の効果はない。

 まあ、わめきださないだけ、まだよいのかもしれなかった。

「推測三」

 まだあるのかと思ったが、

「ネンネコロンリ。オコロリコロリ。ボジャ、ヨイコサ、ネンネソヤ~」

 これにも反応を示さない。

「――いかがでしたでしょうか」

 終わるらしい。

「これにて、終了いたします」

 CDの回転が止まった。

 ぼくは、仕方がないので、「ねんねんころり」をユーチューブで検索して、それを流してやった。

 これまでと打って変わり、赤ん坊はすぐにウトウトしはじめた。



「それでどうだったの?」

 ぼくが昨日CDを再生したと話すなり、飯田女史は興味津々でそう訊ねた。

「効果あった?」

「それが」

 多少申し訳なさを感じつつ、

「推測三までちゃんと聴かせたんですが、眠りませんでした。まあ、ぐずらなかったのでそこは助かったんですけど」

 とフォローを入れ、

「その後に、正規の『ねんねんころりよおころりよ』を聴かせたら、すぐに眠りました」

「はあ。なるほどね」

 飯田女史は思案顔になり、

「とっても有益な示唆だわ」

「示唆?」

「わたしの、例の三つの推論ね。あれは、確度としてはかなり高いの。つまり二七世紀には、あの三つの推測言語のどれかに、かなり近い日本語が使われているはずなのよ。その歌を再生して、お子さんが眠らなかったとすると、やはり未来のことばには、子どもを眠らせる力がないか、あってもかなり弱くなっているようね」

「…………」

「子守歌というのは、要はメロディと、ことばの、音の響きなのよ。それが心地よくて子どもは眠るんだけど、未来の日本語は、『ねんねんころり』のメロディをもってしても、子どもが眠るような響きはもたないのね。残念だけど」

「はあ」

 それから、飯田女史は付け足した。

「けど、ちゃんと深い母性があれば、二七世紀の子守りもなんとかなるでしょ、きっと」




 了

 

 


 


 

 

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