〆のラーメン


「〆に、ラーメンでも食いにいくか」

 スナックを出ると、岡田さんは言った。

「いいですね」

「まだ入るか?」

「入りますよ、もちろん」

 ぼくは、岡田さんより一回りも年が若い。

「じゃ、行こうぜ」

「はい」

 吞んべえ横丁を歩いて、駅前のラーメン屋へ向かった。

 このへんで、深夜まで暖簾を下げているラーメン屋は、あそこしかない。夜の八時ごろから営業を始める、酔客のための、夜鳴きラーメンなのだ。

 どのみち、終電はとうに逃がしている。となると、駅前のタクシー乗り場で足を拾わなければならないから、方向は同じなのだ。

「結構いるなァ」

 店の中は、熱気でむんむんしていた。

 席はかなり埋まっていた。こんな深夜に、景気の良いものだ。

 ぼくらは、カウンターの隅に、並んで腰を下ろした。

「どうしましょう」

「まずはビールかな」

「ですね」

 生ビールを二杯頼んだ。

 ビールはすぐにきた。

 さっきのスナックでは、ウイスキーと乾きものしか口にしていなかった。

 ぼくらは、ゴクゴク喉を鳴らし、ビールを飲んだ。

 ラーメンは、ぼくも岡田さんも、チャーシューメンにした。チャーシューでビールが飲めるのと、酔って、塩辛いものを食いたくなったからである。

 ぼくも岡田さんも、この店に何度か来たことがあった。

 味なんて、大したことはない。

 うまいラーメンを食いにくる店ではないのだ。あくまで、酔っぱらいの、〆のラーメンの欲求を満たしてくれる店で、しらふで食えばスープもかなり塩辛いだろう。

「きたぞ」

 主人が、どんぶりを二つ、カウンターに載せた。

 いかにも味の濃いスープに、チャーシューは四枚。麺は中太ちぢれ麺。

 ぼくらは、割り箸を割った。

「じゃ、もらおうか」

「ええ」

 まず、麺をすくう。

 もうもうたる湯気を顔に浴びながら、口に入れる。

 …………。

 咀嚼し、飲みこむ。ぼくは二口目を口に入れた。光沢のあるしこしこ麺を噛みちぎると、中から、じゅわっと汁が溢れ出た。

 ……あれ。

 これは……。

 ぼくは、チャーシューをつまんだ。つまみ上げてわかったが、ステーキのように分厚いチャーシューだ。口に運ぶと、驚くほどやわらかい。脂身もしつこくない。これが、まだ三枚も食べられるとは。なんだか幸せを感じた。

 スープをすする。

 濃厚だ。重層的なのだ。

 濃厚なのに、飲みやすい。ずっと飲んでいられそうなのだ。

 ぼくは、夢中で箸を動かし……

 完食した。

 うまかった。

 こんなにうまいラーメンは、久しぶりに食べた。ぼくは、行列のできるラーメン屋と聞くと、たまに並んで食べてみるが……これまで行ったどの店よりも、ここのチャーシューメンのほうが上だった。ちょっと信じられないくらいの逸品なのである。

 見ると、岡田さんは、まだ半分くらい残していた。

「おいおい」

 岡田さんは言った。

「そんなに腹減ってたのか?」

「え」

「話しかけられなかったぜ。すごい勢いで食ってるんだもの」

 ぼくには解せなかった。

 岡田さんのほうが遅いのではないか?

 だがそれは言わずに、

「うまかったんです、このラーメン。ほんとにうまかった」

 しかし、岡田さんは苦笑して、

「まあ、悪くはないけど……それほどか?」

「うまかったですよ」

 ぼくは、このへんの有名なラーメン屋を二、三挙げ、そこよりもうまかったと力説した。本当にそう思ったのである。

「お前、そりゃないよ」

 岡田さんは笑い飛ばした。

「まあ、まずくはないけどさ」

「はあ」

「別に、そこまでうまいもんじゃないだろう」

 だが、ぼくには納得できなかった。

 どうして、こんなにうまいラーメン屋が埋もれているのだ?

 ぼくは首をかしげながら――岡田さんが、残りのラーメンを、いかにも無感動に口へ運ぶのを眺めていたのである。



 翌日。

 夜になるのを待って、ぼくは、また夜鳴きラーメン屋を訪れた。昨日と同じチャーシューメンを食べるためである。

 だが。

 うまくなかった。とにかく、スープは塩辛すぎるし、麺はのびているし、チャーシューだってえらく薄切りで、まるでハムを食べているようだ。

 どうしたのだ?

 ゆうべは、あんなにうまかったのに……

 やはり、酒が入っていないと、うまく感じないのだろうか?

 もぞもぞと麺を咀嚼しながら、ぼくは計画を練った。

 翌日も休みだった。

 ぼくは、あらかじめ酔っぱらっておいて、酔客として、店に足を運んだ。

 もちろんチャーシューメンを食べたのだが……

 昨日と同じく、うまくなかった。

 酔いのせいで、スープの塩辛さは多少気にならなくなったが……おとといの感動は、まるでなかった。相変わらず麺はのびていたし、チャーシューも、今日は三枚しかなかった。

 ぼくはおととい、いくつかの有名な店より、こちらのほうがうまいと岡田さんに豪語したが……そういう店のものが一○だとすると、このラーメンはせいぜい三がいいところで、とても人にすすめられるものではない。

 それなのに……

 それなのに、どうしておとといは、あんなにうまく感じたのだろう。

 たまたま出来が良かったのか? 

 いや。

 同じものを、となりで岡田さんも食べたのだ。うまかったら、うまいと言うだろう。それを岡田さんは、そんなにうまくないじゃないかと言ったのだ。 

 では。

 やはりなにか、あの日のぼくの酔いの加減だとか、体調だとかによって、うまくないラーメンを絶品と錯覚した、ということなのだろうか。

 それからというもの――。

 ぼくは、飲み会の帰りには、必ずそのラーメン屋に立ち寄るようになった。またいつか、あの絶品に出会えるのではないかと期待しているのだが……

 いつも安定して、ラーメンはうまくない。

 というより、どんどんまずくなっている気さえする。

 しかし、ときたま、夢中でラーメンをかっこんでいる酔っぱらいがいて……

 ああ、この人はあの境地にあるんだと思うと、ほほえましいやら羨ましいやらで、思わず口もとが緩んでしまうのだった。



 

  

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る