第98話 誤解 街外れの孤児院

「伏せてっ!」

「ぬぁっ!?」


 頭を鷲掴みにされたかと思えば、凄い力で地面に倒される。


(あ、ぶつかる……)


 あまりのスピードにリリスは怖くなって、ぎゅっと目を瞑ったが、どれだけ待ってもその時はやって来なかった。


(ぬっ? 痛くない?)


 恐る恐る目を開けてみると、自分の額は地面すれすれの所で止まっていた。


(とりあえず、助かった……のか?)


 そこではたと気づいてしまう。


 上半身はイルゼに押された勢いで地面に突っ伏し、反対にお尻は外側に向けて突き出したような状態というなんとも情けない、魔王としてはどうかと思われる体勢にされていた事に。


(ぬぁーー! なんじゃこの体勢はー!! 恥ずかしくてかなわん!!)


 一刻も早くこの体勢から解放されたいが、いかんせん、頭をイルゼに抑えられていてどうにも出来ない。


「……もう、顔を上げても良いか?」


 戦闘音は聞こえない。というよりイルゼは先程から一歩も動いていないようだった。

 ぐぐぐっと無理矢理顔を傾け、リリスは視線を上げる。


「「あ」」


 彼女と目が合った。久しぶりにその藍色の瞳を凝視したが、出会った頃は少し濁っていたその瞳は今は本来の色を取り戻したかのように輝いて見えた。


「す、すまぬ」

「ううん」


 何かいけないものを見た気がして、リリスは思わず謝ってしまう。


 イルゼも恥ずかしく感じたのか、どちらともなく視線を外す。


 銀髪の少女はごめん、もう大丈夫と言ってリリスの頭から手を離した。


「首とか頭、痛くなってない?」

「大丈夫じゃ。それより一体何が……ん?」


 身体を起こし、周りを見渡すと鬱蒼と深い木々で覆われたこの森には似つかわしくない者達がそこにはいた。


「先程、拙者達に石を投げつけたのはこの者達のようでござるな。曲者かと思い、つい癖で刀を抜いてしまい無用に怖がらせてしまったでござる。イルゼ殿は直前で気付かれたようでござるが」


 刀を仕舞ったサチの足元には、数人の子供達が肩を寄せ合って震えていた。身につけている衣服は質素なものだ。そして子供達の手には先程投げたと思われる小粒の小石が握られていた。


「ん。殺気があまりなかったのと、どう見てもただの石ころだったから当たっても痛くなかった」

「当たっても痛くなかった?」


 もう一度彼女の身体をよく見てみると、胸当てや小手などのあちこちに石が当たった形跡が見られる。鎧に守られていない素肌の部分などは少しだけ赤くなっていた。


 子供の投石だ。威力は低いにしろ、その数は多い。多少の痛みはあったと思われる。


――私が守らないと。


 今のリリスは人間だ。それもイルゼよりもずっと弱い。


 五百年前ので痛みに鈍くなっているイルゼは平気だが、人間になってから怪我をあまりしていないリリスにとって石礫はそこそこ痛い。当たりどころが悪ければ重傷になってしまう可能性もあった。


 そういう可能性を極力減らしたかったイルゼは、サチが子供達を制圧する間、自分の身体を盾にして投石からリリスを守っていた。


 少し赤くなった肌をリリスが優しく撫でる。そして心配そうな顔で彼女を見つめた。


「イルゼ。自分の身体を犠牲にするのはよせ」

「大丈夫。私頑丈だし、それにほっといても治る」


「そういう所じゃぞイルゼ! 余は心配じゃ、いつかお主が取り返しのつかない怪我を負ってしまいそうで……」

「安心して。私、強いから」


「お主は……」


 何か言いたそうにしていたリリスであったが、今の此奴には何を言っても無駄じゃろと魔王は続く言葉を飲み込む。


「お兄ちゃんあっちあっちー」


「ちょっ、あんま急かすなって危ないだろ……あ!」


 小さな女の子に連れられて、10代前半と思わしき少年がやや遅れて現れる。


 少年はイルゼ達と子供達の様子を見比べ後、イルゼ達の元へ歩み寄るや否や勢いよく頭を下げた。


「この度は誠に申し訳ございませんっ!!」

◇◇◇


 リリス一人だけ不服そうにしていたが、『この子は自称魔王でプライドだけが高く……』と彼女の説明するのがめんどくさくなったイルゼは三人とも旅の冒険者という簡単な設定にした。


 実際の所は護衛とその要人、諸国放浪をする侍という組み合わせなのだが、リリスを除けばサチも冒険者カードを持っている為、特に怪しまれる事はなかった。


「すみませんすみません」


 簡単な自己紹介を終えたイルゼ達の前で、先程から平謝りを続ける少年はゼットと名乗った。


 彼の話を聞くと、どうやら此処は街のはずれにある孤児院らしく、彼らはここで貴族の援助を受けながら貧しいながらも慎ましやかな生活を送っているという。


「こいつらが本当にご迷惑をお掛けしました! ほらお前達も謝れ、相手が冒険者様だから良かったものの、普通の人だったら怪我してたかもしれないんだぞ」


 彼の言葉は正しい。


 咄嗟に動けなかったリリスはイルゼに庇ってもらわなければ、怪我をしていた可能性があったのは否めない。


 イルゼの視線は、普段より少しだけ険しかった。


「ご、ごめんなさい」


「まあまあ青年よ、もうその辺でよいではないか。このようにしっかり反省しているみたいだし、幸いな事に誰も怪我をしておらんのだから。イルゼもそれでいいじゃろ?」

「リリスがいいなら、いい」


「すみません。最近獣による被害が多くて作物が満足に取れずみんな気が立っていて」


「けもの?」


「はい。実は……」


 この孤児院の一番の年長者であり、子供達のまとめ役であるゼットに詳しい話を聞くと、最近作物を荒らす害獣が多いらしく、なんとかしようと害獣対策をみんなで考えた末、あのような粗末な罠を仕掛けるに至ったという。


 そしてリリスが罠にかかった瞬間、年少者達が早とちりして『オレ達の畑を守ろう!』と意気込んで飛び出してしまったというのが事の顛末だった。


「旅の人は大抵正規のルートを通って街へ向かうので、ここら辺を人が通るという事はなく、てっきり泥棒か害獣の類いだと思って、確認もせず石を投げつけてしまったようです。重ね重ね申し訳ありません」


「ん。今度からは相手が獣だったとしても控えた方がいい。凶暴な獣なら逆に怪我を負いかねない、見かけたらすぐに逃げるべき」


「ですがそうも言ってられないんですよ……」


「どういう事?」 


 彼によるとこの孤児院の近くには綺麗な泉があるらしく、生活で使う水は全てその泉の水で賄っていたという。

 言わば彼らにとってその泉は生命線で、毎朝のように水を汲みに行っていたわけだが、ある日を境に他の獣とは違う鋭い牙を持つ獰猛な青い鬣が特徴の獣が住み着き、泉の近くにある空洞を寝ぐらとしてしまった。


 そのため安易に泉の周辺に近付けなくなってしまったのだという。


「好奇心旺盛な下の子が、獣を見に泉に立ち寄った際襲われかけましたが、幸いにも僕たちの要請を受けて見回りに来ていた兵士さん達のお陰で軽傷で済みましたが次はどうなるか分かりません。その獣はどうやら知能も高いようで、武器を持った大人には決して近付かず子供が一人でいる時を狙って襲ってくるんです。なので子供達も気軽に外に出る事が出来ず困っているんです」


「ふぅむ。それはなんとも……時にお主、親はいないのか? それか大人は?」


 孤児院という福祉施設の事をよく知らないリリスにとっては当然の疑問であったが、それを聞いてこの場にいる全員が顔を陰らせた。


「親はいません。ここにいる全員はなんからの理由で親を失った孤児ですから……でも、その代わりにシスターがいます。シノ、シスターを呼んできて」


「うん。分かった!」


 シノと呼ばれた少女が元気に孤児院に駆けて行く。彼女はゼットをイルゼ達の元へ連れてきた少女だ。


 ゼットによるとシノはまだ10にも満たない子供だが、幼いながらも賢く、人の事をよく見ていて手のかからない良い子だと近場の街でも評判だという。


「そ、そうか……」


 リリスが何かいけない事を言ったのかも……と自覚すると同時に太腿をつねられ、小声で会話が交わされる。


(リリス無神経。私でも孤児院の事くらいは知ってる。五百年前も沢山の人が戦争で親を亡くしてたから)


(今のはすまなかった。だから離しておくれ)

(だめ。おしおき)


 イルゼは暫くの間、リリスの太腿から離さなかった。


 少ししてシスターと思わしき修道服に身を包んだ女性が、シノに手を引かれながらパタパタとこちらへやってくるのが見えた。

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