第58話 陽気 そして発病
「ここまでで大丈夫です。イルゼさん、リリスさん何から何まで本当にありがとうございました」
アデナの父親が大きく頭を下げる。
これで本当に、村の人達ともお別れだ。
「うむ。余輩の役目は終わりじゃな!」
「剣聖として当然の事をしたまで」
二人は衛兵達によって、詰所の奥へと連れられていく傭兵達に目を向ける。
ギースは諦めたように、ため息を何度も吐いていた。
(大人しくしてくれて、本当に良かった)
道中、傭兵達が暴れたりせず、特に何も起きる事なく目的の街に着くことが出来た。
これほどまでにスムーズに事が運んだのは、イルゼという最強の番人がいたお陰であろう。Sランクの彼女がいれば、抵抗する気も失せるというものだ。
なにせ彼らは、一度苦渋を味わっている。二度も味わうのはごめんだった。
「ではこれで全ての手続きが終了となります。この度のご協力、誠に感謝致します」
「ん」
ウルクスへ向かう途中の街で、傭兵達の身柄を引き渡す手続きを終えると、イルゼはうーんと大きく伸びをした。
書類に名前を書くだけの単純作業だったが、その数が多く、イルゼにとって苦痛といえる時間であった。
「んぐんぐ。ほう、これは美味いのー!!」
自分が書類を作成している間、呑気に買い食いしていたリリスをみて、ふつふつと怒りが湧いてくるも、美味しそうに焼き芋を頬張るリリスを見ると毒気を抜かれ、自分も物欲しげに近付いた。
「リリス、私の分は?」
期待の眼差しを込めて見つめるも、リリスは構わず食べ続けた。
「むっ! リリス私にも!!」
無視されたイルゼは、ぐいっとリリスの腕を取り、食べるのを邪魔する。
「ん? なんじゃ、自分の分は自分で買うのではなかったのか?」
自虐的な笑みを浮かべたリリスが、ほれほれーとイルゼの前で芋をぶらつかせる。
リリスはランドラの街で、彼女が言った台詞をそのままお返ししたのだ。
「むぅ……確かに言ったけど――んぐっ!?」
油断していたイルゼの小さい口に、リリスは自分の分の芋をちぎって押し込む。急に芋を口の中に突っ込まれて、はふはふと言いながら、芋を呑み込む。
「どうじゃ? 美味しいか?」
「美味しい!」
「そうか。ほれっ!!」
もう一つちぎって、イルゼのパクパクと魚のようにあいた口の中に放り込んでやる。
イルゼはパクッと勢い余って、リリスの指まで食いつき、もぐもぐと粗食する。
「これ! 余の指を食べるでない!!」
――口の中に違和感を感じた。これは何だろうとイルゼはとりあえず舌で確認する。
「指じゃ、指! 今お主が舐めておるのは余の指じゃ!!」
「ふぃがふぃあ?」
イルゼはリリスの指をペロペロと舐め、ちゅぱちゅぱと味わう。
「イルゼ!?」
これ以上は怒られると、イルゼはパカーっと口を開き、リリスは口の中から指を取り出す。
――イルゼの唾液……。
リリスの指はイルゼに舐められ綺麗になっていたが、唾液付きであった。
「ごめんリリス。でも美味しかったよ?」
「なんで疑問系なのじゃ……」
イルゼがもういいやと宿場街の方に足を運ぶ。芋はあまり好かなかったらしい。
ここはウルクスへ向かう旅人が多く立ち寄る為、それに比例して宿の数も多い。
ここで一日気を休め、リラックスして過ごすのも旅の醍醐味だろう。
静かな住宅街が建ち並ぶ街並みは、どこか空虚とさえ感じた。
ランドラの様な中小都市とは違い、のどかで、穏やかな風が吹いている。
イルゼは建ち並ぶ宿屋を見ながら、休憩はとらず、先に進む事を選んだ。
目指す国はすぐ先だ。距離で約3マイル程である。
気分転換に少し街中を歩いていると、イルゼはふと見覚えのある土地を見つけた。
同時に過去の記憶が蘇る。
ここはイルゼが初めて軍の命令に背き、魔族から
だが土地は開発され、建物が建てられてはいるが、紛れもなくそこはあの時の場所だと分かった。
――あそこには昔の私がいた。
自然と足が建物に向けられる。
他者を助けた事で、規律違反だと上に報告するお目付役の兵士はもういない。
今のイルゼは自由である。
これがあるべき『剣聖』の姿なのだ。
妙に清々しい顔のイルゼに、リリスは怪訝な顔を浮かべた。
「ん? どうしたのじゃイルゼ?」
「ううん? なんでもないよ」
何かおかしかった? とでも言いたげな視線をリリスに送る。そのきょとんとした態度にリリスもいいやと首を横に振るう。
「そっか、じゃあ改めて出発だね!」
イルゼが笑顔で手を差し伸べてくる。
先程も感じたが、イルゼは誰彼構わず人の指を舐めるような少女ではない。むしろ綺麗好きの彼女は人の指を舐めるなど、たとえリリスの指でも嫌がる筈だ。
事実、ランドラでリリスのよだれが付きそうになった時には、露骨に嫌そうな反応を示していた。
「そうじゃの」
普段より、やや高いテンションに戸惑いながらもリリスは迷わず手を取る。
すると、ヒヤッとした感触がリリスを襲った。
(――つめたっ!? 今はポカポカ天気だというのに何故こんなにも……)
イルゼの手は酷く冷たい。
自分の手を取ったまま固まってしまったリリスを見て、イルゼはきょとんとしている。
「……イルゼ。お主の手、ちと冷たくないか?」
「そっかなー? そんな事ないと思うけど」
自覚はないようだったが、何かが確実におかしかった。リリスはイルゼの額に手を伸ばそうとしたが、それより先にイルゼがリリスを引っ張った。
「ほら行こっ!」
「い、イルゼ。やはり休んで行った方が……」
平気平気と彼女に手を引かれるがまま、リリス達は街の出入り口を目指す。
銀髪の少女に異変が起きたのはそれからすぐの事だった。
「あ、あれれ?」
歩き出してすぐに、ふらふらっとイルゼが左右に揺れる。
――頭の中がぐらぐらする。視界が揺れていた。イルゼは思うように前を歩けなかった。
そして左右に揺れたかと思ったら、スッとイルゼが地面に倒れかける。
「イルゼッ!?」
リリスはすぐさまイルゼの体を支え、抱きかかえると、必死に声を掛ける。
「イルゼ! おい、しっかりせい!!」
イルゼはとろんとした目で、こちらを見返すだけで反応は薄い。
「――っ! 医者じゃー! 医者を呼んでくれー!!」
リリスの悲鳴じみた叫びに、これは只事ではないと周りの人達がぞくぞくと集まってくる。
あの建物からも、一人の女性がタオルと洗面器を持って駆けつけた。
イルゼは遠ざかる意識の中、涙を滲ませ、不安そうな顔をしてこちらを見つめるリリスを虚ろな目で見つめていた。
リリスの口がパクパクと動くだけで、それが耳に伝わってこない。
(何か言ってるけど、聞こえない……リリス、ごめんね……)
イルゼの意識はそこで途切れた。
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