第57話 再出発 そしてウルクスへ

「いやーママさんの作る料理おいしかったのうー」


「お口に合ったようでなによりです」


 野菜たっぷりのスープと山菜の天ぷらをたらふく平らげたリリスは、満足そうにして椅子に身体を預けていた。


 ネルは「もう食べれませんー」とテーブルの上でぐでっとしている。


 そんなリリスの元に、ネルが迷惑をかけたお詫びにと母親から果実入りのジュースが手渡される。


「ありがとうなのじゃ!」


「いえいえ」


 魔王は完全に餌付けされていた。


 本来ならば、「お主、余の部下にならんか?」と聞くところを素直にお礼を述べてしまっているのだ。


 母親、恐るべしである。


 食後の時間を有意義に使う二人とは対照的に、イルゼはアデナと一緒に皿洗いの手伝いをしていた。


 主にアデナが洗った食器をイルゼが拭くという単純作業だが、イルゼは既に2回ほど皿を割っていた。


「アデナごめんね、二つもダメにして。金貨2枚で足りる?」


「い、イルゼ! そういうのは、ほんとにいいから全然気にしないで下さい!! あとお皿二つにそんなお金しませんから! 一体誰に習ったんですか!?」


「――え?」


 そう問われて、皿の拭く手が止まる。


 貨幣の価値や物の値段はリリスから教わった。


 後は自分の知っている知識を合わせて上手く査定しているつもりだったのだが……。


 結果としてイルゼの考える値段と実際の値段が釣り合わないことも多かった。


 これはどういう事だろうと、イルゼは思いつく限りの原因を探る。


 まず初めに、長年王宮で生活していた事により銅貨や銀貨というものを最近まで見たことがなかった。


 五百年前、お付きのメイドに頼めば大抵の物は揃えてくれた為、それがいくらかかったのか知らなかったのだ。


 オーダーメイドで作った自分専用の鎧を除いて。


 イルゼが初めて買い物に出向いたその鎧の値段は、白金貨100枚だった。


 破格の値段の対する鎧の価値は確かで、魔王を倒し、今に至るまで鎧は壊れる事なくイルゼを守り続けている。


 それは良い事だ。


 だが、初めての買い物が白金貨100枚などという大金だった為、イルゼは普通の感覚が分からなくなってしまった。


 彼女に金を与えていたのは国王だ。魔族を屠るたびに、イルゼの元には多額の報酬が払われていた。


 イルゼはそのお金の大半を貧しい人々の救済や孤児院などに充てた。


 国王に口を酸っぱくするほど言われていたのだ。「金は使う為にあると」


 イルゼはその言葉を信じて疑わなかった。


 だからイルゼは自分の事より、他者を優先した。それは特に欲しいものがなかったことと、自分が『剣聖』だったからだ。


 イルゼは貰った給料を全て使い込んだ。


 メイドや執事が指定した額を渡し、難しい事は全てやってもらっていた。


 しかしそれがいけなかった。


 魔族との抗争が激化した後期には、財政難になった国が横領している事実も知らず。イルゼは自分のお金が民の為に使われているとただ信じていた。


(んー……よくは思い出せないけど第二代の国王様からいっぱいお金を貰って、使えって言われてた気がするからそのせいかな? でもリリスもお金は使う為にある物って言ってるし、大抵の人はそうなのかも)


 その考えは間違えだ。魔王や国王のような権力者には自然とお金が集まるが、市民にとってお金は貯金をしたり、必要な出費以外は出来る限り抑えるのが普通だ。


 だが、イルゼの周りはよくも悪くも金遣いの荒い者達が多かった。


 その代表格であるライアスは、大金をはたいてまで高級なお酒を買っていたのだ。


「…………」


 皿を拭く手が止まっていたイルゼにアデナが「大丈夫?」と声をかけると、イルゼは先程の質問に答えた。


「……国王様と魔王かな?」


「へ? 国王様と魔王!?」


 イルゼの答えに、アデナが驚き、リリスが飲んでいた果実たっぷりジュースを吹き出した。


「げぼっ、げほっ……イルゼ、余はある程度、ちゃんと教えた筈じゃぞ」


「そうだっけ?」


 イルゼはこてんと首を傾げる。


「うむ。そうじゃぞ」


 上体を大きく反らして腕を組む。ただでさえ発育のいい胸元が強調されるが、ここには女衆しかいない、なのでお構いなしだった。


「じゃあそうなんだと思う」


 何故かしたり顔のイルゼがこくこくと頷く。そしてリリスの揺れる双丘を睨みつけた。


 二人の会話に、事情を知らないアデナは首を傾げる。


(……あ、そうか! リリスは魔王っていう設定だったけ!!)


「アデナ。何をそんなニコニコしておるのじゃ?」


「なんでもないですよ」


 謎が解けたアデナは、温かい目でリリスを見つめた。リリスは不信感を募らせる。


 ――余の知らない所で何が起きてるんじゃ! とイルゼにアイコンタクトを送るも、イルゼは張り付いたような笑みを崩さなかった。


◇◆◇◆◇


 食事を終えたイルゼ達は、村を出発する準備を終え、村の入り口に集まっていた。


「二人とはここでお別れ」


「む、なんじゃネル? 余と離れて寂しいのか?」


「そ、そんな事ないもん!」


「と言いつつ、さっきからリリスに抱きつきいて離れないのは誰でしょう?」


「うーお姉ちゃんのいじわる〜!!」


 アデナとネルとは一旦お別れだが、ウルクスに暫く滞在する事を伝えると、闘技場で行われる武道大会には必ず見に行くと食い気味に迫られた。


「イルゼお姉ちゃんならもう絶対優勝だね!」


 もはやイルゼが参加するのは前提で、ネルの目には優秀するイルゼまで見えているらしい。


「まだ参加するかは分からないよ」


 そう告げると三人に驚愕の顔をされた。


「イルゼ、それは勿体無いですよ!!」


「そうじゃ! 余の代わりに出て優勝しておくれ。余が勝負を譲るなんてそうそうないのじゃぞ」


 アデナとリリスに参加して、参加してとしつこく言われたものの、イルゼの中でもすでに答えは決まっていた。


(強い人と……本気で戦ってみたい)


 姉妹と最後の別れを済ませると、イルゼは男性陣の元へ向かう。


「そろそろ行こう」


「はい」


 アデナの父親に声をかけ、傭兵達を一直線に並ばせる。そしてイルゼとリリスが傭兵達の前を歩き、その後ろと周りを男達が囲んで、アデナとネルを含めた村人達に見送られて村を出発した。


「さあ、出発なのじゃー! 衛兵達がお主らを牢屋に入れようと待っておるぞー!!」


 リリスが元気に傭兵達の手首を縛っている縄を引っ張る。すると縄がピンっと張って、傭兵達がしぶしぶと歩き出す。


 これからが楽しみなリリスと違って、彼等はこれからの事に絶望しかけていた。


 彼等に残された道は、奴隷に落とされての強制労働か全てを奪われた上での一からの再出発だけだからである。


 だが、あれだけの事をしでかして、処刑されないだけましであろう。村の人を誰か一人でも殺していたら、彼等は全員処刑だった。


「イルゼー! ウルクスに着いたらまず何するのじゃー?」


「まずは冒険者ギルドに挨拶しといた方がいいって、ライアスが言ってたから冒険者ギルドに行く」


「その後は?」


「その後は、リリスの行きたいところに付き合うよ」


「やったのじゃー!!」


 リリスが嬉しそうに顔を綻ばせる。


 イルゼもそんな心底嬉しそうに笑うリリスを見ていると、自然と笑顔になっていた。


 二人が楽しい会話をしていると後ろで「「ぐぎゃー」」と声が上がる。


 見ると傭兵達がこけて倒れ込んでいた。


「ああ、すまんのう」


 嬉しさのあまり握っていた縄に力が入ってしまい、無理に引っ張られた前列が倒れてしまったのだ。


 先頭にいたギースを筆頭にわざとらしく、そして大袈裟に足を抑える。


「おいおい、もうちょっと丁寧に扱ってくれよ。お陰で足が……」


「軽口言わない!」


「あ、ちょ待て」


 彼等の怪我をしたふりをして、行程を遅らせる作戦は失敗した。


 イルゼが剣の柄に手をかけて脅す事で、ギースを含めた全員が一斉に黙り込み、何も言わず立ち上がると再び歩き始める。


「ん。これでよし」


 イルゼは剣の柄から手を離すと、リリスの空いている方の手を取る。


 その慣れ親しんだ動作に、リリスも特に恥じらう事なくしっかりと握り返した。

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