第54話 ネル そして焦り

 アデナは村へ入るとすぐに自分の家まで走った。


「お母さん! お父さん! ネル!!」


「「アデナ!!」」


「お姉ちゃん!!」


 半刻ぶりに家族と再会したアデナは、飛んできた妹を抱きしめ、固い抱擁を交わす。その後に続くように、父と母が、アデナとネルをそっと抱きしめる。


「お父さん、お母さん、ネル……みんな無事でよかった」


「お父さん達もアデナの事がとても心配だったよ」


「そうよ。あんまり親を心配させないで頂戴」


「心配かけて本当にごめんなさい」


 遅れてやってきたイルゼとリリスは、涙ながらに家族との再会を噛み締めるアデナを見て、リリスはズビッと鼻を赤くする。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。


「アデナ……良かったのう」


「ん」


 ズズっと鼻を啜るリリスをイルゼがハンカチで丁寧に拭く。


「………ん、綺麗になった」


「イルゼ、ありがとうなのじゃ」


 拭き終わったハンカチはリリスの涙と鼻水でぐしょぐしょだったので、イルゼはどうしようかと悩んだ末、とりあえずアイテム袋の奥底に突っ込んだ。



「私も故郷に行ったらあんな風に泣けるかな」



 イルゼが独り言のように、ぽつりと言葉をこぼす。誰に向けたわけではないイルゼの言葉をリリスは聞き逃さなかった。


「そうじゃのー。イルゼは泣き虫じゃから、もし故郷がなくなっていたらアデナより泣くかもしれんな」


 リリスはにまーっとする。


「むぅ、私は強いよ!」


 リリスの売り言葉に、イルゼはぷくっと頬を膨らませる。


「力は強くてもお主の心はよわよわじゃよ! まあその時になったら余の胸でいくらでも泣かしてやろう。なっはは!!」


「むぅ……でも、リリスの胸で泣くのはちょっと楽しみ、かも」


 豪快に笑うリリスを横目に、イルゼは故郷に着いたらリリスの服を涙でぐしゃぐしゃにしてやろうと決めた。


 二人がそんな話をしている頃、父親の目がイルゼ達に向けられる。


「なあ、アデナ。そろそろ私たちにあの人達の事を教えてくれないか」


 顔を上げたアデナに、父親が優しく語りかける。


「イルゼとリリスの事?」


 イルゼとリリスの周りには、続々と村人が集まりつつあった。


「そうだ。一体どういう経緯で、その、イルゼさんとリリスさんに会ったんだい?」


「えっと山菜を取りに行ってたら……」


 アデナが父親にイルゼ達との出会いを語っている間、イルゼとリリスは村の子供達に包囲されていた。


「あの、傭兵を倒す姿、すごいかっこよかったです。俺、惚れちゃいました結婚して下さい!」


「あ、待てよ。抜け駆けするなよ!」


 二人の少年がイルゼに愛の告白をしたものの、イルゼは興味なさそうに目を細める。


「ん。私は君達とは結婚しない。だって私より弱いから」


 イルゼの塩対応に、隣にいた魔王が躍り出た。


「そうじゃ! イルゼは余のように強い者が好きなのじゃ!!」


「リリスも今は弱いけど?」


「ぬぁっ!?」


 口下手なイルゼは、出来るだけ会話はリリスに任せるようにしていた。この旅の道中、自分の失言のせいで幾度となく痛い目にあってきたからだ。


「ねーねーお姉さん……」


 イルゼの強さと美しさに惹かれた子供達がイルゼの元に集まってくる。もしも傭兵達を殺していたら、怯えられて近くに寄ってくることさえなかっただろう。


 行動一つ違えば、迎える未来も変わってくる。


 選択一つで、何かが変わる事だってあるのだ。


「ぬっ! お主、裾を引っ張るでない! 伸びてしまうだろう!!」


 傭兵達を倒したイルゼに、子供達の親は心配そうな顔を浮かべるが、天真爛漫なリリスがいる事からか、警戒心がいくらか和らいでいた。


 一人の少年がリリスに近づく。


「うわーこっちのお姉さんは胸でけぇー! お前より大きいんじゃね」


 幼馴染なのだろうか、少年は自分の隣にいた少女を指差してからかう。


「ソー君!! あ、友達がごめんなさい。でも本当に大きいですね。何を食べてるんですか?」


 少女がリリスの胸をまじまじと見つめる。


「うむ。大きくなるコツは好き嫌いしない事じゃ。のうイルゼ?」


「むっ、嫌いな物は嫌い」


「だから育たないのじゃぞー」


「うるさい!」


 二人がきゃいきゃい騒いでいると、村の男衆がイルゼに捕縛された男達を移動させていた。聞くところによると、明日衛兵に引き渡しに行くまで納屋に閉じ込めておくのだという。


 イルゼはそれを聞いて、とことこと捕縛された傭兵達の元へ行くと、彼等にだけ聞こえるように声を殺して言った。


「逃げようとしたら殺すから」


 ギースを含め傭兵達は、イルゼの冷たく、酷く低い声にコクコクと頷いた。


「ん。期待してる」


 何を期待しているのだと思わずツッコミたくなる彼等であったが、それを聞けば命が無くなることは分かりきっていた。


 満足そうに傭兵達を見送るイルゼの元にリリスがやってくる。


「ふむ。全員ちゃんと生きておったのう。何人か怪しいのがおったが」


「私リリスの言いつけちゃんと守ったよ。何人かは下手に暴れたから余計傷ついただけ」


「まあそのくらいなら目を瞑ろう。イルゼ良い子じゃな」


 イルゼの頭を優しく撫で、イルゼは「えへへ」と気持ちよさそうに目を細めた。


 そこへ、アデナから一通りの事情を聞き終えた彼女の父親がやってきて、コホンと一つ咳払いする。


「Sランク冒険者のイルゼ様。そしてご友人のリリス様。この度は村を救って頂き本当にありがとうございます。私はアデナの父親であり、この村の村長です。イルゼ様に捕まえて頂いた冒険者……いえ、傭兵達は明日、衛兵の方へ引き渡しに行きたいと考えています。大したお礼は出来ませんが、どうぞ今晩はうちに泊まって行って下さい」


 村の村長であると告げたアデナの父親が深々と頭を下げると、それに続いて村人全員が二人に頭を下げた。


(ん。アデナの父親が村長だったのは驚き。まだ若いのに、昔はもっとおじいちゃんがやってた気がする)


(ふむ。村長の役目はもっと高齢の人間がするものだと思っておったが、今は違うようじゃな。まったく余の開いた会議では凝り固まった考えをもった老人共しかおらんかったのに、今は随分と考え方が変わったものじゃ)


 イルゼ達は村人達から感謝の意を受け取りつつ、顔をあげるよう促す。


「ん。気にしないで。好きで助けただけだから」


「そうじゃ。人助けは旅の基本であるからな」


 リリスは何もしていないのにもかかわらず、胸を張り、周りが呆れ返るほどふんぞり返っていた。


「リリス…………」


 そんな微妙な雰囲気を壊したのはアデナの妹、ネルであった。


「ねえねえ、今日イルゼお姉ちゃんとリリスお姉ちゃんうちに泊まるの!?」


「ん。そういう事になる」


「うむ。今晩はお主の家にお世話になるのう」


 ネルは「やったー!!」と飛び上がり、アデナに飛びつく。


「もうネルったら。イルゼとリリスに粗相のないようにしなさいね」


「うん!」


 よしよしとアデナがネルの頭を撫で、イルゼ達に向き直る。


「イルゼ、リリス、家まで案内しますね。着いてきて下さい」


「ん」


「分かったのじゃ」


 アデナ家に向かう途中、ネルはずっとイルゼに話しかけ、その側をひっついて離れなかった。


「イルゼお姉ちゃんってすっごく強いんだね! ねえ、他にはどんな事出来るの!?」


「……バックステップとか?」


「なにそれ!? どんなのどんなの!?」


「ん。足をこうキュッキュッとやって後ろに下がる……後で見せてあげる」


 説明の途中で自分が説明下手な事を思い出し、後で見せた方が早いとイルゼは説明を切り上げる。


「えーじゃあ、好きな物はなに? 好きな人はいるの!?」


「む、むぅ……」


 ネルは自分の村を悪者から救ったイルゼに憧れを抱いているようで、イルゼもちょっと迷惑そうな顔をしながらも、ネルの質問攻めに答えていた。


 心中穏やかではないのはリリスだ。


 先程からリリスはネルに、イルゼから離れろーというオーラを放っているのだが、純情無垢な幼子には全く意味を成していないようだ。


(イルゼお姉ちゃんは、私のお姉ちゃんにするんです!)


 リリスはネルと一度目があったのだが、にこっーと笑っただけでイルゼから離れてくれなかった。


 ので、リリスは焦りを募らせる。


(ま、まずい。このままではイルゼの隣を取られてしまう気がしてならない。い、嫌じゃ、夜、イルゼのあどけない寝姿を見るのは余じゃ!)


 リリスが強引にイルゼの腕を取る。


「り、リリスッ!?」


「お主はこっちじゃ!」


「イルゼお姉ちゃん。私の話を聞いて!」


 そんな風に、右と左でイルゼの奪い合いをしている内にアデナ家へと着いてしまった。


 助かったとばかりにイルゼは二人から逃れ、家へと逃げ込む。


「むむっ!」


「もう、リリスお姉ちゃん邪魔しないでよ!」


 リリスとネルの勝負は持ち越しである。

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