第50話 アデナ そして鼓動
(ん。敵意はない)
相手が女性だという事で、幾らか警戒心を解いた二人であったが油断は禁物であった。
イルゼは鞘に手を置いたまま声を掛ける。
「貴方は誰?」
「えっと、私はこの近くに住んでいる者で、ここにはよく疲れを癒しにやって来るんです」
女性の声音と言動からして、嘘を言っているようではないとイルゼは判断し、リリスと見合う。
「ん。そうなんだ。私は冒険者のイルゼ」
「余は此奴の親友のリリスじゃ!」
イルゼは鞘から手を離し、小声で寒いと言って冷え切った手を温泉に沈める。
二人の自己紹介に女性は酷く怯え出す。
「え、冒険者!? すみません、邪魔なら帰りますのでどうか乱暴はしないで下さい!!」
冒険者という言葉に強く反応し、女性は怯えた声でしきりに謝り倒し始める。
イルゼは小首を傾げた。何故ここまで怯えられるのだろうと。
疑問を抱いたのはリリスも同じだった。
「私は乱暴なんてしない。だって剣聖だから」
イルゼに女性を傷つけるつもりはなかった。それは冒険者としても剣聖としても当然のことだ。
「剣聖? 冒険者とは違うのですか?」
「ん。そう。私はみんなを守るのが役目だから」
「そうじゃぞ。イルゼはとっても優しい子なのじゃ!」
それに冒険者とは元来、人を守る役目も担っている。なのに何故この女性は、冒険者にここまで怯えているのだろうとリリスは首を捻る。
(……考えるより、本人に聞いた方が早いの)
リリスは熟考した末、その結論に至った。
決して、考える過程で面倒くさくなった訳ではない。
女性は恐る恐るといった様子でイルゼ達に近づく。
イルゼ達もようやく、女性の姿を目で捉える事が出来た。
女性は10代後半といった様子の大人びた少女だった。
少女もイルゼとリリスの姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「ええっと、ではご一緒させてもらって良いですか? 入った後にお金とか取りませんよね?」
「全然良い。あとお金には困ってない」
「は、はぁ。では……」
イルゼの答え方では、とる人からとればお金に困っていたら金銭を要求していたと捉えられてしまうのだが、幸いにも少女は、イルゼにそういう意図はないと気付いてくれた。
亜麻色の髪を紐で束ね、衣服を岩に掛ける。少女はスラリと伸びたしなやかな足に、雪のような白い肌をしていた。
少女は足の先端から、ゆっくりとお湯に浸かる。
「失礼します」
少女が肩までお湯に浸かり、顔にバシャバシャとお湯を掛ける。
「暖かい、生き返りますー」
少女は心底気持ちよさそうに、岩を枕にして頭を預ける。彼女にはこの時間が何よりも至福の時であった。
「今までは死んでたの?」
「イルゼ。今のは比喩表現みたいなものじゃ」
「ん。なるほど」
イルゼがブクブクと泡を出しながらリリスに近づく。しかしリリスはイルゼの仕返しを警戒しているのか一定の距離を保つ。
「むっ、リリス逃げないで」
「逃げとらんぞ。軽く泳いでるだけじゃ」
その内リリスが少女の横に流れ着く。少女は気持ちよさそうに目を閉じて温泉を堪能していた。
「のう、お主」
「え? は、はぃ!!」
「そんなに驚かなくても良い。それに敬語でなくて構わん。お主、名前は何という?」
少女はリリスに声を掛けられるまで、隣にリリスが来ている事に気が付いていない様子だった。
「わ、私ですか? 私はアデナって言います」
「そうかアデナというのか。して、どうして先程は冒険者に怯えておったのじゃ?」
「えっとそれは……」
アデナがちらりとイルゼの方を見る。
「イルゼなら心配いらん。冒険者の事を悪く言って怒るような奴ではないわ」
リリスがアデナにそっと寄り添う。二人の距離の近さに、イルゼは眉間に皺を寄せた。
「……実は、私の住んでる村が三日程前から冒険者達に囲われてしまって、私の村は他の村と距離があり、孤立している為、助けも呼べず困っているんです。毎晩のように彼等は宴を開いて、村の酒や食糧を奪っていくから……お陰で村は食糧が枯渇してしまっていて、こうして山に山菜などを取りに来ていたんです」
「そうじゃったのか……イルゼ、今の話を聞いてお主はどう思った?」
リリスがイルゼの方を見ると、少し膨れっ面をしていた。
「ん。悪い奴ら。でも私より弱いと思う」
イルゼは二人に近付くとアデナからリリスを離す。
「おおっ、イルゼどうした?」
「なんでもない」
そう言いながらもリリスを引っ張り、アデナと距離をあけさせた。
「あの、イルゼさん?」
「イルゼでいい」
「えっとイルゼ、冒険者の方々は全員ガタイの良い男性ばっかりだったから、イルゼのような華奢な子が勝てるとは到底思えません……気を悪くしたらごめんなさい」
「ううん、別に気にしない。アデナの方が年上だけど、胸が一緒くらいだから」
「えっ? 胸?」
「今のは気にせんでよい。それにアデナよ。こう見えてもイルゼはSランク冒険者じゃ。そこら辺の冒険者が束で掛かってきても、イルゼには勝てん」
「Sランク冒険者……聞いた事はあります。伝説上のものかと思っていました」
イルゼを含め、Sランク冒険者は5人しか居ない。なのでアデナ達のような孤立した集落に住むものにとって、Sランク冒険者など伝説上の存在にしか過ぎないのだ。
実際は大きな国や街に行けば、Sランク冒険者がいる事は誰もが知っている事実なのだが。
アデナにとって集落の中が全てで、それ以外を知らなかった。
冒険者と遭遇する自体、今回が初めてなのだ。
初めて会った冒険者が粗暴であった為、アデナは冒険者に良くないイメージを抱いてしまっていた。
「ですが、その冒険者達は元傭兵と言っていました。私は詳しくありませんが、傭兵とは実戦経験を積んでいるので普通の冒険者よりも強いのでは?」
イルゼはふと、五百年前はどうだったのかを考える。確かにあの時代にも傭兵はいたが、そんなに強いという印象はなかった。
「ううん、弱い。私の方が実戦経験豊富」
「確かにお主は盗賊を皆殺しにしたものな」
「それは間違い。一人は残した」
二人の会話を聞いて、アデナは本当にイルゼが強いのではと思い始める。しかし、もしもそれがアデナの勘違いで目の前の麗しき少女達が自らの実力を過信しているだけだとしたら、彼女達はきっと男達に負け、酷い目に遭う事は明白であった。
しかしアデナに選択肢はなかった。
村は既に冒険者達に支配されてしまっている。
誰かが助けを呼びに行けば、村人を全員殺すと脅されていたからだ。
村には何人かの冒険者が常駐している為、帰ってくるのが遅いと怪しまれた。
ここ数日、アデナは山菜取りに出かけるフリをして助けを呼ぼうと奔走したが冒険者どころか人に会う事さえなかったのだ。
アデナがイルゼ達に出会えたのは、偶然の産物である。
イルゼとリリスが地図を見ながら正規ルートを通っていたら、会うことなどなかったのだ。
「あの……これも何かの縁ですから今日はうちに泊まって行ってはいかがですが? これといったおもてなしは出来ませんが、寝る場所と夕食くらいなら提供出来ます。その代わり……」
アデナの言いたい事は、鈍感なイルゼにも分かった。
「ん。私がその傭兵達からアデナを、村を解放する」
「ありがとうございます!」
「よし、そうと決まれば出発じゃ!!」
リリスが勢いよく立ち上がり、彼女の裸体が目に映る。
「――あ」
イルゼの目がリリスに釘付けになってしまった。
豊かな胸元、ほっそりとした腰、すらりと伸びた長い足は見慣れているはずのイルゼが見ても色っぽく、つい見惚れてしまう。
そんなイルゼの視線をリリスはサッとタオルで隠す。
「イルゼ、そんなにまじまじと見られるとちと恥ずかしいぞ」
「ご、ごめん」
イルゼもサッと目を背けるが、普段と違い少し顔が赤かった。
(なんじゃ? いつもより反応が初々しいしいのう)
リリスはもう一度イルゼの前に立ち、屈む。イルゼの視点から丁度リリスの谷間が見える位置だった。
「リリス……やめて。恥ずかしいんでしょ?」
「そりゃ恥ずかしいが、お主の顔の方がもっと恥ずかしそうにしてるぞ」
「う、うるさい。もう出る」
イルゼは目を背けたまま、服と鎧を掴むと湯気の中に消えて行った。
「ふむ。ああいうイルゼも可愛くて良いのう」
強い風がリリスを通過する。
「へぶしゅ! うう、流石に冷えてきたのう。お主も早く着替えた方が良いぞ」
アデナにそう言うと、リリスはイルゼとは反対方向の湯気の中に向かった。
一方、足早に去ったイルゼは左胸を押さえていた。
(なんで、心臓がドキドキしてるの? こんな事初めて……)
暫くすると動悸は収まったが、原因は分からなかった。
(とりあえずリリス達と合流しよう。病気じゃないといいな)
またリリスを見たら心臓がバクバクするのではないかと思ったが、ドレス姿のリリスに「さっきはどうしたのじゃ?」と聞かれても、鼓動は速くなる事なかった。
「ううん。なんでもない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます