第49話 秘湯

 イルゼとリリスは地図を頼りに、ウルクスという都市国家を目指していた。


 ここへは食糧の買い足しと観光を兼ねて訪れる予定だ。


 サラから近くを通ったら、是非一度立ち寄ってみて欲しいと言われていたので、イルゼもランドラに帰ってきた時の土産話の一つとして早くから行ってみようと決めていた。


 それにもう一つ、この時期はイルゼにとって嬉しい催し物がやってると聞いて、イルゼは期待に胸を膨らませていた。

 しかしそれをリリスに悟られてはいけなかった。何故なら戦闘狂と言われかねないからだ。


「ん。ついでに故郷についての情報も欲しい。剣聖が誕生した村はどこですかって聞いたら知ってる人がいるかもしれないから」


「……また余が記憶を覗くのはどうじゃ?」


「あれってリリスも魔力を結構消耗するんでしょ? この間2回したら顔色悪そうにしてた」


「確かにそうじゃが……余はイルゼの為なら」


「ん。嬉しいけど、毎日はリリスの負担。定期的にしよう」


「う、うむ。そうじゃな」


 本当はイルゼと額をくっつける口実になるから、気分を悪くしてでも無理に行っていたリリスだったが、イルゼに心配されては元も子もなかった。


「それにリリスが覗ける記憶も断片的な物が多いから、なかなか村の名前が分からない。ちょっとがっかりした」


 イルゼの言葉に少しショックを受ける魔王であったが、魔王はそんな事ではめげない。


「村と分かった事だけでも進歩したじゃろ。それに他方から人が来なければ自分の村の名前を日常会話で口に出す者もそうおるまい」


 イルゼの記憶は剣聖として育てられていた記憶の方が多いから記憶を遡るのも一苦労なのじゃとリリスは文句を垂れる。


「嫌な記憶も多いしの……」


「ん。それはごめん」


「気にせんでよい。イルゼを剣聖として迎える為に使者が訪れた記憶があると余は思う。そこでなら恐らく村の名前を使者が出した筈じゃ。なになに村のイルゼをこの度剣聖として迎え入れるとな」


「ん。言われたような言われてないような……リリス頑張って」


 結局全てを丸投げされる魔王であった。


 幾らイルゼの超人的な勘があっても、この広い世界から自分の故郷を探す事は魔王であるリリスを見つける事よりも難しい。


 魔王はなんとなくだが、剣聖に敗れた場所で復活するという予感がした為、あっさり見つける事が出来た。


 しかし故郷ともなるとそう上手くいかない。何故ならイルゼは五百年間眠らされていた影響で過去の記憶を失っているからだ。


(お母さんの事も、もっと知りたい)


 今のイルゼは記憶に関してはリリスに頼る他なかった。自分の勘には限界が有るのだ。


 自分の母親はどんな人だったんだろうとあれこれ想像していると、隣の魔王が小悪魔めいた笑みを浮かべる。


「イルゼ。お主がウルクスに立ち寄りたい本当の理由、余には分かるぞ」


「……なに? 言ってみて」


 イルゼが目を細め、リリスが自身ありげに腕を組む。


「ずばり闘技場があるからじゃろ!!」


 イルゼの事を指差しながら、正解を言い当てる。当てられたイルゼは思わず後ろにたじろぐ。


「――っ、なんで」


「サラから聞いたのじゃろ? 余もサラから教えてもらったのじゃー! なははっ!!」


「サラの馬鹿。リリスには教えなくていいのに」


「戦いたくてうずうずしてるのじゃろ? この戦闘狂ちゃんめがー!」


 イルゼがむうっーと頬を膨らませ、リリスがツンツンと赤くなったほっぺをつつく。


「別に積極的に戦いたいわけじゃない! ただ、強い人がいたら手合わせてしてみたいだけ。これは剣聖のさが


「そうか、そうか。そういう事にしておいてやろう」


 リリスが快活に笑いながら前を歩く。イルゼも「リリスっ!」と抗議しながらその横に並んだ。


◇◆◇◆◇


「ふあ〜」


「気持ちい」


 二人は岩に囲まれた天然の温泉で身を清めていた。岩の上には黒のドレスが綺麗に折り畳まれており、その横には乱雑に投げ置かれた鎧と下着があった。


「こんな所に温泉が湧いておるとは。余輩はついておるの〜」


「ん。1日ぶりのお風呂。昨日は宿を見つけられなくて入れなかったから」


 山岳地帯を歩いていた二人は、少し道に迷ってしまい公道への道を探している内に偶然この温泉を見つけた。


 そして片手で温度を確かめた後、誰も見ていない事を確認して温泉に飛び込んだのだ。


「この温泉にありつけたのは余のお陰じゃな」


「ん。確かにリリスがたまには地図を見ないで歩こうって言ったのが始まり。温泉は見つかった。でももう暗くなる。また野宿」


「あとの事は後で考えればいいんじゃよー。あー極楽じゃ」


 リリスが肩まで温泉に浸かり、恍惚とした表情で空を見上げる。


 もう夕暮れ時だった。


 リリスの隣では、『水鉄砲』という相手の顔にお湯をかける技を会得しようとイルゼが一生懸命練習していた。


 そんなイルゼを見て、リリスの中で悪戯心が芽生えた。


 リリスはそっと近寄り、下から手を伸ばす。


「ひゅん! リリス変な所を触らないでよ。くすぐったい」


 イルゼが勢いよく飛び上がる。余程くすぐったかったらしい。


「別にお尻くらい良いではないか、同性なのだし」


「それでも故意にお尻を触るのはおかしい」


「故意ではない偶然じゃ偶然じゃ。お主だって余の胸を好き放題触るではないか。手を伸ばしたらそこに胸があったとか言って」


「それは……」


「ふふっ、だからおあいこなのじゃ」


「むぅ…………」


 リリスがべったりとイルゼに抱きつく。イルゼは不服そうな顔をしている。


 そして可愛らしく、「えいっ!」と小さく声を上げ、イルゼはリリス目掛けて水鉄砲を発射した。


「あぎゃ!! 目に、目に水が入ったー!」


「ん。成敗」


 リリスがタオルタオルと手探りで探すが、中々見つからない。リリスは仕方なく、目に水が沁みる事を覚悟して目を開けるとイルゼがリリスのタオルを持ってニヤニヤしていた。


「お探しのものはこれ?」


「い、イルゼーー!!」


 リリスがイルゼに飛びつく。

 二人が久しぶりの温泉できゃいきゃいしていると、誰かがやって来る気配がした。いち早く気が付いたイルゼがリリスに知らせる。


「ん! 誰か来た」


 二人はサッとお湯の中に身体を隠し、顔だけ出して様子を窺う。


「湯気が立ち込めていて何も見えんのう」


 湯気で相手の姿が見えない。イルゼは剣をすぐに取れる位置に移動する。オメガの使徒という可能性もあるからだ。


 そして同時に男だったら殺しはしないが、容赦なく気絶させる予定だった。


「あの……そこに誰かいるんですか?」


 警戒する二人の元に、声が掛かる。


 若い女性の声だった。

 

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