第31話 脱出 そして追走

「リリスッ! リリスッ!! どうしよう、どうやったらここを……ああ早くしないとリリスが! リリスが!!」


 普段の落ち着いたイルゼはどこへいったのか、今のイルゼは周りが見えなくなっていた。


 そんなイルゼを落ち着かせようとリーゼがイルゼの肩をガシッと掴む。


「イルゼ様しっかりして下さい! リリス様はきっと大丈夫です。早くここから出て助けに行ってあげて下さい。私が――職員だけが知っている秘密の通路がありますから、そこから抜け出しましょう」


「え、本当?」

「はい、本当です」


 リーゼのつぶらな瞳が、イルゼに強い意志をぶつける。


「ん。リリスは大丈夫。きっと大丈夫」


 自分に言い聞かせるようにイルゼは何度も「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。リリスはあれでも魔王なのだから簡単には死なない筈と。


 しかし不安は完全には払拭しない。


 だが、リーゼの言葉にイルゼは少しだけ落ち着きを取り戻す。


「…………イルゼ様。リリス様を助けに行く為には、まずはこの扉をイルゼ様に開けてもらわないといけません」


「え、どういう事? さっき秘密の通路があるって……」

「あります。ですがそれはこの書庫の外なのです」

「それじゃなんの意味も……」


 イルゼの顔色が再び怪しくなる。今にも泣き出してしまいそうだ。しかしリーゼの次の一言でその真意が分かった。


「いいえ、ここを出てもこの図書館から出る事は恐らく出来ません。先程のオメガの使徒とやらが魔道具のような物を使って、意図的にこの図書館を封鎖していたのを遠目から見ました」


 それはリーゼが、オメガの使徒に捕まる前に自分の目で見て手に入れた情報であった。そこで見たものをイルゼにも詳しく説明する。


「図書館一帯に、人が入れないように障壁のようなものを張っているようです。魔道具か、もしくは無属性魔法の類なのかもしれません」


「あいつらが魔導書を手に入れたって事?」


「はい、その可能性はあります。他国では魔導書を闇市場や違法な取引ルートで高値で売買されていると聞きます。他国には魔法の衰退をよくないと思っている人も多いのです。そこは考え方の違いですね……なので意図的に魔導書を流通させている国……または人物が一定数いるのですよ」


「へぇ……」


「考え方は……人それぞれなんです。私は魔法を使って悪事を働く輩が嫌いです。だから立派な司書になって自分の街にある魔導書だけは守り抜いて見せる。そう心に決めて司書になろうと決心したんです。元よりこの街はエリアス王国の庇護下にもありますし、魔導書の流通を禁じていましたから私が頑張るまでもなく、他国や他者に魔導書を渡る事なんて起きませんでした。でも、私は魔導書を本当に欲しがっている人や有効に使ってくれる人にしか見せたくありませんし、渡したくもありません。イルゼ様のような人の方が珍しいんですよ。世の中、魔法のような便利なものが有ればそっちに頼ってしまうものですから」


「ふーん……」


 イルゼは生返事をする。

 イルゼにとって魔法が衰退しようが、発展しようが、どちらでもいいと考えているが、リーゼ本人は魔法がいらない世界を強く望んでいた。


 リーゼがどうして魔法をそんなに毛嫌いするのかイルゼには分からないが、今はその理由を聞く時間も惜しかった。


 事態は一刻を争う。


 リリスが”暴虐の魔王リクアデュリス”として復活を果たしてしまったら、倒さないと……もう一度殺さないといけないのだ。


「…………あ、そういえばリーゼの上司は?」


 今更ながら、イルゼはあの場にいなかったリーゼの上司を思い出し、その安否を心配する。


「あの人は……時間を稼ぐと言って彼等に抵抗し、殺されました。私は抵抗しなかったので殺されませんでしたが、扉を開けさせる為にわざと殺さなかっただけかもしれません……今考えてみると、どちらでも良かったんでしょう。そのまま私は彼等に脅されてイルゼ様達の元に……ごめんなさい。私怖くて、短刀で脅されて……何か余計な真似をしたら殺すと言われていたんです。だから、その、私が……」


 今度はリーゼが「私のせい、全部私のせいなんです」と目尻に涙を浮かべ、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。今のリーゼに、先程までイルゼを落ち着かせようと奮闘していた頼れる女性の面影はなかった。


 今はただ不安に怯える少女の一人である。


「リーゼ……」


 震えるリーゼの姿が酷く小さく見えた。


 まるであの頃の自分の様に。


「リーゼは頑張った! リーゼは悪くない。悪いのはあいつら」


 気付けばイルゼは、リーゼを強く抱きしめていた。


「ううっ、ごめんなさい、本当にごめんなさい」


 リーゼの肩は震えていた。そしてイルゼにひっしりとしがみつく。


「年長者として、年下の女の子にしがみつくなんて恥ずかしいですよね」

「恥ずかしくない。リーゼは女の子、泣いていい」


「自分より年下の子に、女の子と言われましてもねー」


「むっ、そうだった」


 気丈に振る舞って見えても、身を守る力の無いただの一般人である彼女には、厳つい顔をしたビルク達に上司を目の前で殺され、短刀を突きつけられたのは余程怖かったのだろう。


「少しの間……こうしていていいですか?」

「ん」


 イルゼは暫くの間リーゼに自分の胸を貸し、彼女の栗色の髪を優しく撫でた。


「大丈夫、安心して。リーゼはSランク冒険者の私が必ず守るから」


「ありがとうございます。これ、私が男性だったら絶対惚れちゃってますね」


「むう。言う相手はちゃんと選んでる」


「それは、嬉しいですね」


 穏やかなムードが漂う書庫内で、二人は暫くの間、とりとめのない会話を続けた。


 リーゼが「もう大丈夫です」と言う頃にはイルゼも完全に自分を取り戻していた。


「イルゼ様も、もう大丈夫そうですね」


「さっきはちょっと取り乱してた。でも今はもう平気。全部リーゼのおかげ」


 イルゼは扉の前に立ち、普段は直感、腕力、技巧頼みで使うことのない魔力を拳に集める。


 扉は開けれないが、全力で拳を叩き込めば破壊する事は可能だとリーゼから説明を受けた時からイルゼは確信していた。


 剣で叩き斬るという選択肢もあったが、ぶ厚い扉に愛剣が傷つく可能性があったので魔力を使って扉を破壊する方向にシフトした。

 

「んっ…………壊れろーーーー!!」


 大きな音がして魔力を上乗せしたイルゼの拳が扉に炸裂する。さすがに一回で壊す事は叶わなかったが、扉は酷くひび割れ、あちらこちらに亀裂が走っていた。


「ん。もういっかい」


 イルゼはマイペースに拳を連打する。軽めの拳数発で、あれだけ強固な作りになっていた筈の扉はガラガラと崩れ落ちた。



「――なっ、なんだぁ!?」


「――邪魔ッ!!」



 扉が崩れ落ち、何事かと顔を出した見張り役の使徒を飛び出しざま足蹴りで一蹴し、リーゼを連れ秘密の通路に急ぐ。


(え、Sランクの冒険者様とは聞いていましたけどこんなに凄い方だとは……私より年下なのに自分より背の高い人をあんなに簡単に……)


「リーゼどっち!?」


「あ、こちらです! 隠し通路は司書室にあります」


「ん。分かった」



「剣聖が逃げたぞッ!!」


 館内から騒ぎを聞きつけ、続々と集まってきたオメガの使徒達を蹴散らしながら司書室へとイルゼ達は向かう。


(使徒って何人いるの? 今もう二十人くらいはぶっ飛ばした)


 倒したオメガの使徒達は、外套を身に纏い、一切容姿が分からない者達と荒くれ者の冒険者に分かれていた。荒くれ者の冒険者はビルクの部下だ。元々頭数は少ない。


「げへへへへ、あん時はよくもビルク様を!」


「うるさい! ゴブリンみたいな顔して」


 肘を相手のみぞおちに打ち込み、行動不能にさせる。


「ぐぼっ!!」


 ビルクの配下である冒険者達は特に脅威ではなかったが、ローブを着た者達はかなり対人戦に慣れていた。


「――ふッ!!」


「んっ!!」


 放ってくる刃には毒が塗られており、掠っただけでも命の危険がある。


「魔王様の為に、死ねッ!」


「リーゼ危ないッ!!」

「ひゃっあ!?」


 リーゼに放たれた毒の刃を愛剣で弾き返し、そのまま使徒に直撃させる。


「ぐあッ!!」


 使徒はすぐさま解毒薬を投与するのかと思いきや、「ああ、この身はもうすぐ朽ち果てるでしょう。生きてる内に貴方様の元にはもう行けません……ですがこの身は全て貴方様の物」とのたまいながら、イルゼ達に向かって自爆を仕掛けてきた。


 身体に爆発物を仕込んでいたのだろう。


「んッ!」

「わ!!」


 イルゼはリーゼを抱え使徒から離れる。


 間一髪の所で爆発から逃れ、自爆を行った使徒は他の使徒を巻き込んで爆死した。


「ん。なんて奴ら!」


「本当に同じ人間なんでしょうか」


 彼等はすでに狂っている。だから躊躇なくイルゼに捨て身の攻撃を仕掛けてくるのだ。


 それがまた厄介だった。


「くっ!!」


 リーゼにも容赦なく繰り出される鋭い斬撃を防ぎながら、イルゼ達はなんとか目的の司書室へ辿り着く。


 途中、館内に使徒達以外の姿が見えなかった事と他の死体が無かった事から、他の職員や一般客はどこかに閉じ込められているのではないかと推測する。


 だが、今は他の人を探している時間も助ける時間も惜しい。


 それに彼等が館内にいた客や司書達を閉じ込めたというなら、すぐに殺すような真似はしないだろう。


 恐らく人質だ。なら時間はある。


 この街にはもう一人Sランク冒険者がいるのだから、この図書館は彼に任せれば問題ない。


(ん。ライアスなら、こいつらなんかに遅れをとらない)


 イルゼが後ろを振り向く。

 後ろから追ってくる連中は、「魔王様の為に、魔王様の為に」とぶつぶつ呟きながら、ゆっくりと近づきていた。


(行き止まりだと思ってる? だったら残念。こっちには秘密の抜け道がある)


 イルゼがリーゼの背中を守っている間、リーゼは書庫の扉を開けたように何もない壁に向かって指をなぞり、その通路を開く。


 一瞬、眩い光が立ち込め、リーゼに背を向けていたイルゼ以外の全員がその光を浴びる。


「あうっ、眩しい! でも良かった緊急マニュアル通り開きました」


「リーゼよくやった。行くよ!」


 眩しい、眩しいと目を押さえながら呻くリーゼの手を引きながら、壁に紋様が書かれた異空間の様な通路を進む。イルゼ達が中に入ると入り口は閉まり、使徒達はこれ以上追って来れない。


(光の射す方へ……)


 光に導かれるまま歩き、外へと出る。そこは見慣れた街、見慣れた建物。冒険者ギルドの前だった。


 いざと言うときの為に、設置された魔導機器――高度な転移装置である。


「はひぃ。出れました」


 ぺたりとリーゼが地面にへたり込む。


「リーゼ。リーゼはギルマス達に『オメガの使徒』の襲撃に遭いリリスが連れ去られた事を伝えて、私は先にリリスを追うとも」


「は、はい。僭越ながらイルゼ様お一人で大丈夫なのでしょうか? 他に誰か別の冒険者を……」


「ん……いらない。一人の方が楽」


 脳裏に一瞬ルブの姿が映ったが、何が起こるか分からない先でまた魔剣を取り込んだ化け物が現れたらルブでは力不足、リリスとルブを同時には守りきれないと判断した。


 ギルマスくらいにでもならないと、あの怪物の相手は到底出来ない。


 イルゼが脱兎の如く走り出そうとした時、リーゼにリリス様がどこに居られるのかイルゼ様には分かるのですかと聞かれ、イルゼは



「何となく分かる」



 とだけ答えた。その後、リーゼの報告を聞いたギルマス達を呆れさせたのは言うまでもない。

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