幕間 馬車の中で

「へえ、じゃあリリスさんは魔王様なんですね!」


「そうじゃ余は“暴虐の魔王リクアデュリス”様なのじゃ。どうじゃ恐れいったか!?」


 腕を組んで尊大な態度を取るリリスに「「「ははー!!」」」と少女達は声を揃えてリリスに平伏する。少女達は冗談でやっているのだが、リリスは至って真面目にやっていた。


「ぬははははっ! どうじゃイルゼ、この者達は余の配下になるらしいぞ」


 リリスは御者台で手綱を握っているイルゼに話しかける。その隣には手綱を引くしかやる事のないイルゼの話し相手にと、同じ年頃の少女が腰掛けていた。


 盗賊に捕まっていた少女達の中では一番年上である。


 攫われた少女達は10から13歳までの子がほとんどで、盗賊達がまだ大人にも満たない年半ばの少女達を誘拐したのは、ひとえに立派な商品にする為の教育がしやすいからだろう。


「イルゼさん、イルゼさん。リリスさんがまた騒いでますよ」


 御者台でこっくり、こっくりしていたイルゼに少女が話しかける。


 少女の名前はククルと言った。


「ふぁ?」


 パッと起きたイルゼがククルに「ありがと」と柔和な笑みを浮かべ、リリスの方に顔を向ける。


 イルゼは本気で寝ていたわけではなかった。


 その証拠に手綱はしっかりと握られ、公道から逸れる事なく馬車を走らせていた。


 だからククルも安心して馬車から見える景色を拝んでいられた。


「リリス。その子達はリリスの配下になるなんて言ってない。あとうるさい。静かにしないとリリスにまた代わってもらうよ」


「ぬっ! それはいいの……」


「「「絶対ダメです!!」」」


 イルゼは軽い冗談のつもりだったが、至って真面目な少女達が声を揃えて反対する。



 少し時間を遡る。


 盗賊を討伐してから数時間、イルゼはずっと一人で馬車を走らせていた。


 イルゼは『剣聖』であるがため、このような行軍には慣れている。だから疲れる事はないのだが……長時間何も変わり映えのない事をしていて集中力が切れかかっていた。


「イルゼさん大丈夫ですか?」


「ん。つかれた」


 イルゼが疲れたから休みたいと言ったが、少女達の中で手綱を満足に引ける者はいなかった。そこで「では余が代わってやろう」とリリスが手綱を持ったのだが……そのせいで少女達は散々な目に遭った。


「ぬー……とりあえず引けばいいのかの。ふんッ!!」


 リリスが大きく手綱を引き、馬は声を荒げ走り出す。


 リリスは馬車など引いた事がなかった。だから当然扱いは下手くそなのだが、馬車は絶妙なバランスを維持して猛走した。


 リリスが手綱を引くとあまりにも運転が荒かったのだ。


 だが馬車が転倒する事だけはなかった。リリス本人は「転倒なんてするわけがないじゃろ!」というが、転倒しなかったのは奇跡に近い。



「リリスさん! 荒い、荒いです!! 目が回ります」


 右に左に、時に急ブレーキをかけながら走る馬車の中ではイルゼを含めた少女達がごろごろと転がっていた。


「なはははははっ! 初めて御者というものをしたがなんとも愉快よのう!!」


 あまりにも破天荒な運転に一人の少女が馬車から落ちそうになる。


「きゃあああああー!!」


「危ないッ!」


 イルゼが咄嗟に少女の襟首を掴み、少女は落ちずにすんだ。


「は、はうう〜」


 少女にとってまさに急死に一生の出来事である。


 イルゼも含め、少女達はもう黙っていられなかった。


「リリスさん!!」


「リリスだめ。みんなの命が危ない」


 暴走するリリスを少女達が羽交い締めにし、イルゼが手綱を持つ事でなんとか事なきを得たが、少女達はこんな目に遭うなど二度とごめんだった。


 その後リリスは、馬車の中で正座をして年下の少女達からこっぴどく叱られた。


「「「リリスさん!!」」」


「許してくれ〜わざとではないのじゃー!」


 イルゼはその様子を傍目で見ながら億劫そうに手綱を引こうとする。


 イルゼが疲れているのを見てとったククルが、緊張した面持ちで話しかける。


「あ、あの、良かったら私がやります! 私に馬車の扱いを教えてくれませんか?」


「ん? いいよ」


 イルゼはククルに馬車の扱い方を丁寧に教え込んだ。ククルは物覚えがよく、暫くすれば一人で任せられるくらいには上達した。


「もう平気そう。じゃあ、私少し寝るね」


「は、はい。ゆっくり休んでください」

「ん」


 イルゼはリリスの太腿に頭を乗せ、強制的に膝枕をしてもらう。


「なぜ余の太腿がイルゼの枕に……」


「胸の方が良かった?」


「む、胸枕!?」


 リリスはぶんぶんと首を振るい、ちょこんと座って大人しくイルゼの枕になった。


 暫く順調に走っていると、ククルから悲鳴が上がった。


「う、馬が言うことを聞いてくれません」


「ん」


 イルゼが起き上がり確認にいくと、馬がヘトヘトになっていた。


「ん。馬が疲れてる。少し休ませないと」


 リリスの荒運転で体力を消耗し、馬のスピードが落ちていたのだ。このまま無理に走らせれば、馬に負担がかかり過ぎる。


 馬を休ませる為、地図を確認して、ほとりの近くで馬車を止める事になった。


「ここで少し休憩。みんなも自由にしていいよ。あんまり遠くには行かないで」


「「「はーい!」」」


 リリスは馬とほとりで「どちらが多く水を呑めるか勝負じゃ!」と言って戯れ始め、少女達も馬車から降り、周辺でそれぞれの時間を過ごした。


「わーい!!」


 草原でごろごろと寝転がる少女もいた。


 普段の暮らしでは絶対に味わえない経験だ。なにせ、農婦の子である彼女達は日々の暮らしに追われ、満足に遊ぶ事など出来ないからだ。


 10歳を過ぎると家庭の為に働きに出る。


 職人の弟子や大工仕事、数ある職種の中でも人気の職種は貴族のメイドや下働きである。


 他の職種とは給料に大きな差があるからだ。


 ククルも今年から貴族のメイドとして働く予定であった。


 しかし、イルゼに助けられた事で、ククルの中で冒険者という職業に関心が高まっていた。


 おずおずといった様子で、ククルは剣の手入れをしているイルゼに話しかける。


「あのイルゼさんは剣聖……冒険者さんなんですよね?」


 イルゼは剣の手入れをやめ、ククルに体を向ける。


「ん。そうだよ。ククルは?」


「私はただの農婦の娘ですよ。だからでしょうかイルゼさんみたいな人に憧れちゃいます」

「だったら冒険者になればいい。たぶんククルは冒険者に向いてるから大成出来ると思う」


「そうでしょうか?」


「絶対そう。あとなんで敬語? 私たち同い年だよね?」


「お、同い年ですが、命の恩人にそんな気軽に接しれませんよ……」


「そうなの? 私は気にしないよ」


「イルゼさんが気にしなくても私が気にするんですよ」


 イルゼと他愛もない会話をしていると、口に人差し指を当てたリリスがこっちに来たそうにしているのに気付いた。


「あ。私、他の子の所に行きますね。イルゼさんと話したそうにしている方がいらっしゃいますので」


「ん? 分かった」


 ククルは去り際、リリスにアイコンタクトを送る。リリスは自分が見ていたのに気付かれ、少々恥ずかしそうに頬を掻く。


「風が気持ちい」


 イルゼは草原の上で思いっきり寝そべり、空を見上げる。


「平和」


 どこまでも青く澄んだ空に、小鳥のさえずり。そしてときおり吹く風が心地よかった。


「隣失礼するぞ」


 イルゼの隣にやってきたリリスも草原に横になる。


「本当に綺麗な空じゃ。どこまでも青いのう」


「ん。ずっとここに居たいくらい」


「故郷に行くのじゃろ?」


「うん」


 イルゼが間髪入れずに答え、微笑んだ。


「?」


 そしてリリスを抱き寄せ、その瑞々しいほっぺにちゅっ! と短くキスをした。


「な……なな、ななな!!」


 リリスは顔を真っ赤にして、口づけされた箇所を押さえる。


「急にごめん。うまく思い出せないけどお母さんによくされてた気がして、つい。みんなこんな風になれたらいいのに。人と人、人と魔族の争いなんてなくなれば……そうすればリリスとだって――リリスはずっとそのままでいてね」


「んなっ……!!」


 「もうそろそろ出発しようか」と言いながら立ち上がると、イルゼはそのままスタスタと馬の元へ行ってしまった。


 置いてけぼりにされたリリスは、口をあんぐりと開けたままフリーズしていた。


「ブルルッ!!」


「ん。元気になったね」


 馬はもう十分休んだとばかりに鼻息を荒くしてイルゼを迎える。


「みんな、行くよー」


「「「はーい!」」」


 イルゼの呼びかけに少女達が集まる。



 一部始終を見ていたククルは、なんとなくリリスの気持ちを察してしまった。


 そして駆け足でポンコツ魔王の元へ行く。


 イルゼの事なら、出発した後「あれリリスは?」とでも言いそうであったからだ。


 最悪は自分もその仲間入りだと。


「……行きますよリリスさん」


 不意打ちでほっぺにキスされ、「ふぇ?」と固まってしまっていたリリスをククルが回収し、荷台に放り込んだ。


「ん。これで全員? じゃあ行くよ」


 イルゼが手綱を引き、馬車は再び進み始めた。

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