その日の夜、瑞希は帰りの遅い航平を待っていた。


 ガチャ。午前零時を過ぎ、日が変わった頃に玄関の扉が開いた。


「おかえり、航平」


 瑞希は玄関で航平を出迎える。


「おう。まだ起きてたんか?」


「うん」


 瑞希は航平の帰りを待ち、食事もとらず待っていた。


「先に食べて、寝ててよかったのに」


「うん。でもなんか、眠れなくって・・・」


 瑞希は嘘をついた。本当はバイトで疲れてヘトヘトだったのだ。けれど待っていたかった、仕事から帰る航平を。

きっと結婚をした女性は、こんな風に旦那さんの帰りを待つのだろう。

これはちょっとした瑞希の願望、普通の生活の真似事をしてみたかったのだ。


「先にご飯にする? それともお風呂?」瑞希はそう聞いたかと思うと、「それとも、あ・た・し?」と、今度は上目使いで航平に尋ねた。さすがにこれは言い慣れてないからか、瑞希は恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしている。


 航平はすかさず瑞希の頭に軽く手刀を入れる。


「痛っ! なによぉ~?」


 瑞希は航平の態度に、顔を赤らめたまま不満そうに頬を膨らます。


「どこでそんなの覚えたぁ~?」と、呆れ顔の航平。


 実はこれ、ドラマのワンシーンで覚えたもの。最近テレビを見始めた瑞希は、いろんな情報が偏っている。


「ちょっとは乗ってくれてもええやん!」


「アホ。高校生が変なこと覚えるな! それより飯や」


 航平はそう言って服を着替えに和室へと向かう。


 ――もう、航平のアホ! 少しは私の気持ちもわかれ。と、心の中で呟く瑞希。


「せっかく航平好みの下着を着けたのに」


 瑞希は今、航平が最初に選んでくれたピンク色の花柄レースの下着を身に着けていた。別にそれで何かをしてほしいと思ったわけじゃない。ただ選んでもらったやつを着けているのだと気付いてほしかったのだ。似合っていると褒めてほしかったのだ。

 瑞希はしょんぼりとしながら、食事の用意をする。すると背後に気配を感じる。


「おい、この服、下着が丸見えやないか」と、航平。


 瑞希は下着の上にキャミソールと短パンというラフな格好だった。そしてキャミソールからは、ピンクのブラがはみ出ている。


「誰か来たらどうするねん?」と、航平は瑞希の体に上着を掛ける。


「誰かって、こんな時間に誰も来ないよ」


「俺が帰って来るまでは? 誰か来たらその格好で出てたんか?」


「それは・・・」


瑞希は口を尖らせ小声になって行く。


「俺がおらん時にそんな格好するな。あんまり他人にそんな格好見られたくない」


 それはどういう意味だろう? 瑞希は航平の言葉を考える。けど何故か、瑞希はうれしい気持ちになっていた。

 航平が瑞希に見せた態度、それは嫉妬に似たもの。きっとそれが恋愛無知な瑞希にも伝わったのだ。


「わかった。一人でいる時はちゃんと上着を着る」


 その言葉を聞いて納得する航平。


 実は航平が帰って来るまでは、ちゃんと上着を着ていた。航平に下着をみてほしくて、航平が帰ったと同時に脱いだのだ。

 瑞希は、なんだか自分が航平にとって特別な存在になっているような気がして、うれしくなった。


「じゃあ、飯にするか」


「うん」


 航平は良いことをすれば褒めてくれて、悪いことをすればちゃんと怒ってくれる。うれしい時はちゃんと「ありがとう」と言ってくれる。今日も瑞希の作った料理を「美味しい」、「ありがとう」と、ちゃんと言葉で伝えた。瑞希はそんな航平が大好きだ。


 県警の留置場を出て二週間たらずなのに、瑞希は随分と変わった。それはきっと航平のおかげだ。きっと航平じゃなかったら未だに心を閉ざしたままだったかもしれない。

 瑞希は思う、あの留置場を出て本当によかったと。航平とここへ来て本当によかったと。あのままあそこにいたら、こんな気持ちには絶対になれなかったはずだ。

 瑞希は今、とても幸せを感じていた。ずっとこんな生活が続けばいいのにと。

 けど、それはきっと無理だ。瑞希は警察の駒なのだから。幸せを手にしても、きっとそれはいつかこの手から離れて行くんのだ。航平も、直美も、由咲も・・・ 全部全部、離れて行く。瑞希はそれを常に理解し、受け止めていなければならない。いつかその日が来た時に、心が耐えられるように。


「ねぇ、航平?」


「うん?」


「私ね、学校で友達ができたの」


「そうなんか?」


「うん。でもね・・・ 」


 瑞希が言葉を詰まらせる。瑞希の言いたいことは、航平にはわかっていた。しかしそこであえて航平は言う。


「友達になったら大切にしろ。きっと悪いことばかりじゃない」


「航平・・・ そう、かな・・・?」


「ああ。今は苦しいことがあったとしても、きっと後になってよかったと思える日が来る。それは絶対や」


 航平の力強い言葉に、瑞希は笑顔で頷いた。


 今、由咲といることが楽しいなら、そうしよう。いつか来る苦しいことも、その時に考えればいい。航平の言葉に瑞希はそう思うことにした。


 瑞希はその夜、疲れて眠る航平に初めて寄り添った。航平は疲れていて目を覚まさない。

 瑞希は航平の腕に頬を添わせ、眠りについた。

 大好きな人の腕は、とてもあたたかかった。


 今夜の事も、航平には内緒だ。



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