第77話 先に逝って待っておれ

 サザーランド北門城門上

 

 5000をも超えるグレイ・イネス・ナヴァロが率いるラドルの鉄の箱がサザーランドをグルリと取り囲む。

 対する新政府軍は、最後方にはマジロ将軍が待機を命じた5000の新政府軍。その前には2000ほどの赤肌仮面の男たちが隊列を組んで並び、その前にはあのアモンが佇んでいた。


「あの赤肌仮面のものたちは強いのですか?」


 恐る恐るある意味、聞くまでもないことを尋ねていた。


「まあな、儂が大枚をはたいて雇った傭兵と闘わしてみたが、ほぼ一瞬で食い散らかした。あれは人には勝てぬよ」


 案の定、マジロ将軍は自信満々に返答する。そもそも、ガーベージにはあの赤肌仮面たちの挙動が微塵も認識できなかったのだ。

 何より、ガーベージはともかく、マジロ将軍は戦の中で生きてきた人物。その将軍がここまで断定するのだ。あれは別格の化物なのだろう。もし、あれをウエィストが獲得できれば――。


「ゲッフェルト公爵閣下! 金はいくらでも払います。あれを私たちにもお貸しいただけないでしょうかっ!?」


 地面に這いつくばって懇願するガーベージを、ゲッフェルト公爵様は満足そうに見降ろして、


「もちろんだとも。商業ギルドを解体した後、世界経済を下支えするのは、通商連合のお前たちだ。このような玩具などいくらでも貸してやるわい。それはそうと――」


ゲッフェルト公がパチンと指を鳴らすと、背後の執事が黒色の小箱を開ける。ゲッフェルト公は、小箱に入っていた腕輪を無造作に鷲掴みすると、突き出してくる。


「これをやろう!」

「有難き幸せ!」


 ゲッフェルト公からの贈り物。まさか、これほど信頼されるとは思わなかった。震える手で腕輪を嵌める。

 

「ゲッフェルト公、出てきましたぞ。あの生意気な小僧です」


 単眼鏡により眺めているマジロ将軍が、心底、忌々しそうにそう吐き捨てる。

あの単眼鏡は最近市場に出回り始めた遠方を見る機器の一つ。おそらくこれもあのいけ好かないサガミ商会の発明だろう。


(いいさ、もうじき、それも全て我らのものだ)


 そうだ。どの道、この戦争に勝利すればこの手の利便性の機器は全て通商連合のものとなる。サガミ商会の職員は全て奴隷にして死ぬまでこの手の商品を開発させてやればいい。

 ポケットから小型の単眼鏡を取り出し、マジロ将軍の視線の先を眺め観ると、ラドル軍の鉄の箱の前からこちらに向けて歩いてくる金髪の少年がいた。

今最も憎い相手だ。間違えるはずがない。あれがサガミ商会のグレイ・イネス・ナヴァロだ。


「大将一人で戦線を離れるとは、どういうつもりだ?」


 マジロ将軍が眉を顰めて独り言ちると、


「既に我が軍の総数と所有する兵器の恐ろしさは、この帝国中に広まっております。おそらく、臆病風にでも吹かれて、降伏宣言にでもくるのではないかと」


 マジロ将軍の三人の側近の内の一人が、懸命に笑顔を作りながら、将軍たちのご機嫌を窺う。将軍の立場を守ろうとして意見をした側近の一人が、あっさり殺されてしまったのだ。それについて大して憤っていないことからも、将軍は将校など替えのきく道具としか思ってはいまい。こうなるのはある意味当然のことと言えた。


「そうじゃな。あの小僧がどれほどの力があるのか知らんが、所詮口伝え。大したことではあるまい」

「そうですな。儂があの戦場にいればあの生意気な小僧など、その奮戦を見るだけで震えあがって失禁してしまっていたことでしょう」


 二人の聞き捨てならない台詞に、


「お二人は戦場にはいらっしゃられなかったので?」

「いや、ゲオルグ様の戦勝式には出たぞ。そのあと、本陣に引っ込んだがな」

「儂も二日酔いで頭痛がひどくてな。部下に任せて直ぐに引っ込んだわ」


 さも当然に武将としてはあり得ぬ言葉を紡ぐ。


「では、お二人はグレイの戦闘を直に目にしたわけではないと?」

「まあな、あのローゼンの爺様があれほど警戒するのだ。あの似非勇者以上の使い手ではあるのだろう。だが、もはや我らにはそれを超える力がある。恐れることなどこれっぽちもない」


 人差し指と親指を合わせてドヤ顔で宣うマジロ将軍。


(低能どもがっ!)


 ガーベージは心の中で猛烈な罵声を浴びせかけていた。

 グレイの噂はあのアンデッド騒ぎだけではない! いや、あのアンデッドの噂だけでも大概だが、それ以上に信じられん情報が終始耳に入ってきている。

 曰く――覚醒魔王二体を単騎で屠った。

 曰く――アムルゼス王国駐留軍を貧困に喘ぐラドルを率いて撃退した。

 曰く――怪物と化した生徒を超絶魔法で屠った。

 さらに間違いないのは、その武力よりも恐ろしいのは、その悪辣さ。

 かつて帝国最大の権勢を誇っていたキュロス公を始めとする大貴族は次々に表舞台から退場され、裏社会で甚大な力を誇っていた【ラグーナ】も、あの怪物とぶつかったせいで、一介の少し大きいマフィア程度にその地位は低下してしまっている。奴だけは侮ってはならぬのだ。


「ゲッフェルト公」


 年老いてはいるが妙に凜とした声に、振り返ると白髪の長身の老人が佇立していた。

 ゲッフェルト公は、悪質な笑みを浮かべつつ老人に近づくと、


「ローゼン卿、貴方は血統貴族連盟を抜けたはずではなかったか?」

「ああ、ローゼン家は抜けたよ。既にローゼン家の家督は息子に譲ってきている。ローゼン家はあくまでグレイ卿を支持する。儂がここにいるのはローゼン家とはまったく別件じゃて」

「ほう、ならばローゼン家は謀反を起こした家、ということでいいのだな?」


ゲッフェルト公が一転不機嫌そうに顔をしかめて、御付きの将校たちに目配せをすると、一斉に老人を取り囲み、赤肌の仮面も近づき唸り声を上げる。


「本日儂がここにいるのは、上皇陛下の命による。ほれ、これがイスカ様からのお主への文じゃ」


 老人は肩を竦めると、懐から書簡を取り出して掲げる。


「おお! 上皇陛下がこのジーモンに勝利の御言葉を賜れた」

 

 先ほどの不快そうな顔から一転、気色に染めて、老人から書簡をひったくると、丁寧に紐を開き、中を一瞥する。

 てっきり、飛び上がって歓喜するのかと思ったが微動だにせず、書簡を持つ手を震わせるだけ。


「……なんだ、これは?」

「さあな、儂も中身までは知らぬし、興味もない。だが、渡したぞ」


 老人は背中を向けると颯爽を立ち去ってしまう。


「ふざけおって! 先に逝って待っておれじゃと!」


 書簡を地面に叩きつけて踏みつける。上皇陛下といえば、血統貴族連盟が仰ぐ対象であり、信仰の対象。その書簡を踏みつける。それはこの帝国の皇族というものそのものに唾を吐きかける行為に等しい。それ故だろうか、マジロ将軍すらも呆気にとられた様子で、


「儂も見せてもらってもよろしいですかな?」


 マジロ将軍は踏みつけられ地面に転がる書簡を手に取り、目をカット見開く。次いでムクムクと額に太い青筋が湧き上がっていった。

 ガーベージも横から覗き見ると、そこには――。


 ――ゲッフェルト及びその将校どもよ。先に逝って待っておれ。奮戦次第では、今度こそ真に我が配下に加えてやる。


 達筆な文字でそう記載されていた。

 

「我らの価値がわからぬとは、上皇陛下も老いた! 政の場から降りていただかなくてはならぬ!」

「その通りですな。では、早急に次の皇位を承継する御方を検討せねば」

「だが、問題は次期皇帝の選定だ。ゲオルグ様はもちろん、ロナルド殿下やリリノア殿下も小僧よりと聞く」

「いっそのこと、ゲッフェルト公のご息女にロナルド殿下の子を産んでいただいてはどうか?」

「おう! そうじゃな! それはよい――」


 ――新政府を語る賊どもに告ぐ!!


 大気を震わせる大音声がサザーランド北外門前を吹き抜けていく。この声だけは一度聞いたら二度と忘れない。グレイだ。


 ――貴様らは愚劣にも我が領民に、魔導実験を行い、意思を持たぬ人形へと変えた。これは許しがたい悪行だ。よって、私、グレイ・イネス・ナヴァロが人形と化した領民たちを土へと反す。

 愚劣なる門閥貴族どもに付き従う哀れな兵士、将兵諸君、お前たちの将には勝機も正当性も微塵もない。直ぐに前面降伏せよ。されば、命と捕虜としての最低限の待遇は保障しよう。

 

「な、舐めおって! 殺せっ! 殺せぇ!! 奴を全力で八つ裂きにせよっ!」


 ゲッフェルト公のヒステリックな命令を契機に、隊列を組んでいた赤肌の仮面の怪物たちの身体の肉がボコボコと盛り上がり、その全身は十数倍へと膨れ上がっていく。

 忽ち、巨大な角を持つ巨人が出来上がり、


「グオオオオオオォォォォッ!」


 劈くような唸り声を上げて金髪の少年へ向けて突進していく。

 この瞬間、内戦の火蓋は切って落とされた。



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