第72話 この世にあってならぬもの


 ――サザーランド北部平野 北部方面軍総隊長


 平野に並ぶ新政府軍3000。あれは新政府軍きっての歩兵2000、騎兵隊500、魔法師隊が500からなる軍。魔法士が500もいるのだ。新政府軍のなかでも、精鋭に位置する軍だ。


「そろそろか……」


 北部方面軍総隊長――ギルヒは小高い丘の上から双眼鏡で眺めながら、呟いた。

 ギルヒがここにいること自体、軍には報告していない。何せ、この新政府軍では都合の悪い情報はサザーランドにいる上層部が独占し、ギルヒ達には入ってこない。正確には入ってくる情報がまったくあてにならない。故に総隊長のギルヒ自ら、斥候の真似事をしなければならないのだ。


「勝てる……でしょうか?」


 不安たっぷりの表情で副官の青年が、検討にすら値しないことを尋ねてくる。


「相手はあのグレイ卿だぞ? 12歳の当時ですら、アンデッドどもの親玉を圧倒したほどの魔法の使い手。勝てるわけがないさ」


 この双眼鏡も、馬に変わるあの鉄道とかいうふざけた高速移動施設もグレイ卿の営む一商会が作った聞く。何より、あの神の都市群を短期間で作り上げた御仁だ。彼の率いる軍に勝利するなど、まさに夢物語だ。


「そ、総隊長は敗北必至とわかっていくさに臨んでいるのですか?」

「ああ、このろくにいくさも知らぬ張りぼての軍では彼の相手にはならない。私が新政府軍に残った理由は、故郷が御貴族様の統括地で従わざるを得ないからさ。でなければ、直ぐにでもグレイ卿の元に駆け付けているよ」


 世界経済にも影響与える存在であり、賢者ジーク様をも超える帝国一の魔法の使い手でもある。しかも、平民を差別せずに登用しているとも聞く。平民出身のギルヒからすれば、今の新政府軍なんぞより、よほど信頼に値する存在だ。


「では、なぜ我々はここに?」


 勝てぬとまで断言されて、逆に冷静になったのか、厳粛した顏で副官の青年が尋ねてくる。


いくさには負け方ってものがあるのさ。しかも、これは内戦だしな。可能な限り、犠牲となる兵士は減らさねばならない」


 もちろん、降伏宣言をするのは高位上官たち。説得には相当難儀するだろう。それを踏まえて敵である旧政府軍の正確な戦力を此度知る必要があったのだ。

 

「総隊長、来ました!」


 遠方の平原から巻き上がる土煙を指さし、部下の一人が叫ぶ。

 とうとうお出ましだ。あの御仁の率いる軍が真面なはずはない。魔法隊は相当数いると思っていた方が良いだろう。いやそれよりも危惧すべきは、王国を破ったとされるマテリアルか。

 大した武力を持たなかったラドル人たちだけで、アムルゼス王国を退けたなど、通常は信じるに値しない取るに足らない事項。だがあのグレイ卿がそれをやったとなると話は変わる。誇張はされていても、それは現にあったことなのだろう。

 当初、幾度となく門閥貴族どもがグレイ卿にマテリアルの提出を要求したが、全て無視される。おまけに帝国政府もそれを追認したから、マテリアルの情報の一切は真実性を含めて闇の中だ。


「な、何だ……あれは?」


 土煙を巻き起こしながら、新政府軍へ向けて今も走るのは騎馬でもなければ、歩兵でもない。黒色の鉄の塊だった。


「あれはサザーランドでよく見た自動車でしょうか?」

「いや、形自体が違う。全くの別物だろうさ」


 サザーランドでも、自動車という鉄の乗り物が走り始めている。

 もっとも、サザーランドの領主は門閥貴族。設備投資を渋り、おまけに高い税をかけようとしたため、他のいくつかの帝国の領地よりも導入が遅れているようだが。


「始まります!」


 副官の青年の緊張しきった声を契機に、魔法師隊から魔法陣が浮かび上がる。一気に決めにいくつもりなのだろう。

 500人の魔法師からの一斉攻撃だ。あれをまともにくらえば一溜まりもないはず。


(少しでも善戦してくれれば、こちらに有利な条件で降伏できるのだが……)


 そんな淡い期待は、あっさり裏切られる。新政府軍の魔法師たちから放たれた火の球が高速で黒色の鉄の物体に衝突すると弾け飛ぶ。


「は?」

 

 己から出る頓狂な声。当たり前だ! あれはこの帝国でも最強を誇った魔法師隊の精鋭。その一斉攻撃がまるで熱した窯に垂らした一滴の水のごとく、弾けて消し飛んでしまったのだ。


「総隊長、あれでは……」

「ああ、もう勝敗は決した」


 魔法師隊は師団攻撃の主力。その一斉放火に、効果がない以上、もはや勝敗など検討するまでもない。まともな指揮官ならば直ぐに退却しているはずだ。そう、あの軍を率いている軍が、愚者でなければ……。

 突如、戦場に巻き起こる鬨の声。それを合図に一斉に突進する歩兵と騎兵隊。


「突撃を仕掛けるつもりか!?」


 裏返った声を上げる副官に、


「馬鹿野郎がっ!」


 そう声を張り上げていた。

 魔法で効果がなければ、弓や剣でという発想なのだろうが、そもそも、鉄の塊に剣や弓が通じるものか。少しが考えれば幼児でもわかることだ。

おそらく、魔法師隊の一斉攻撃に効果がなかったという現実から目を背けたいだけだろう。

 そして、さらなる悪夢は起こる。

 鉄の塊の長い筒のようなものが火を噴いた。それらは今も突進する歩兵隊の前の地面に着弾し、爆発を引き起こす。

 次々に上がる爆発とそれに伴う爆風によって、吹き飛ばされていく騎馬兵や歩兵たち。

もはや戦意すらも喪失に一斉に逃げまどう新政府軍の歩兵や騎馬兵たち。そこを悠然と進む黒色の鉄の塊。それはまさに悪魔の行進だった。

 

「勝てるわけがない……」


 部下の一人が遂に両膝を地面について頭をガリガリと掻き、敗北の言葉を絞り出す。その部下の顔面は蒼白になり頬がこわばってピクピク動いていた。


「直ちに北門軍本陣へ戻るぞっ!」


 今も放心状態となっている副官に合図をし、馬の背に飛び乗る。

 甘かった。いや、甘すぎた。ギルヒは、いや、新政府軍の誰もグレイ・イネス・ナヴァロという人物の真の恐ろしさを理解してはいなかった。

 超絶魔法? 遠距離攻撃マテリアル? そんな次元じゃない。魔法師の攻撃すらも寄せ付けない魔法の鎧のような耐久力に、地面すらも大きく抉る長距離攻撃手段、全てを踏み潰す鋼鉄の特異な構造を持つ車輪。そんな御伽噺のような兵器数千でラドル軍は攻めてきているのだ。


(あんなものが、この世にあっていいはずがなかろうがっ!)


 もはや、これは戦ですらない。無難な降伏? はっ! 馬鹿馬鹿しい! 抗えば冗談じゃない数の犠牲者が出る。局所的な勝利ですら絶対に得られることはない。直ぐにでも上層部に降伏を認めさえなければ、ギルヒ達は真の意味で破滅する。

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