第66話 我ら戦人のいくさを眺めていろ ゲオルグ


 アーカイブ帝国の首都――帝都レムリア

 レムリア宮殿皇帝執務室


 報告の資料に目を通し、アーカイブ皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブは、大きく息を吐き出した。


「結局、内乱自体は避けようもないか……」

「ええ、それは既定路線かと」


 エル宰相がゲオルグの呟きに頷く。

 グレイによるレノックス及びスルト教頭の殺害を理由に、教授会でグレイの教授職の剥奪が決定した。同時に司法省にゲッフェルト公爵を代表として申請されたグレイの爵位の剥奪と領地ラドルの返還。ラドル領の再分割の要請。

 既に、ラドルは帝国の圧政に苦しむだけの弱い一領地ではない。帝国でも随一の規模の経済特区であり、ハリネズミのような軍事領地でもある。

 ラドル人たち自身で大国であるアムルゼス王国軍を退けた事で、自信もつけている。

 こんな一方的な要請など従うはずもない。帝国政府がそれをした時点で、大規模な内乱となる。だが、このラドルが関与する内乱は想定する最悪な性質のもの。絶対に許してはならぬ。

 椅子から立ちあがり、右手を配下の者達に向けると、


「改めて内戦における、帝国政府の立場を明らかにせよ!」


 厳格な声色で指示を出す。

 そう。この内乱にラドルの介入をさせてはならないのだ。もし、ラドルが介入することになれば、アムルゼス王国軍を壊滅させた兵器が帝国正規軍に向くことになる。いや、それだけならまだいい。ラドルの裏にはあのグレイがいるのだ。此度のグレイは本気だ。本気でエイトを間接的に殺害した門閥貴族どもを駆逐しようとしている。例え、門閥貴族どもの人間兵器がいくら強力でもあの化物に勝てるとは到底思えない。つまり、ラドルが内乱に加わった時点で、帝国正規軍の決定的な敗北は決定する。しかも、多大な屍の上での敗北。そんな悲劇を誰も望んじゃいまい。


「……」


 普段ならば、了承し迅速に行動に移すエル宰相は無言で口を閉ざすのみ。それは、他の秘書官たちも同じ。

 足元から駆け上ってくる悪寒に、


「何があった?」


 エル宰相に恐る恐る尋ねる。


「数刻前、イスカ上皇陛下が、帝国憲章第1条を適用しました。帝国府の全権限は上皇陛下に移譲されます」

「は? い、な……」


 頭が上手く回らない。ただ、エル宰相のこの世の終わりのような表情から、その発言が紛れもない真実であることだけはわかった。

 

「魔導騎士学院は一時的に閉鎖。旧政府の要人の捕縛命令が出されていますが、軍務卿、内務卿を中心とした政府の要人は帝都を脱出し、ラドルへと逃げのびております」

「それ以上口にするな、宰相! この状況でそんな悪質な冗談を俺は好まんっ!」

 

 怒号を上げるが、エル宰相は首を左右に振ると、


「真実です。このアーカイブ帝国新政府から、グレイ・イネス・ナヴァロの爵位の剥奪と、追討命令が正式に発布されました。ラドルに引き渡し命令を発布しましたが、まず応じますまい」

「あたりまえだっ! あれがそんな甘い存在のはずがあるまいっ! 敵とみなせば、徹底的に蹂躙し尽くす。そんな奴だ!」

「そうでしょうな。この宣言により、グレイ卿を支持する貴族たちは、ラドルに集結し戦に備える事になるでしょう。また、新政府の発表を受けて、商業ギルドも帝国新政府との一切の通商停止を通告してきました。

もはや、新政府とグレイ卿の両者が鉾を収める道は閉ざされています。帝国新政府とグレイ卿との全面戦争。両者とも相手が滅びるまで手を緩めることはありますまい」

「何れかが滅びる? はっ! そもそもあれに勝てるものかよっ! あの妖怪ジジイめ! 遂に耄碌してあの真正の化物が小鹿にでも見え始めたかっ!」


 そうなら、実に滑稽だが、あの妖怪ジジイはグレイを気に入っていた。そうでなければ、条件付きとはいえ、目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫のリリノアと愛娘のオリヴィアとの婚約を認めるものか。門閥貴族どもよりは執着していたのは間違いない。なら、なぜこのタイミングでこんな真似をする? これではグレイの引っ込みがつかなくなるのは目に見えているではないか!


「上皇陛下は――」


 エル宰相は何かを言いかけるが、途中で口を閉ざす。この様子では尋ねても答えはしまい。

 それより今は――。


「魔導騎士学院の生徒たちと帝都民の安全は保障されているのか?」

「当初、新政府宰相ジーモン・ゲッフェルト公爵の名で旧Gクラスを中心とした一部の生徒の捕縛命令が出ていましたが、ジーク様方によりいち早く学院からの脱出が成され、その大半がラドル側へ一時避難しています。学院に残っているのは、門閥貴族派の一部の職員のみです」


 九死に一生を得たな。今のジーモン・ゲッフェルト公爵を中心とした門閥貴族どもは以前とは明確に違う。昔は姑息ではあったが、外道ではなかった。少なくとも己の領民を魔導実験で意思のない兵隊へと変えるなどという愚行を犯すような奴らではなかった。

 もし、生徒が捕まればまず、奴らの犠牲になる。そうなれば、グレイは――あのバケモノはそれこそ何するわからない。

 だとすれば、生徒たちだけでも逃れたのはある意味、御の字という奴なかもしれぬ。


「帝都民の方の安全は?」

「これも、新政府に敵対するとみなされた貴族とサガミ商会及び商業ギルドの幹部職員の捕縛命令が発布されていましたが、直ぐに上皇陛下の名で撤回されております。事実上、帝都からの都民の避難を黙認した形となりました」

「あの妖怪ジジイ、一体、何をやりたいんだっ!?」


 妖怪ジジイのやろうとしていることが益々読めない。気に入らないが、あのジジイは根っからの統治者。突拍子もない行為でも最終的にはこの帝国に利になることがほとんどであった。

 しかし、此度の愚行、どうやっても帝国に犠牲に見合った利益が得られるとは思えない。


「で? 我らは拘束でもされるのか?」

「その件で先ほど上皇陛下の使者が訪れまして、これをお預かりしました」


 エル宰相はゲオルグに、書簡を渡してくる。紐をほどき、中を一瞥する。


「あのジジイッ!」


 煮えたぎったような熱い激情に立ち上がって書簡を床に叩きつけていた。

 そこには――。


『ゲオルグ、未熟な貴様はそこで黙って、我ら戦人のいくさを眺めていろ』


 その一文のみが達筆で書かれていた。

 あの戦好きの変態ジジイめ! そのいくさの相手が誰だかわかっているのか!? あのグレイだぞ! 複数の覚醒した魔王をたった一人で屠り、あの神のような領地を短期間で創り上げるような奴だ。

 いや違うな。それは全て表層にすぎぬ。一番恐ろしいのはグレイの内面の方。奴は一度敵とみなせば一切の容赦はしない。何せ、侵攻してくるアムルゼス王国軍数千を躊躇なく生き埋めにしたくらいだ。障害とみなされれば、間違いなく潰される。あいつと正面切って戦うなど愚者を通り越して、ただの馬鹿だ!


「ゲオルグ様、御父上の仰った、眺めていろ、の意味、もう一度ゆっくりお考えいただくのがよろしいかと」


 エル宰相が胸に手を当てて、意味深な進言をしてくる。

 宰相の言葉使いがゲオルグの幼少期のものへと変わっている。この変わりようだ。十中八九、宰相はあの糞ジジイの此度の愚行の意図を理解している


「宰相、それは今の帝国に……いや、今の俺に必要なことなのか?」

「はい。伊達に、幼少期からイスカ様にお仕えてしておりませぬ故」


 物心ついたときから傍にいるので、忘れそうになるが、エル宰相も元はあの妖怪ジジイの忠実な配下。ゲオルグに仕えているのも、奴の命によるもの。


「奴の腹積もりを、俺には教えてもらえないんだろうな?」

「申し訳ございません。それを話す権限を私は与えられておりませぬ」


エル宰相は大きく頭を下げて、予想通りの返答をする。

 脱力して椅子に座ると両手を組み、


「もうこれ以上の悲劇はまっぴらだ。頼むから、あいつらが泣くようなことにだけにはなってくれるなよ!」


 ゲオルグは甘くも到底あり得ぬ願望の言葉を吐き出していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る