第65話 私は冷静だよ

 完璧に意気消沈してしまったサテラを部屋に送ってから、アリアはアクアと食堂へ向かっていた。

 この帝国の膿は、アリアも嫌というほど認識していた。だが同時に、この学院で生活しているとここが、魑魅魍魎が跋扈する帝都であることを忘れてしまっていたのも事実だ。

 なにせ、食事は毎食安くて美味しいし、当初あった差別も成りを潜め、最近ではあのスルト教頭でさえも、生徒に寄り添った授業を行ってくれていた。

 だから、生徒の一人が魔王化されるなどという、あんな凄惨な事件がこの学院で起きた事に、未だに実感が上手く湧かないんだと思う。


「アクア、貴方、アイツがグレイだって知ってたんだね?」


 アクアだけは、グレイの素顔を見てもさほど驚いてはいなかったようだったし。


「ええ、でも確信したのは、去年の夏かな。領地に戻ったら、トート村がえらいことになってたから」


「そうよねぇ。あそこって、ある意味ラドル以上だしさ」


 既に『古の森』のかなりの範囲に開発が及んでおり、もはやトート村だけで一つの領地に等しい。何でもトート村だけで、通常の領地の数十倍の収益があるそうだ。何とも羨ましい限りである。


「でも、実際に現実を見せられると、それなりに堪えるわ」

「でしょうね」


 あんな真正の化物が腹違いの弟なら、アリアだったら劣等感の塊になりそうだし。


「でも、同時にホッとしたのも事実よ。あの調子なら、私ごときの心配など無用だろうし。むしろ、今は……」

「サテラね?」


 あれほど、快活だった少女は今や面影すらもない。その反面、美しさだけは年を重ねるごとに比例的に増してきている。今や学院で一度は彼女に憧れないものはいない。そんな存在と化していた。


「ええ、今回の件でサテラ、本当にまいってしまっているから」


 サテラは多少なりとも関わりがあった相手が死んで心を痛まない子ではない。だが、あそこまで粉々になるほどショックを受けるほど仲が良かったわけでもないのだ。

 サテラだけじゃない。クラスが違うアリアも、エイトとは授業でしか顔を合わせてはおらず、強烈な喪失感を覚えはしたものの、泣くことまではなかった。


「きっと、サテラにとってグレイは生きるすべて。エイトの件で不安が爆発しちゃったんだと思う」


 サテラの恐怖は全てグレイが自分の前からいなくなってしまう。その一点につきる。優しかったジルに続いて、顔見知りのエイトもあっさり死んでしまい、グレイもいつかいなくなってしまうかもしれない。そんな強迫観念に支配されてしまったんだろう。


「グレイに強烈に依存するか……きっとグレイはその依存度を少しでも緩和させたかったからサテラを寮にいれたんでしょうけど、完璧に裏目に出てしまっているわね」

「うん。益々、グレイなしではいられない身体になってそうだし」


 アリアのこのしょうもない感想に、アクアは疲れたように笑うと、


「そうね。私もサテラにもっと自立して欲しいところなんだけど……」


 丁度そのとき、廊下の柱に背中を預けて、顎に手を当てて考え込んでいる金色の髪を腰まで伸ばした少女が視界に入る。

 彼女はメッサリナ・ゲッフェルト。現門閥貴族派の首魁――ゲッフェルト公爵家の息女。本来ならアリアの最も苦手な人物の筆頭なわけだが、クリフ・ミラードと付き合うようになって随分あか抜けてきて、最近は頻繁にお茶をする仲となっている。


「メッサリナ、思いつめた顔をしてどうしたの?」

「あー、アリアにアクア。うん、ちょっとね」


 お世辞にも、ちょっとの様子には見えない。今も心ここにあらずの状態で形の良い顎を押さえている。


「今から食堂でご飯にしようと思ってるんだけど、メッサリナもどう?」


 困っているときは手を差し伸べる。それが友の務め。そうアイツも言っていたし。アリアたちも話なら聞いてやれる。


「うん……そうね。私もいくわ」


 やはり、神妙な顔で頷くとついてきた。


 食堂の席に座って日替わり定食であるチキンカツカレーを食べていると、メッサリナは意を決したような面持ちでアリアたちを見ると、


「私たちさ、レノックス先生には本当によくしてもらったんだ。本当にいい先生だった」


 そんな独白をし始めた。


「レノックス先生の授業は私も選択でとっていたし、わかりやすかったよね」


 メッサリナは大きく頷くと、


「私達生徒を第一に考えてくれていた。あんないい先生いない。それを賊は殺した。それもくだらない権力争いのために、殺したのよ! おまけに、クリフの親友まで怪物へと変えて彼を悲しませた! 許さない……私は絶対に許さない! たとえ、それが――」


 サーモンパイにフォークを勢いよく突き刺し、怨嗟の言葉を呟く。メッサリナの瞳の奥にある強烈な憎悪の光に、圧倒されつつも、


「お、落ち着いて、メッサリナ」


 彼女を宥めようと試みる。


「驚かせてごめんね。でも、大丈夫。私は冷静だよ」

 

 笑顔を作り、メッサリナはそう宣言すると、料理を食べ始めた。

 彼女の宿った狂気にアリアはこの時、不吉な予感を覚えていたんだ。

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