第63話 不吉な名


「ヴラドが死んだ」


 今まで浮かべていた薄気味の悪い笑みを消失させて、ソロモンが呟く。


「グレイですか?」


 フードを頭からすっぽりかぶった男――アストレアが聞くまでもないことを尋ねると、


「多分ね」


 そっけなく、ソロモンは返答する。そこには今までソロモンにあった余裕のようなもの一切が抜け落ちていたのだ。


「いつものように、覗き見ていなかったので?」


 盗撮趣味の変態ソロモンが、蛆虫が必死に足掻く絶好な茶番ショーを眺めない理由なんてないはず。


「途中で映像が切断されたのさ」

「映像を切断した? ソロモンさんの視覚を断ち切ったということですか?」

「そう」


 ソロモンは小さく頷く。この様子から察するに、ヴラドとかいう蝙蝠の殺害に一定の危機感を覚えているのだろう。


「確かに、ソロモンさんの術を打ち消したのは厄介ですねぇ」


 腐ってもソロモンは元七英雄。しかも、当時の七英雄はバケモノ揃い。最恐の英雄とされた現在の七英雄の筆頭に加え、あの御方さえも恐れた最強の英雄ブレインモンスターさえもいた世代だ。あの中で七英雄の座に上り詰める自信は今のアストレアにもない。

 生前はそれなりの英雄だったのだろうが、グレイもこの世界の原住民。ソロモンの術を破るほどの力があのグレイにあるとはとても思えなかったのだ。


「いや、それはどうでもいい。問題はボクちゃんが呼び出した玩具が消滅した件」

「でも所詮、異界から呼び出したランクS-の蝙蝠でしょう? 殺されても大して奇異ではないのでは?」


強度S-の存在などこの世には腐るほどいる。策を練ればグレイに破れてもさして奇異ではない。


「あのね、このボクちゃんが強度S-程度のただの雑魚をわざわざ召喚するわけないだろ。あの蝙蝠の不死性と保有スキルは相当強力だった。実際にはSの強度には相当するよ」

「S? それこそ悪い冗談ですね。あの蝙蝠風情が、我ら【英雄楽土】と同じ領域に足を踏み入れていると?」

「はっきり言ってそう。まあ、それはどうでもいいのさ。あれは、所詮使い捨ての玩具だし、死んだら、それ自体はそれでいい」

「我らとしては、それは危惧すべき案件なんですがね」

「ちみら、下々の立場など知らにゃいよ。それよりもだ。本当にブレインモンスターは死んだんよね?」


 冷や水を頭から被ったかのような厳粛した顏で、ソロモンは言葉にするのにも悍ましい名を口にした。


「ええ、それは間違いないかと」


 あの御方がその死を確認しているのだ。誤りなどあろうはずがない。


「なら、ボクちゃんの勘違いか。ならばいいさ」

「何か気になる点でも?」

「なんでもないよ。そうさ。奴がここにいるはずがない。これはきっとボクちゃんのトラウマが原因で……」


 ブツブツと自身の世界に入り込んでしまったソロモンに肩を竦めると、


「では、門閥貴族側の戦力の増力の件、よろしくお願いしますね」


 本作戦の肝となる要望を伝え、アストレアは屋敷を後にしたのだった。


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