第42話 孤児院のマザー
私が奥に踏み込んで間もなくハッチの眷属の蜂から
以降、続々と入るラグーナ幹部の捕縛と処刑の報告。ジルの敵討ちということで、皆も相当気合が入っている。もう私が動く必要性はない。だから、私は捕らわれている子供達の保護を優先に行動していた。そして遂に牢から子供達を解放したわけだが――。
「まったく、クソッタレな規則のあるこの第二区を襲撃するなんてどんな阿呆かと思っていましたが、まさか貴方だったとは」
捕虜となっていた黒髪の少年が、首を左右に振りながらもそう独り言ちる。
「うむ? 君と会ったことがあったかね? 私の記憶では初対面だと思うんだが?」
「ええ、貴方とは初対面ですよ。もっとも私は十分存じておりますがね」
どうにも彼の意図が読めんな。私を知っている様子ではあるようだが、実際に会ったことがないのは確からしい。
「ともかく、少しお時間を頂きたい。このまま手ぶらで帰ったのでは、私がマザーに叱られてしまいます」
マザーか。どうにでも取れる名称だな。
「どうにも話が見えぬが、構わんよ」
相手にだけ知られているというのも気味が悪い。今後もある。この少年のマザーとやらに会っておくのも一興だろう。
「ではこの一斉検挙のごたごたが終わり次第、この第一区のこの場所までいらしてください」
黒髪の少年は私に地図が描かれた紙の切れ端を渡すと地下牢の階段を上がって行く。
あの佇まいや気配の薄さから察するに、そのマザーとかいう者の命で潜入捜査をしていた諜者ってところだろう。
地下牢からの若い女性やまだ幼い少年少女たちは裁判まで私達サガミ商会が保護することにした。正直、今の帝国政府に彼女達を無条件で預けるほど信用も信頼もしていないから。
ただ生死などどうでもいい高位貴族やラグーナ構成員どもは別。だから、客であった貴族共とラグーナの生存者は直ちにルカ司法官に引き渡した。ただ、十分な情報を知っていると思われる
もっとも、あくまでハッチに壊されていなければの話なわけだが、そうなったらそれはそれ。心底、どうでもいい。
騒動がおちつき件の黒髪の少年に指示された場所へと向かう。
そこは貧民街である第一区の片隅にある教会だった。
「本当にここでいいのか?」
あの少年は政府か軍の密偵だと思っていたのだが、なぜ教会なんだろうか? 場所でも間違えたか?
「あー、グレイ卿、お待ち申しておりました」
先ほどの黒髪の少年が建物から姿を見せると、軽く会釈し、「どうぞ、こちらへ」と私を先導する。
教会の建物はかなり老朽化していたが、広く温かさに満ちていた。そして一番印象に残ったのは、この教会の住人たる修道服を着た子供達が浮かべる表情だ。
「ここには子供達しかいないようだが?」
「ええ、マザーは子供達が牧師やシスターになることを決して許しません。皆、マザーに拾われここで育てられますが、大人になれば、この教会を卒業し、新しい家族を見つけていく。だから大人はいないんです」
つまり、ここは孤児院ってわけか。そのマザーとかいう御仁中々の女性らしいな。確かに興味がでてきたな。
しばらく歩くと聖堂のような礼拝施設に出る。
その施設の祭壇の上で、修道服を着た巨躯の大男が祈りを捧げていたのだ。
「マザー、グレイ卿をお連れしました」
大男は私に向き直ると、
「グレイ殿、我が修道院へようこそ。私がシルドレ・ラヴァルよぉ。どうぞよしなに」
腰を軽く折ると、挨拶をしてきたのだった。
シルドレ・ラヴァルの名は帝国では有名だ。
門閥貴族の筆頭であり、上皇イスカンダルの腹心の一人。帝国でも最強クラスの武力を有する。ここまではいい噂。
幼年趣味であり、シルドレの館には幼子しかおらず、男女問わず欲望のはけ口としているだったか。
だが、そんな噂は彼らの幸せそうな表情を見れば一目で偽りだとわかる。そもそも、孤児院目的なのだから、子供しかいなくて当たり前だ。
まったく私もまだまだだな。くだらん噂に振り回されて目を曇らせるなど、レノックスに偉そうに言える立場じゃない。
「この度はボンクラどもの駆除の協力、感謝するわぁ」
まだ若造に過ぎない私に、シルドレは深く頭を下げてきた。まったくもって外見と中身が一致しない人だ。
「いえ、私も仲間が攫われましたし、そろそろ我慢の限度だったものでしてね」
「んふふ、我慢の限度ねぇ。ラグーナはその意思一つで潰せるほどヌルイ組織ではなかったはずなんだけどねぇ」
「御冗談を。ラグーナなど貴方一人でも壊滅させることができたでしょう」
ステータス平均A+。肉体的強度だけなら、イスカンダルさえも超える。まさに、この世界で最強クラスの存在だ。だとすれば、解せないことも多い。
「私は上皇陛下の剣にして楯。即ち、軍人。だから、あのボンクラどもの潜んでいた第二区で私は武力を振るえない」
「それはあくまで建前です。奴らの敷いたルールの上なら、いくらでもやりようがある」
シルドレは満足そうに頷くと、
「それができるから君は根っからの英雄なのよねぇ。でもー、君のようには通常はいかないものなのよぉ」
『このおっさんの言うことに儂も同意やな。マスターはもっと己を知った方がいいと思うで』
いつになく真剣な声のムラ。そういえば最近あまり口を開かなくなったな。少し前なら鬱陶しく女体について解説していたものだけど。まあ、そうはいっても美女には飛び付いて妄想を垂れ流すが。
否定しようかと思ったが、ムラの横やりでタイミングを逃した、話題をそらすか。丁度聞きたかったことがあるしな。
「それはそうとなぜ、貴方はあのアンデッド襲撃事件の際に出兵なされなかったのです?」
この人なら一人で殲滅できただろうし、ずっと犠牲も少なくて済んだ。
「私はあのときこの帝都を離れられない理由があった。たとえ、何を犠牲にしてもねぇ。どう、軽蔑したぁ?」
「いーえ、私も貴方と同じ。義母に強制されなければ見て見ぬふりを決め込むつもりでした。私が出兵したのはただの運です。共感しこそすれ、軽蔑するなどとてもとても」
「んふふふ、本当に君は面白い人ねぇ。だからこそ、陛下も貴方に賭けようと思ったのでしょう」
「陛下が賭けようと思った? イスカンダルの奴がですか?」
「少々、喋りすぎたわぁねぇ。この話はこれで終わり。今夜は子供たちと遊んでやってぇ。将来サガミ商会に入ることを夢見る子達も多いしぃ、皆喜ぶわぁ」
「私でよければ、承りました」
席を立ち上がり、子供達が集まっていた部屋へと向かおうと踵を返す。
「グレイ卿」
「はい?」
「君はまっすぐな良い子だ。だから、何があっても君の信じた道を進みなさい」
この私を子供扱いか。この人は本当に変わっているな。
「ええ、ご忠言感謝致します」
今度こそ私は部屋を後にしたのだった。
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