第30話 イスカンダルからの勅命

 現在、ストラヘイムの迷宮――クリカラの探索をすべくその入り口前まで来たところで、ウィリー・ガンマンに捕まり、現在、ストラヘイムの北端の屋敷へ強制連行されたところだ。

 ムンクの件の調査は求めているが、ほどなくして、それ以上の面倒ごとがこのストラヘイムに起きてしまった。おそらく、調査は大して進んではいまい。

 屋敷の応接間へ入ると、不吉な面子に思わず顔を顰めた。


「グレイ、お前、いくらなんでもそれは失礼すぎだろっ!」


 私のあからさまな態度に、の〇太皇帝が批難たっぷりの言葉を浴びせてくる。


「あのですね。私が今、こんなややこしい事態に追い込まれている理由、わかっておいでですか?」


 そもそも、ゲオルグがあんなどう考えても無茶な人事を目論み、私に魔導騎士学院の受験など強行せねば、こんな事態はならなかったわけだし。

 

「うむ、わかっているとも」

「ならば、せめて、野獣身内の手綱くらいちゃんと握っていてください。迷惑です」

「ああ、グレイ、あの妖怪ジジイに、ガツンッと言ってやったそうじゃないか! 後で聞いて、スカッとしたぞ!!」


まったく、人の話を聞いちゃいない。


「はぁ……もういいです。お話を伺いましょう」


 大きなため息を吐くと、最も近くの席へと腰を下ろす。この皇帝にこれ以上、気を遣う必要はあるまい。


「グレイ卿、帝国政府内のごたごたに巻き込んでしまい、本当にすまぬ」


 皇帝の隣に座るエル宰相閣下が、心底申し訳なさそうに頭を深く下げてくる。


「いえ、お気になされないでください」


 私も丁寧に会釈しておいた。


「宰相と俺と、態度が違いすぎやしないか?」


 の◯太皇帝と異なり、エル宰相閣下には色々便宜を図ってもらっているのだ。当然の区別だろうさ。


「それで、本日は何の御用ですか?」


 私も暇じゃない。生徒達の授業に、商会の運営。そして、目下一番の課題である私個人の修行。早く済ませて、クリカラの探査を行いたい。


「初めに、私達、内務省から説明しよう」


 皇帝の隣に立つカイゼル髭の紳士が指を鳴らすと、背後の文官らしき青年が私の前に資料を置く。

 このカイゼル髭の紳士、内務省所属だったのか。爵位授与式で司会をやっていたことからも、閣僚の一人なのは間違いない。大方、内務卿ってところか。

ともかく、諜報機関でもある内務省が関与するほどの案件。読まずとも、その中身くらい大方の予想がつく。

 今も、皇帝の隣ですました顔で珈琲を飲んでいる銀髪お転婆娘には聞かせたくはない内容だ。だが、今更、この娘の性格上、この場を退出しろと言っても断固拒否するだろうし、致し方がないか。


「内容は、【人間スライム事件】ですね?」


 カイゼル髭の背後の文官の青年がゴクッと喉を鳴らす。この様子から察するに、思った通り、今、ストラヘイムを賑わせているあのエグイ事件についてらしい。


「流石だね、グレイ卿。その通りさ。では、まず、資料にでも目を通してもらおう」


カイゼル髭の紳士に促され、私も資料に目を通す。



「酒場――熊蜂くまんばちで飲んでいた32人がドロドロに溶解したか……」


 今ストラヘイムで最もホットなニュースだ。今クラマに委細を調査させつつも、警戒レベルを引き上げているところだ。

 最近の生徒達のクエストも、スパイとハッチの二者を護衛に付けている。あの二人ならば、転移も使えるし、賊の襲撃を受けても逃げ帰ることは可能だろうから。


「しかも、驚くことに約半日以上、全員が生きていたのさ。まあ、生きているの定義にもよるわけだがな」


 ご丁寧に、ウィリーが補足説明をしてくれる。

 半日以上、全員生きていたね。まったくの初耳だ。ちまたでの噂では、人がドロドロに溶解し、その姿がスライムのようだという話だったはず。

 だとすれば――。


「マテリアルですね」

「卿もそう思うか。私も同意見だ」


 カイゼル髭の紳士が大きく頷く。


「ええ、それ以外で、そのような摩訶不思議な現象を起こせるわけがありませんよ」


 私のこの断定的な言葉に、カイゼル髭の紳士は、初めて私に向ける視線の種類を変える。


「グレイ卿、君はこの事件、どう思う?」


私にそう尋ねてくるカイゼル髭の紳士の鷹のような鋭い目は、先ほどの人畜無害な雰囲気とはまるで別人だ。おそらく、これがこの男の素なのだろう。


「これは、十中八九、アンデッド襲撃事件と類似の系統の事件ですね」

「くそっ! またかっ! またあの手のバケモノに狙われるのかっ! 我らの帝国にどんな恨みがあるってんだっ!!」


 皇帝が右拳をテーブルに叩きつけ、その振動で珈琲を入れていたカップが勢いよく倒れる。


「お父様、落ち着いてください。ここで、お父様が憤っても何も状況は進展しません」


 隣で珈琲を飲んでいた銀髪の少女が父である皇帝ゲオルグを窘めた。


「う、うむ」


 これではどっちが、年上かわからんな。

それはそうと、


「で? そんな危険な事件の話をする場に、なぜ、リリーがいるんでしょうかね?」


 賊はそんな凶悪なマテリアルを所持しているのだ。危険度は相当なもの。そして、この事件の内容を耳にして事情を知れば、このくそったれの事件に引きずり込まれる可能性がでてきてしまう。それがどれほど危ういことなのかくらい、少し考えれば阿呆でも思いつく。


「グレイ、お前の言いたいことは十分承知している。だがな、俺達にも事情があるんだ」


 私の抱く感情をいち早く察してか、隣のウィリーが口を挟む。


「事情? こんな物騒な事件に、子供を巻き込むだけの理由がある。君はそういうのかね?」

 

 エル宰相がゴクリと喉を鳴らし、ゲオルグは素知らぬ顔で、メイドからタオルをひったくると、濡れたテーブルを拭き始めた。

おいこら、皇帝、わざとらしすぎるぞ!


「この事件を知った上皇陛下がある命を下したのさ」


イスカンダルの命? 猛烈な悪寒がするな。


「それは?」


 私の疑問にウィリーは、カイゼル髭の紳士に意味ありげの視線を向ける。

 カイゼル髭の紳士は、大きく頷くと、立ち上がり、脇に置いてあった書簡を取り出し、


「グレイ・イネス・ナヴァロ! 貴殿に勅命である。

 今から二週間以内に、リリノア・ローズ・アーカイブ及びオリヴィア・ローズ・アーカイブと共に我が帝国民に牙を剥いた不埒者共を上皇陛下の前に引きずり出せ! 生死は問わない!」


 そんなふざけた内容を読み上げた。


「あんの糞、野獣っ!!」


 イスカンダルなら、この事件、通常のものとは違うことくらい理解してしかるべきだ。アンデッド事件クラスの脅威ならば、私や奴が直々に動かねば、解決など不可能。

 確かに、奴はアンデッド事件でも自ら動かなかった。だが、それは脅威に対し無頓着であることを意味しない。おそらく奴は、危機の程度を認識した上で、息子である皇帝を試していたのだろう。

ゲオルグがアンデッドを退ければ、皇帝継続の見込みあり。仮に全滅し、戦死したら自ら皇帝となり、新たな後継者を選ぶ。

そもそも、イスカンダルは強い。そして、覇者の気質もある。まさにエンペラーオブエンペラー。そのイスカンダルが、見込みもない者に帝位を譲るまい。多分、奴なりにゲオルグには期待しているんだと思う。まあ、イスカンダル本人は断固として否定するだろうし、それをゲオルグに言っても信じやしまいがね。

ともあれ、己の息子に分の悪い危険な賭けをさせる奴だ。そもそも、魔導学院の茶番の功績だけで、私を認めるはずなどないとは思っていた。だからといって、普通、最愛の孫や娘をこんな危険な事件に首を突っ込ませるか?

 

「引退したとはいえ、未だにあの妖怪ジジイの発言力は凄まじい。それに加えて、軍務卿を始めとする閣僚達もこの件に賛同してしまった。門閥貴族共が神輿であるあのジジイの言に反対などするはずもない。つまりそういうことだ」


 ゲオルグは、憎々しげにそう吐き捨てる。


「だからって、なぜ、リリーや貴方の妹殿も同伴なのです!? 足手纏いが二人もいて解決できる類のものだと思いですか!?」


 足手纏い扱いされて、リリノアがリスの頬袋のように頬を膨らませる。


「きっと、それができると、お前に期待しているんだろうさ」


 皮肉気にそして、どこか寂しげに、呟くゲオルグ。

 期待か。それが真実なら、似たような境遇にあるゲオルグもイスカンダルから、期待されていることになる。それに気づいていないところが、ゲオルグらしいと言えばらしいか。


「また、私には拒否権はないのですね?」

「すまん」


 ゲオルグが頭を下げ、そして、エル宰相達も次々に謝意を述べてくる。


「それで、具体的にはどうすればよいので?」

「事件が解決するまで、このストラヘイムで二人と共同生活をしてもらいたい」


 エル宰相の言葉に、頬を薄っすらと紅色に染めているリリノア。それに、大きなため息を吐き、


「正気とは思えませんね。第一、オリヴィア殿下は、ビットスレイ王国の第一王子殿と婚約中でしょう?」


 当然の疑問を投げかけてみた。


「それが……オリヴィア殿下は、元々、婚約を望んでるわけではないのだ。何分、ビットスレイ王国の第一王子殿はあくの強い御仁でな」


エル宰相の口ごもりかたら察するに、相当厄介な性格の人物らしいな。それでも、一方的に破棄されれば、帝国政府とビットスレイ王国の間に確執を生む。

現在帝国は、アンデッド襲撃事件と国内の門閥貴族共の無法で大幅に疲弊している。かつての三大強国の力は持ち合わせてはいないのだ。今、周辺国との友好は喉から手が出る必須事項だろう。


「下手をすれば国際問題になりますよ?」

「それを気にする上皇陛下だと思うかね?」

「んむ……確かに、それは気にしないでしょうね……」


 イスカンダルは覇者であり、戦乱の時代では自他とも認める英雄だ。それは私も認める。

 だが、平和による繁栄の仕方を奴は全くわかっちゃいない。それは血統による独裁を謳っている時点で自明の理だ。

 

「グレイも納得したところで、具体的な話を詰めようじゃないか」


 皇帝が先ほどの悲壮感溢れる顔とは一転、満面の笑みで、そんなふざけた提案をしてくる。


「あのですね、まったく私は納得していないんですが?」

「照れるな、照れるな! お前が、照れても気持ち悪いだけだぞ」


 このクサレ皇帝! 気持ち悪いはないだろ! いつも、一言多いんだよ!


「グレイ卿、すまんが――」


 エル宰相に頭を下げられ、


「はいはい、わかりましたよ」


 私は肩を落として、小さく呟いたのだった。

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