第27話 悪意の契機

 酒場の隅で、葡萄酒ぶどうしゅを喉に流し込み、ムンクは木製の瓶をテーブルに叩きつけた。


「ふざけんなっ!! 俺はAランクの冒険者だぞっ! それがあんな餓鬼みたいな新米にっ!!」


 大勢の前で恥をかかされたのだ。今まで力で押さえつけていた冒険者共から、相当な反発があるのは確実。下手をすれば闇討ちくらいされるかもしれない。

 いやそれよりも、以前ファミリーを抜けたいとぬかした餓鬼の片腕を切り落としたことを知っている様子だった。だとすれば、其の後ムンクがその餓鬼を【ラグーナ】傘下の奴隷商に売却した事実もつかんでいるかもしれない。

 この件をアクウには、餓鬼が先走って魔物との戦闘で重症を負い、故郷に帰ったとしか伝えていない。

 アクウは戦闘には極めてシビアだ。純粋な戦闘で怪我はもちろん、死んでも眉一つ動かさない。

 しかし同時に、見捨てたり特に仲間を売ったりすることには激烈に反応する。

 今回のことがアクウに知られれば、まず間違いなくムンクは殺される。アクウなら必ずそうする。


「あの野郎っ‼」


 奴は支部長のウィリー、そしてあのSランクの冒険者シーザーと既知の仲の様子だった。近い将来、ギルドはムンク達の行った制裁の件につき、本格的に調査を開始するはず。そうなれば、当然トップのアクウにも事情を聴取することだろう。アクウがあの件を確定的に認識することになるのだ。

 要するに、今もムンクはまさに絶体絶命。破滅の一歩手前というわけだ。

 その証拠に、今までムンクに付き従っていた女達は、この場に誰もいない。おそらくあいつらに見限られたのだろう。


「ちくしょうがぁっ!!」


 天井を見上げて絶叫すると、


「随分、荒れておられるようですねぇ」


 正面から声が聞こえる。視線を落とすと、フードを頭からすっぽりかぶった男が正面の席に座っていた。男の顔には笑みを象った薄気味の悪いマスクを装着している。

 

「なんだ、貴様っ!!」

「私? そうですねぇ――」


しばし、顎を摘まんで考え込んでいたが、席を立ち上がると、


「¨コンダクター¨とでもお呼びください」


 仰々しくも、頭を下げてくる。

マスクの男の一挙手一投足、全てがわざとらしく、芝居がかっている。


「貴様、俺を愚弄しているのか!?」

「いえいーえ、とんでもない! 貴方にとびっきりのプランを提示したく参上いたしました!」


 両腕を広げ、顔を天井へと向けて、謳うような声でそう口にする。


「とっびきりのプランだぁ?」


 胡散臭いにもほどがある。第一、ムンクの悩みを、初対面の目の前のこいつが把握しているとはとても思えない。


「ええ、このふみを預かってきました」


 鞄から、一つの書簡を取り出しテーブルに置く。


「文?」


 眉を顰めて乱暴に手に取ると、勢いよく開き、中身に目を通す。


「こ、これは……」


 書簡を持つ手が震えるのを自覚する。当然だ。この書簡に押されている印は、巨大裏組織【ラグーナ】の紋章。一度取引したことがあるのだ。間違いようがない。

 そして、この書簡には、毒酒どくしゅの名が記載されていたのだ。【ラグーナ】の紋章を知る者は限られているし、仮に知っていたとしても四統括の名を使う馬鹿はまずいない。

 つまり――。


「どうです? 素晴らしい計画でしょう?」

「これに書かれている事は、真実なのかっ!!?」


 あまりにムンクに都合のよい内容に、わかりきっていることを尋ねてしまう。


「ええ、もちろんです。お受けになりますか?」

「【ラグーナ】が奴を狙う理由は?」


 あまりにもムンクに都合がよすぎだ。闇の王族とも称される【ラグーナ】が一介の冒険者をただの好意で助けてくれると思うほどムンクはお目出度くはない。


「グレイ・イネス・ナヴァロ、彼は少々やり過ぎました。彼がこの世界に存在していては都合の悪い方々がいる。そういうわけですよ」


 あんな、傍若無人な振舞いをする奴だ。この帝国の実質的な支配層には大層嫌われていそうだ。ならば、信頼性を疑う余地はない。


「理解した。依頼を受けよう」


 ようやくだ。ここにきて、ムンクにも運が向いてきた。よほどの破滅願望でもなければ【ラグーナ】の名を用いたりすまい。この男、【ラグーナ】の構成員。【ラグーナ】は世界中に根を張る巨大裏組織。特に、四統括――毒酒どくしゅといえば、幾多の組織を壊滅させてきた謀略の天才と聞く。成功は疑いない。


「では、これは私達からの計画遂行のための援助物資となります。お受けください」


 コンダクターは、テーブルに短剣を置く。


「これ……は?」


 どこをどうみても何の変哲もない武骨な短剣。しかし、なぜかそれを見ているだけで、巨大な巨人の手で握りつぶされているかのような圧迫感を覚えていた。


「手にお取りください。されば、それは貴方を変える絶好の契機となるでしょう」


 コンダクターのたっぷりと歓喜を含有した声が、どこか遠くに聞こえる。

膝が震えて体がすくみ上がる。それでも、ムンクの右手は、震えながらも短剣へとむく。


「ぐぎっ!!?」


 右手の人差し指が短剣に触れた。その瞬間、視界が真っ赤に染まり、周囲の風景がドロリと溶解する。

 隣のテーブルが真っ赤に泡立ちながらも、崩れていく。脇で陽気に酒を喉に流し込んでいた黒髪の青年の顔の皮がズルリとむけて真っ白な骨が露出し、次の瞬間、スライム状の液体と変わってしまった。

 そして、それは周囲のテーブル、椅子、そして、人、全てが同じだった。


「ひ、いひっ!?」

 

 地獄そのものの光景に絶叫を上げ、立ち上がろうとするが、躓き床に転げ落ちる。

起き上ろうと手を伸ばすが――。


「うわあぁぁぁっ!!!?」


 絶叫を上げる。さもありなん。ムンクの両腕は根元から溶けていたのだから。


「コングラチュレーション、ムンクさんっ! これできっと貴方も私の指揮する演劇の舞台に上がれますっ! ようこそ、狂気と絶望のショーへ!!」


 コンダクターの妙に弾んだ声が鼓膜を震わせ、ムンクの意識は闇へと落ちていく。


            ◇◆◇◆◇◆


「なんちゅう、凶悪なマテリアルじゃ……」


 長い顎鬚を垂らした真っ白の白髪の老人が、真っ青に血の気の引いた顔で、スライム状に溶解した酒場内を見渡し、そんな当然の感想を口にする。


「ええ、私のお気に入りの骨董品ですしね」


 唯一無傷のテーブルの上に置かれた短剣を拾うと懐にしまった。


「骨董品というレベルじゃあるまいに」


 頬をヒクヒク痙攣させる老人を尻目に、コンダクターは左手を床に唯一人型を保って横たわる紫髪の青年に向け、


「さあ、これで、手駒が全て揃いましたよぉ」


 そう宣言した。


「グレイという輩にこのマテリアルを使用すればよかったのではないか?」

「うーん、だめだめ、そんなのはスマートじゃないし、何より楽しくない」

「楽しいって、お主な……」


(それに、とてもじゃないが、彼はこんな玩具で殺せませんしねぇ)


 コンダクターの小さな呟きに、


「ん? 今何か言ったかのう?」


 白髪の老人が聞き返す。


「いえ、こちらの話ですよ。ともかく、計画は動き出しました。あとは頼みますよ、毒酒どくしゅさん」

「わかっちょる。お主の言が真実なら、儂らの拠点を襲ったのはグレイとかいう小僧。奴は恐ろしく危険じゃ。どんな手を使っても潰さにゃならん」


 恐ろしく厳粛した顔で、噛みしめるように毒酒どくしゅは同意の言葉を紡ぐ。


「よろしい。では、私はこれで」


 右手を胸に当てると一礼し、この悪夢のような場所から出て行く。


「信用は微塵もおけんが、これは戦争。使えるものなら、悪魔だろうと使わねばならん」


 毒酒どくしゅは鼻が曲がりそうな嗅覚を刺激する血肉の匂いに顔を顰めながらも、紫髪の青年を肩に担ぐと、酒場を後にした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る