第16話 病室訪問

 エイトをストラヘイムのサガミ商館へと連れて行く。ストラヘイムをうろつけば、まず確実に八つ当たりをされる。当面、エイトは帝都で生活してもらうとする。

 

 さて今晩は帝都で爵位の授与の式典が開かれる。集団授与だから、欠席も遅刻も許されないのだ。加えてこの中央区で、遣らねばならぬことが残っている。

 本日の予定はいずれも正体を晒す必要がある。仮面とペンダントをとると、帝都の中央区に出店しているサガミ商会中央区商館に設置した自室へと転移した。

 帝都は第一区から第七区にわかれそしてその中心には皇居のある中央区がある。この一か月を利用し各区画を訪問した上、サガミ商会の支店を建てており着々と進出計画は進んでいる。種は蒔いたしあとは各区での商売に養分を与えてジワジワと拡大していくだけ。

 ガラス張りの窓の外には、帝都レムリア最大にして最高の美しい都市の景色が広がっていた。

 商館を出ると春の日差しが肌を優しく包み込む。

 ストラヘイムの数倍にも及ぶ幅の十字に走る大通りと、規則正しく立ち並ぶ石造りの建築物群。芸術に疎い私でも一目でもわかる歴史的建造物の数々。まさに人類が築き上げた叡智の一つといえよう。


 ジークの資料に入っていた地図を見ながら、目的の場所へと向かう。


「ここか」


 仮にも門閥貴族の中でもトップクラスの権勢を持つクリューガー公爵家の敷地だ。もっと、煌びやかなものを想像していたのだが、サザーランドやストラヘイムにあるような普通の屋敷だった。

 確かに使用しない部屋などあるだけ無駄だし、毎日の清掃等による労力も馬鹿にならない。この点、この程度の規模の屋敷なら最低限の人員で維持が可能だ。実に理にかなっている。

うむ。この屋敷の当主とは中々気が合うのかもしれんな。

 中年の門番の前へ行くと、


「私はグレイ・イネス・ナヴァロ、ミア・キュロスの母上殿に面会を求めたものです。クリューガー公爵殿にお取次ぎいただけないでしょうか?」


 胸に手を当てて、丁重に頭を下げる。


「坊主が、ミルルさんに面会ね」


 目を細めて私をジロジロと眺め回していたが、


「取り次ぐからここで暫し待て」


 小走りに屋敷内まで走っていく。

 数分後、屋敷から紅の髪の恐ろしく精悍な顔付の紳士が姿を現す。その着衣の豪奢さはもちろん、その醸し出す威風は、使用人などでは断じてない。

 彼はサザーランドでの御前会議の出席者。立ち位置からして、かなりの地位のはずなのに、会議中終始、無言。キュロス達の主張する伝統だけしかないあの無様な案を特段賛成も反対もせず受け入れていた。そのある意味達観した様子が印象に残り、覚えていたのだ。

 おそらく彼がシーザーの資料にあるホルス・クリューガー軍務卿だろう。


「グレイ・イネス・ナヴァロです。良しなに」


 胸に手を当てて一礼するが、ぎょっとして目を見張る。そしてそれは周囲の部下や使用人達は猶更なこと。

 ホルス軍務卿は、私の前で片膝をついていたのだから。


「我らが帝国の偉大なる導き手よ。ようこそお越しくださいました」


 仮にも彼は軍務卿。帝国正規軍の全権を掌握する人物。しかも、公爵家である彼は本来、門閥貴族側。地方豪族よりの私とは敵対関係にあるはずなんだが。

 

「お願いですから、やめてください。私は貴方にそのような態度をされるべき立場にはありません」

「では、そのように」


 立ち上がると優雅に胸に手を当て一礼し、


「この不肖――ホルスがミルルの元までご案内させていただきます」


 そう宣言し、歩き出す。

 何とも言えない気まずい雰囲気の中、私は屋敷へ入っていく。

 案内されたのは、屋敷の最上階の隅の部屋だった。


「ここからは危険故、これを」


 ホルス軍務卿から布を渡される。察するに口に付けろということだろう。所謂マスクの代わりという奴だ。

 布を口に縛り、部屋の中に入る。

 ベッドの上に、数人の男女が寝ていた。全員が青白く血の気の引いており、咳き込んでいた。

 ホルス軍務卿は中心のベッドに寝ている骨と皮だけとなった女性の元まで私を案内する。


(主症状は、咳か。体重減少に発熱、喀血もしているか……他の者へも伝搬しているようだし、おそらくこれは――)


「結核――いや、労咳ですね?」

「はい。まず間違いないかと」


 労咳――マイコバクテリウム属の細菌――主に結核菌によって引き起こされる感染症の一つだ。

 ジークの資料ではほんの数か月前に街で使用人の一人が感染してそれが屋敷の数人に伝播したらしい。身体の弱かったミアの母は真っ先に感染してしまったのだろう。

 もちろん、この事実はミアには知らせないでいる。現在、ミアが寮生活に入り、面会を求める状況にないことが幸いしたな。もしこの光景をみれば、とても修行どころではあるまい。

 それにしても、禄な人権がないこの世界では結核が出た家は家族もろとも焼き討ちにするのがセオリー。

この軍務卿、使用人達を見捨てずにこの病を治す方法を探っていたってわけか。中々の人物らしいな。

 さてまずは最も重要なことを済ますとしよう。


「君は、ミルル・キュロスだな?」

「あ……なた……は?」

「私? 私は君の娘の先生だよ」

「先生……」


 朦朧とする意識の中で、ミルルはオウム返しに呟く。


「いいか、よく聞け。私は聖者ではない。だから生きようとする意志がないものを救うつもりは毛頭ないのだ」


 数年間も床に伏せっていて症状が悪化も改善もしない病気などない。仮に真に彼女が不治の病に侵されているなら、こんな結核にかかるまでもなく次第に衰弱してしかるべきだ。

 なのに、結核に感染するまで彼女の症状はいつも一定の悪い状態を維持していた。これは別に彼女が仮病を使っているとかそういうわけではあるまい。生物の免疫能力は元来、ストレスにより著しく低下するものなのだ。特に大脳皮質が発達した人間は、精神状態により免疫能力は左右されやすい。病は気からとよくいったものだ。実に的を射ている例えといえるだろう。

 おそらく、ミルルのストレスは慣れない家事をしたことになどあるまい。愛する夫に捨てられた。これに尽きる。要するに、彼女はこの世に生きる希望を失ってしまっているのだ。

 この状態でいくら治療しても、本人に生きる意志がないなら意味はない。


「……ミアを……お願い……します」

 

 なぜだろう。彼女の態度にはムカムカするな。


「この期に及んで他力本願か? 本当にくだらない人間だな! 病人に鞭打つことになるかもしれんが、この際だ。言わせてもらおう。

 君がそうなっているのは完全に自業自得だ。惚れた男に捨てられたなら、ウジウジ枕を涙で濡らす前に、なぜのし上がって力ずくで振り向かせる程度の気概が持てん?」

「あの人は……私達を……捨てて……ない」


 初めて見せるミルルの抵抗の意思。


「この後に及んで現実逃避か? だが、君がそうして妄想に逃げ込んでいる間、ミアがどれほど心配し、苦しんでいるか考えたことがあるか?」

「ミアが……?」

「ああ、健気だろう。君を養う未来を掴みとるために、あんな小さな身体で毎日泣きそうになりながらも、勉学に取り組んでいるよ」

「私を……養う? なんで?」

「君の身体が弱いからだろう。君のような病人気取りの足手纏いがなぜ、こんな豪奢な屋敷で養われていると思っている? 全ては等価交換。彼女の将来を食いつぶした結果だ」

「嘘……だ」

「真実だよ」

「嘘だぁっ!」


 絶叫を上げ、吐血する。


「いいのか? このままでは君はただのお荷物として死ぬことになるぞ?」

「い……だ」


 その口から僅かに吐き出される言葉。


「娘に責任を押し付けたまま――」

「いや……だ」


 ミルルの頬に伝う玉のように大きく熱い液体。

 

「夫の真意も知ることもなくただ朽ち果てる。それで、本当に満足か?」

「嫌だぁ!! 生ぎたい! 死にだくない! ミアに会いだい。あの人にも会いだい!!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪めながらも、そう叫んだ。


「その言葉、忘れるなよ。聞け、君達の病は必ず治る。気をしっかり持つのだ!」


 病室中に響くよう力強く叫ぶと、ミルルに右手を翳し、回復魔法を発動する。


            ◇◆◇◆◇◆


 全員に回復魔法をかけると大分症状は持ち直した。これで一定の時間稼ぎはできる。

 回復魔法は時間を遡行しているわけではなく、細胞分裂を一定の方向性を持って異常促進して本来の正常と記憶された状態へと至らせる魔法。

 つまり、身体の中に既に存在する異物たる腫瘍等やウイルス、細菌などを消失させる効果などない。だから魔法で癒しても結核菌自体は体内に依然として残り続ける。

 だから、現在サガミ商会で開発途中の文明の叡智を使う。用いるのは、20世紀でもっとも偉大な発見とも称される――抗生剤だ。

 現在、サガミ商会ではいくつかの抗生剤を開発しており、実際にいくつかの系統の抗生剤の開発に成功している。

 その一つが、冬など寒い季節や落葉に生息するカビを多量に培養して抽出したストレプトマイシンだ。まだ十分な濃縮には成功しておらず、大量生産は不可能だが、彼らを治すには十分な量がある。

 この点、ストレプトマイシンは腸管からの吸収が悪く、原則は筋肉への直接注射器により注入する。この筋肉内注射を適量、始めの3か月は1日2回、以降は週2回投与する。

 サガミ商会で注射器である硝子製のシリンジと23Gゲージの注射針を開発しておいたので、現在、その使用方法を皆の前で説明したところだ。


「それで彼女達は治るのですかな?」


 ホルス軍務卿が居間で白湯さゆを喉に通しながらも当然の疑問を訪ねてきた。


「半年ほどの継続的な治療でおそらくは」


 結核は、直ぐに治る種類の病気ではない。長期の継続的治療が必須となるが、同時に決して治らぬ疾病でもないのだ。

 ここで、症状が重たければ完治には2~3年は必要だが、この度は回復魔法により肺等の重要器官の復元とともに患者の骨髄の疲弊が解除され、免疫能力もまた回復していることが見込まれる。故に、半年程度の治療で完治はできると推測される。

  

「し、信じられませぬ。年間帝国領だけでも数千人は死ぬあの致死の病、【労咳】ですぞ!! そう簡単に治るのならば、世話はありませんっ!」


 医者と思しき白髪の男が、声高らかに否定の言葉を述べる。当然だ。私が彼の立場でもきっとそうだろうさ。

 しかし彼は医者。即ち、科学の信徒の一人だ。治すことと探求は彼らにとって目的と手段。密接に関連しているのだ。その救いたいという気持ちが強ければ強いほど、究明に対する欲求は大きくなる。抗えるはずなどない。


「ならば、御自身の目で確かめるのがよろしかろう」


 それだけ告げると、私は席を立つ。注意事項は全てこの医者に伝えている。あとは彼の腕次第。もうここでの用は終わったのだ。


「グレイ卿、貴方はやはり私の思い描いていた以上の方だ」

 

 ホルス軍務卿は立ち上がり、胸に手を当てると、


「この屋敷の主として使用人達を助けていただき深く感謝いたします」


 深く頭を下げたのだった。


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