第61話 想定外の報告


 アーカイブ帝国の首都――帝都レムリア

 レムリア宮殿


 皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブは斥候からの報告書を脇のテーブルに投げ捨てると、顔を右の掌で覆った。


「旧ダビデ領を占拠していた王国軍の壊滅……」


 旧ダビデ領のアムルゼス王国軍による占領。その事実はいち早く斥候により伝わっていた。宣戦布告すらない正当性皆無の占拠だ。即時に奪還に打って出ねば他国に示しがつかない。そのはずなのだが、我がアーカイブ帝国はこの度アンデッドの襲撃により、多大な損害を受けた。加えて帝国内で随一の権勢を誇っていたキュロス公の失脚により、門閥貴族の勢威に綻びが見られた。半面、マクバーン辺境伯達一部の地方豪族の力が盛り返す。

 要するに、帝国内は目下、権力闘争の真っ最中であり、他国との戦争などしている余裕などなかったのである。

 だからこそ、あの怪物グレイを領主として旧ダビデ領に向かわせたのだ。

 ゲオルグはもはや、グレイをロナルドと同じ一三歳だとは見ていない。上皇あの妖怪ジジイ以上の覇者の気質を持つ者で、賢者ジークを超える大魔法師。地方豪族はもちろん、あのエル宰相さえもあそこまで心酔させるカリスマを持ち、商業ギルドを従えるほどの商才も持つ。というか、そんな一三歳いてたまるか。十中八九、グレイはあの堕ちた勇者――ユキヒロと同じ、【迷い人】。

 【迷い人】――異界からこのアルテリアに迷い込んだ異界からの住人。非常識な力を保有しているのが大半であり、通常、その存在を発見次第、各国は競ってその獲得へ動き出すのが通常だ。そして過去に魔王を滅ぼした英雄にちなんで、特に英雄級の力を持つ迷い人を一般に『勇者』と呼ぶのである。

 グレイの出自がしっかりしているのは、アーカイブ帝国の始祖――始皇帝――フィリップ・ローズ・アーカイブがそうだとされるように、輪廻転生した者――転生者なのだろう。

 ユキヒロ以上の力を有するグレイなら、この帝国の窮地を最小限の犠牲で治めてくれる。そう考えてしまっていた。


「あのバケモノめ! こんなの微塵も予想しえるものかっ!」

 

 アムルゼス王国軍の壊滅。グレイとその仲間の実力ならそれ自体は可能だ。

 しかし、盗賊等の罪人以外の人類同士の諍いでの個人による一方的な殺戮は圧倒的理不尽感を生む。殺された方は憎悪するし、その超人の加担により勝利した勢力も真の意味でその超人を信頼することはあり得ない。門閥貴族の剣として地方豪族を壊滅させたユキヒロの懐柔にキュロス公が莫大な資産を投入していたのも、その不安の現れといってよい。以後統治していくのに、相当なマイナス要因となるのは間違いないのだ。

 そして、グレイはそんな愚かな真似をするような男ではないし、そう信じてはいた。そして、それはある意味証明されたといってよい。

 しかし、まさか帝国と王国により、心身ともにズタボロとなったラドル人自身の手で王国遠征軍を壊滅させるとは夢にも思わなかった。


「万にも近い王国軍は壊滅。対してラドル側の損害は極めて軽微、流石にこれはあり得ないでしょう」


 書記官の金髪の青年が困惑気味に発した断定的な呟きは、レムリア宮殿大会議場にいる者のほとんどの共通認識であるらしく、異論の声は出てきやしなかった。

 至極当然の判断だ。ラドルはダビデの無能により飢える寸前まで酷使され、その上王国により蹂躙されたのだ。飢えている兵の練度などたかが知れている。常識的にいえば、屈強と名高いエーテとブルの両将軍の率いる王国軍に勝てるはずなどないのだから。


「そう思いたいが、事実だろうな」


 送り込んだ斥候は調査部でも屈指の実力のある諜報員だ。その普段冷静のはずの諜報員の記した文章からは、強烈な驚愕と畏怖の念がありありと滲み出ていたのだ。その記した情報に誤りがあるとはとても思えない。

 つまり、グレイがラドルの民を率いてブル将軍の兵を壊滅させたのは紛れもない真実なのだろう。


「世界の戦争を一新させるマテリアルか……」


 エル宰相が資料を眺めながら、深いため息を吐く。これならまだグレイがあの超絶魔法により、王国軍を壊滅させた方が救いがあった。

 おそらくこれは――。


「始まるぞ」


 炎のような紅の髪の紳士がボソリと呟く。その顔に途惑いはなく、堪えようがない歓喜のみがあった。

 彼はホルス・クリューガー軍務卿。公爵家であり、本来、ガチガチの門閥貴族派。軍務卿及び公爵家という立場上から、彼は中立を宣言しており、間違ってもこのような皇帝たるゲオルグが主催する非公式な会議に出席するような人物ではなかったのだ。

 彼が明確に変わったのは、あのアンデッドでの一件。より正確にいえば、グレイのあの戦闘を目にし、親友の内務卿から独自の情報を仕入れるうちにすっかりとあの怪物の 信奉者へと変貌してしまう。


「ホルス、何が始まるのかね?」


 内務卿が自慢のカイゼル髭を摘まみながら、率直な疑問を口にする。

 

「何がだと!? お前はまだそんな呆けた疑問を口にするのか!?」


 顔一面を狂喜に染めホルス軍務卿はグルリと一同を見渡す。


「大戦か……」


 エル宰相が、苦虫を嚙み潰したような顔で言葉を絞り出す。


「そうですよ! 宰相殿! あの偉大なる始皇帝陛下さえもたどり着けなかった頂きに我らが帝国は歩み始めた。これはもう止まらない。始皇帝陛下をも超える彼がこの帝国の地に生まれ出でた時点で、既に時代の歯車は回り始めていたのです!」


 天を仰ぎ熱弁を振う軍務卿に、一同から奇異の視線が集中する。


「軍務卿、今の発言は聊か不敬な発言ですな。撤回願おう」


 エル宰相の一際厳しい声に、軍務卿は姿勢を正すと、


「これは失礼を。皇帝陛下、皆様方、どうかお許しあれ」


 優雅に一礼してくる。


「いやいい。この会議に忌憚ない意見を求めたのは余だ。して軍務卿、卿は王国が動くと思うか?」

「彼らはこの度、帝国領の中でも最弱とされるラドルに大敗を喫しました。王国の最近の周辺国への領土拡張の方針により、その不満は爆発寸前にあります。王国軍の強靭さを国内外へ示す必要があるのです。遠くない将来、大軍を上げて我らが領土に攻め入ってくることでしょう。

 そしてエスターズ聖教国がそれを座視しているとはとても思えませぬ」

「軍務卿殿は、聖教国はいずれにつくとお考えなのだ?」


 白色の鎧に身を包んだ髭面の強面の男が、苛立たし気に床を足裏で叩きつけながらも、今一番知りたい質問を軍務卿に投げかけた。

 彼は皇帝直属の近衛騎士団――ロイヤルハーツの騎士団長ローランドだ。ゲオルグの幼馴染であり、帝国でも心許せる数少ない人物の一人。


「王国に付くでしょうな」


 大会議場があしの葉のようにざわめく。


「なぜです!? この度の領域侵犯は王国に非があります。正当性からも我が国に――」


 書記官の金髪の青年が血相を変えて反論を述べるが――。


「正当性云々の話ではないのだよ。帝国が完勝した。その事実こそが問題なのだ」


 軍務卿の意見に同意だ。ラドルはマテリアルを多数用いて、王国軍に圧勝したのだ。そのあまりに鋭い鉾先は、次にエスターズ聖教国に向く。よほどの楽観主義でなければ、そう考えるのが妥当だろう。


「冗談ではないっ! アムルゼス王国との全面戦争。おまけに、エスターズ聖教国も敵として参戦してくる。対して我が帝国はいまや分裂状態。こんな状態で戦線の維持などとてもできませぬぞ!!」


 血統第一主義を謳う門閥貴族派と実力至上主義への変遷を主張する地方豪族連合派の対立は苛烈を極めている。

 キュロス公と勇者ユキヒロの失脚により、門閥貴族派の力は著しく減衰した。それでも、帝国内の富を独占している門閥貴族共の権勢は相当なものだ。仮に反乱を起こされれば国を二分する大きな戦となるのは火を見るより明らか。両国との戦争などしている場合では本来ないのだ。


「ならば今は祖国の危機。内戦などしている場合ではありますまい! 他の諸侯を集めて今後の戦略を練るべきです!!」


 血相を変えて書記官の青年が、もっともな意見を具申する。甘くて魅力的な意見だ。少し前のゲオルグならば、無条件でその考えに乗っていたことだろう。


「不要だな」

「なぜですっ!!?」


 軍務卿の断定に、書記官の語気に力が籠る。


「現在、王国軍は最高戦力たる勇者シチカの指揮の元、最南東の騎馬民族――歌零かれいの掃討中。小競り合いならともかく、万に等しい軍を敗北させた勢力を叩く余裕は彼らにはない。あと一年ほどは、我らに余裕があるのさ」

「しかし、それでは問題の先送りでしょう! 一年後には奴らは我が祖国へ意気揚々とその汚い足で踏み込んできます! それこそ、くだらない争いをしている場合ではないっ!!」

「概ねその通りだが、この帝国内の争いがくだらないわけではないな」

「国内の統一は必須。お主はそう考えているのじゃな?」


 賢者ジークが顎鬚をしごきながらも軍務卿に尋ねる。


「ええ、既に時代は動きました。無能共に帝国のまつりごとを任せる余裕はもうありませんよ。この帝国が生き残る術は一つ。帝国が彼の名の元に巨大な一つの獣となること」

「そう上手くいくものかの。門閥貴族共の強大さは儂よりお主の方が遥かに熟知していよう?」

「彼らには自滅の道を歩んでもらいます」

「お主、まさか……」


 ジークの顔に深い影が落ちる。


「御察しの通り、血統貴族連盟がこの件を知れば、勝手に戦線を開いたグレイ卿の処罰とマテリアルの提出を求めてくるでしょう。そうなれば――」

 

 にぃと悪趣味な笑みを浮かべる軍務卿の姿を見れば、それがどういう意図かなど問い正すまでもない。


「血統貴族連盟とグレイを直接争わせる気か?」

「それこそが中央集権への手っ取り早い道。違いますか?」


 そうかもしれない。だが、それを実行するということは、莫大な血が流れることと同意。例え門閥貴族であっても同じ帝国人であり、同胞だ。死など望むものか。


「軍務卿、卿は少し前まで血統貴族連盟の一員ではなかったかの?」


 心底、呆れたように尋ねるジーク。


「ええ、だが私達は出会ったです。紛い物ではない祖国を導く真の英雄にぃ!」

「お主……」


 ジークだけではない。恍惚の表情で口にする軍務卿を皆引き気味に眺めている。


「それにね、直ぐに門閥貴族や地方豪族といった下らない争いなど考えるだけ無駄になりますよ」

「それは、どういう意味じゃ?」

「さあてね、お話も一段落したようですし、私はこれで失礼いたします」


 軍務卿は再度一礼すると、大会議場を退出してしまう。


(あれは、確実に目論んでいるな)


 近いうちにこの帝国で内乱が起きる。それこそ、帝国史上類のない争いが。


「宰相にジーク、内務卿は残ってくれ。それ以外は一時解散とする」


 一礼し皆、それぞれの思いを胸に部屋を退出していく。


「今から、商業ギルドとの会合がある。内務卿、そなたに妙案はあるか?」


 あのアンデッドとの闘いでアーカイブ帝国は、商業ギルドの逆鱗に触れた。キュロス公の捕縛と処罰により、帝国のギルド強制退会緊急動議きんきゅうどうぎは取り下げられたが、依然として無期限の帝国政府との取引停止は継続中だ。

 ここで、アーカイブ帝国襲った建国以来最大の災害である不死者アンデッド襲撃事件により、帝国北部はほぼ壊滅に近く、復旧に多くの人材と財源を要している。衰退していた帝国政府にはそれを賄う力はなく、ギルドの財力に頼るしかなくなったのである。


「彼らの本能に従ってやればよいかと」

「本能? 今の帝国に奴らが旨味を感じる資源も、資産もないぞ」

「ありますよ。特上のものがね」


 内務卿はそう断言し、説明を開始する。


     ◇◆◇◆◇◆


「嫌だよ」


 金髪の美青年――ライナ・オーエンハイムは、窓の景色を眺めながら、さも不快そうに、そう言い放つ。予想通りの言葉に、ゲオルグ・ローズ・アーカイブは深いため息を吐く。


「このままでは、このアーカイブは滅ぶ」

「滅べぱいいさ」

「本気で言っているのか?」

「もちろん。というか、僕は、まだ君らが彼にしたことを許してはいない。その僕がなぜ、帝国きみらなんぞに力を貸さねばならない? そんな不合理をこの僕がするとでも?」

「利益があれば、いかなる行為も許容する。それがお前らだろ?」


 全く聞く耳すら持たなかったライナが初めて、ゲオルグを直視した。


「僕にとって金がどういう位置づけか、君、知っているよね?」

「ああ」

「その金を帝国君らは僕から借りようというんだ。大っ嫌いな帝国君らに貸すのには、相当な利益がいるよ?」


 ライナは根っからの商人。利益とくれば、必ず耳を傾ける。それが内務卿の出した結論だ。


「ギルドが我が国に対する資金の貸与を決定するなら、旧ダビデ領、ナヴァロ男爵領を特区に認定し、商業ギルドにおける領税を免除とするつもりだ」

「ナヴァロ男爵領?」

「とぼけるなよ。王国の敗戦の話、知っているのだろう?」


 同じ会員たるグレイなら、商業ギルドの人間に危害を加えるような選択は絶対にすまい。王国の商人達から、既にギルドは情報を受けているはず。


「……」


 顎に手を当てて押し黙るライナ。現在、彼の頭の中では、提案を受け入れた場合に失われる利益や危険と将来得られる利益とを正確に分析、天秤にかけている真っ最中だろう。

 ちなみに、領税とは関税とは別に各領におかれている関所で徴取される物品の運搬に課せられる税のこと。国が最低税率を設定し、領主側が徴取し治める税。大都市などの黙っていても商業が成り立つ場所では、各領主達は過剰に徴取し、自らの利益としているのが通例となっている。

この慣例が、物資の正常な流通を妨げていると、商業ギルドからは再三、撤廃を求められていたのだ。

 もちろん、ギルドの主張が至極正当なのもわかっているし、領税の最低税率は10%。帝国にとって大した収入源ではない。おまけに門閥貴族共の資金源となっているという看過しがたい事情もある。ゲオルグ達も内密に撤廃に向けて議論はしていたのだ。

しかし、今この無駄極まりない制度は実に効率よく、帝国政府に利することとなった。


「その考え、誰に知恵を付けられた?」


 節足動物のようなライナの視線に、思わず生唾を飲み込む。内務卿の言った通り、どうやら乗ってきたようだ。


「さあな」

「わかった。ギルドに持ち帰り、議論させてもらう」


 立ち上がるライナの顔には、今までの不快極まりない表情は掻き消え、代わりに驚喜に近い感情を漲らしていた。

 商業ギルドが交渉のテーブルについたなら、内務卿の目論見は一先ず成功したとみてよい。

これは予想ではなく確信だが、そもそも、ライナが、いや、強欲なギルドがこのあまりにも甘い提案を拒絶できるはずがないのだ。

 なぜなら、あの場所は化け物グレイが治める領地。無茶苦茶するのは間違いない。商業ギルドにとってナヴァロ男爵領はまさに利益を産み落とす金の鶏のはずだから。


(これでようやく出発点へと至れた)


 アムルゼス王国にエスターズ聖教国との戦争。

帝国始まって以来の大きな内乱の予兆。軍務卿の発言からもそれは避けられまい。

 おまけにジークもつい先刻、グレイの魔導騎士学院教授就任の決定を打診してきた。

 由緒正しき学院の教授が、最下級貴族のしかも一三歳の子供が就任するなど、あの上皇を始めとする門閥貴族共が決して許すまい。間違いなく何らかのリアクションをとってくるはず。この帝都は混乱の極致と化すだろう。

 

(賽は投げられたか。そうかもしれんな)


 軍務卿の言う通り、気が付かぬうちに繁栄か滅亡かの究極の二択しかない馬車に我が祖国は強制乗車させられてしまっている。


(立ち止まることすら許されぬなら、やり遂げねばならぬのだ!)


 ゲオルグは右拳を痛いくらい握りしめ、人っ子一人いなくなった客室を後にする。



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