第59話 断片追憶

「父ちゃん! ねえ、父ちゃんっ!!」

「ん?」


 顔上げると、金髪の愛娘が私の袖を揺すっていた。


「ごはん、冷めちゃうよ!」


 夕食を喰いながら寝落ちしてしまったか。いかんな。どうやら相当疲れているようだ。


「うむ、すまんな」


 四人の娘、息子達に軽く謝ると、味噌汁を口に運ぶ。

 秋ナスの何とも言えない香ばしい香りが舌を刺激する。


「ほう、また腕を上げたな」


 料理を作ったカチューシャをした金髪の少年に素朴な感想を述べる。


「そ、そうかな?」


 いつもは鉄仮面のような子だが、その私に似ても似つかぬ美しい少女のような容姿でのこの照れる姿は、きっと女なら一撃でその心を鷲掴みにされることだろう。

 もっとも、この私が女心など知る由もないのであるが。


「明日は皆で花見だよ。忘れないでよね。去年もそれでいけなかったんだから」

「う、うむ。もちろんだとも」


 念を押してくる茶髪の少年の頭に右の掌を置く。

 私が子供達とのイベントを忘れるはずがない。私も楽しみにしていたのだが、去年はあの汚物経由で急な仕事ミッションが入ってしまったのだ。


「またー、そうやってすぐに誤魔化す!」


 頬を膨らませて批難の言葉を口にはするが、茶髪の少年は気持ちよさそうに目を細める。

 うーむ、ういやつ、ういやつ。


「ズルーい! 私も、私もぉ」


 隣の金髪のボブカットの少女が私に頭を向けてくる。

 肩を竦めて撫でていると――。


「早く食っちまえよ。また仕事に遅れるぞ」


 いつものごとく黒髪をオールバックにした少年の檄が飛び、夕食を再開し始めた。

 途端、ぐにゃりと歪む視界。


「ま、待てっ!!」


 朧となる我が子達を抱きしめるべく必死で手を伸ばすが、その快美な光景は実にあっけなく弾け飛んだ。


(そうか、これはメモリーか……)


 私にとって数少ない掛けがえのない幸せの記憶。実に滑稽なことだが、きっと目覚めた私は愛しい我が子達を覚えちゃいまい。

 だが、ある意味、それは幸せなことなのだと思う。だって、現実逃避が許される時間ももう僅かしか残されてないはずだから。

 そう、私は決断せねばならないのだ。

 それは――。


               ◇◆◇◆◇◆


 瞼を開けるとぼやけた視界に、見慣れた天井が映る。ここはサガミ商館の自室だ。

無様にも右手を伸ばして、何やら声を張り上げていたことだけは予想がついていた。


「グレイ様、大丈夫?」


 傍にいたサテラが私に抱き着いてきたので、何とか誤魔化すように抱きしめる。


「グレイ様……?」


 恐る恐る尋ねてくるサテラから離れ、瞼から頬を流れる暖かな液体を右袖で拭うといつもの冷静な私に回帰する。

 

「ふむ、あれからどうなった?」


 ルチアに【不可視の迷宮インヴィジブルラビリンス】を発動、爆砕してから頭に真っ白な霧がかかっている。


「私もさっぱりです。誰も教えてくれないし……」


 それもそうか。暴走しがちのサテラやカルラにジュド達があの緊迫した状況を伝えるはずもない。どうも、さっきから上手く頭が働いていないな。

 頭を数回振り、


「腹が減った。食いにでも行こう」

「はい!」


 元気よく頷くとサテラはいつものように私の隣についてきた。


 自室を出て一階へ降りていくと、一斉に私に視線が集まる。そして白髪の女と目が合う。

 

「グレイ殿……」


 ジワーと白髪の女の目尻に浮かぶ涙に、大きく息を吐き出し、


「お互い、元気で何よりだ」


 笑みを浮かべる。


「ーっ!」


 ルチアは弾かれたように私に抱き着き、私にひたすら謝り続けた。

 若い女を宥める方法などこの私が知るはずもない。助けを求めるべく周囲を見渡すが、テオはうんうんと涙を流して頷くだけ。他のジュド達、男性陣からはドヤ顔をされる。対して、サテラ達女性陣からは半眼の視線向けられてしまう。

 私も大きく息を吐き出すと、彼女を宥めるべくその背中をそっと叩いた。


 皆で簡単な飯を取った後、ジュドやテオ等の事件を知る大人達のみが集まり、情報交換がなされる。


「するてぇと、大将はあの城の件の結末をまったく覚えちゃいないと?」

「悪いな」


 両腕をくみつつも尋ねてくるジュドに軽く頷く。


「グレイ、お前は――」

 

 アクイドが口を開こうとするが、


「事件は解決したのだ。別に構うまいよ」


 シルフィがそれを一方的に遮った。

 そんな有無を言わせぬ威圧感たっぷりの笑みを浮かべられては、話したくても話せまいよ。十中八九、私が記憶を失っていた時に何かあったな。

 まあいいさ。事件が解決したのは事実だ。それにシルフィがこの世に存在する依り代は私のようだしな。この地での活動の根拠たる私を裏切ることは万が一にもあるまい。時がきたら、直接聞いてみることにするさ。


「それはそうと、今回の件をカイ・ローダス達がアムルゼス王国の兵士達に説明し、284名が新たにラドルの地に残ることになったぜ」

「おいおい、捕虜のほとんどではないか……」

「ニルスの演説が効いたんだろうさ。彼女、今回の黒幕に相当きているからな」


 それもそうか。状況からいって、王国は真っ黒だ。まず間違いなく今回の王国兵に対する鬼化にも深くかかわっている。彼女からすれば、恋人を殺された仇同然。王国の首脳部に対する憎悪は相当なものだろう。


「彼らの恭順の条件は、王国内の家族の保護か?」

「ああ、早急に動きたいと思う。許可をもらえないだろうか」


 テオが頭を深く下げてくる。


「私個人としては構わんが、いいのか? 彼らはお前達の家族を殺そうと攻め込んできた者達だぞ?」

「思うところがないと言えば嘘になるが、俺も戦人だ。俺達の感情など二の次だし、この度それ以上に俺達は彼らを殺した。それに、今後のことを鑑みれば、ラドル人である俺達がやるのが最良だと思う」


 確かに、ラドル人のテオが彼らの家族を救い出せば、その軋轢は最小限に抑え込める。

 王国内の鼠の存在は一定の警戒が必要だが、テオとカロジェロには、【人間道】の能力が受け渡されている。相当の強度のはず。しかも、それがされている以上、私の転移も使用可能だろう。ならば、適任かもしれん。


「いいだろう。だが、無茶はするなよ。お前達以上の強者などこの世には、腐るほどいるのだ」

「ああ、重々承知している」

「では、話は終わりだ。健闘を祈る」


 私の会議終了宣言により、各自立ち上がると、一礼し部屋から退出していく。

 さて、私も行くとしよう。新領地の書類整理などやらねばならぬことは腐るほどある。

 気怠い身体に鞭打ち、キャメロットの執務室に転移しようとするが――。


「大将、数日間、サテラ達の御守を頼む」


 ジュドに念を押されてしまう。そういえば、十分な休みを取るように言われていたけっかな。


「我は酒の飲める場所ならどこでもいいぞ」


 このごく潰しドラゴン二号、まさに絶好調だな。


「はぁ……わかった、わかったよ」


 疲れているのは間違いないし、キッズ達と最近顔を合わせていない。カルラ当たりがそろそろ暴発しそうだし、丁度良い機会かもしれん。

 ジュドは私の顔を暫し凝視していたが、安心したように何度か頷くと転移により姿を消す。まったく、すっかり一人前になりおって。

 さて、久々の休暇だ。どうするか。


「トート村の銭湯にでもつかり、身体を休めるか」


 やっぱり、休暇には温泉だろう。それに、トート村に最近設置した大衆浴場施設が上手く運営されているかも見てみたい。これは開発したばかりの蒸気機関をボイラーとして利用したことにより、大量の湯を沸かすことが可能となったのだ。


「銭湯? それは何だ?」


 ピンとこないのか首をかしげるシルフィ。そうか、シルフィはまだ銭湯は初めてだったな。この世界の住人にはお湯に浸るという習慣はない。あって体を洗うことぐらいだ。だから、おそらく公衆浴場はトート村が世界初だろう。知らないのも無理はないが。


「湯につかる施設だよ。最近、トート村に設置したのさ」

「湯につかる? それでは、服が濡れてしまうのではないか?」

「あのな、服を着てお湯に入るわけないだろう」

「ちょっと待て! 服を脱いで湯に入れと?」

「そうなるな」


 私を見下ろすシルフィの顔が忽ち熟したトマトのように紅に染まっていく。


「お前も来るか?」

「……」


 今や顔どころか全身まで真っ赤になってしまった。


「別に無理はしなくてもいいぞ」


 ドラゴンが湯につかるなど聞いたこともない。というか、ドラゴンの生態など私はしらぬ。獣は基本湯が嫌いだし、ドラゴンもそうなのかもしれんしな。


「我もいく」


 裏返った声で返答すると、あらぬ方向をむいてしまった。なんだろう。このドラゴン……。

 まあ、シルフィが変なのはいつものことか。というか、酒でも持たせてやればこいつのことだ。直ぐにご機嫌なるだろうし。


「じゃあ、行くぞ」


 シルフィは転移を使用できるが、まだトート村には一度も訪れたことがなかった。先に連れていくしかあるまい。

 シルフィとともにトート村へ転移する。

 トート村の大衆浴場施設は、トート村の入り口付近にある一際大きな建物だ。仕事帰りの労働者が疲れをいやすために、一度に相当な数が入れるよう設計されている。ゆくゆくは、露天風呂、壺湯など様々な種類の風呂を増やすことを計画している。

 建物に入ると、


「あっ! グレイ様!」


 透明の羽をパタパタさせつつも、金色の髪を御団子にした着物姿のフェアリー族の従業員が私達の傍までくる。

 ちなみに着物は私が進呈したものだ。


「調子はどうだ?」

「繁盛してますよ」

「それは何よりだが、本日は客がいないようだが?」

「パーズさんが、新型のボイラーの交換のため、本日は一般の方はお断りしています。(もっとも、貴族や商人のご婦人さん達からは、非難囂々ひなんごうごうでしたけど)」


 暗い顔で大きなため息をはくその姿を見れば、彼女の葛藤も十分に推し量れるというものだ。


「これは会長、お越しでしたか!」


 奥から姿を現した白衣を着た眼鏡の青年パーズが私を視界に入れ、喜々としてこちらに小走りに駆けてくる。


「ご苦労さん。うまい具合に開発が進んでいるようだな?」

「はっ! ボイラーの燃焼効率を30%上昇し、温度管理もより細かくできるようにしましたですぞ!!」

「それはすごいな」


 パーズはルロイの直弟子であり、生粋の研究者だ。知識に貪欲だから相当な実力を付けてきている。


「会長も是非、新型ボイラーの感想を聞かせてください」

「ああ、折角だし、そうさせてもらうよ」

「では私は次の研究がありますれば!」


 一方的に捲し立てると、姿勢を正し、胸に拳を当てて屋敷を小走りにでていく。相変わらず、忙しそうにしているな。


「もうお客さんに断っちゃいましたし、本日は貸し切りにします。グレイ様、よろしかったら温まって行って下さい」

「言葉に甘えさせてもらうよ。シルフィ」

「……」


 頬に両手を当ててなにやら呻いているシルフィと私を相互にみると店員は、ニンマリとすごい笑顔を作り、私に近づくと、


「すごい綺麗な人じゃないですか! グレイ様もすみにおけませんね。このこのこのぉ!」


 胸に肘を打ち付けてくる。


「あのな、私はまだ一三歳なのだが……」

「愛に歳の差など些細なことですっ!」

「ち、違うぞっ! か、勘違いするなよっ!! 我は、ほら付き添いできただけだっ!」


 両手を振って、壮絶にテンパるシルフィにますます笑みを増す女性従業員。

 ここの施設に混浴などないし、彼女がからかっているのは一目瞭然なわけなんだが。人というコロニーに関わりが浅いシルフィにこの手の冗談は少々難易度が高かったかもしれん。

 まあ、いつも飄々としているごく潰しドラゴン二号シルフィの挙動不審な様子など貴重なのも確かだ。中々いいものみられたと理解すべきか。


「では、この施設のシルフィへの案内と説明を頼むぞ。酒でも出してやってほしい」

「承りました」


 一礼すると、まだ、¨そんなわけあるまい! 我は誇り高き竜種ぞ! 人間になど――¨などと宣っているシルフィの右手を掴むと、


「本当、可愛いなぁ♪」


 と素朴な感想を述べて、引きずっていく。

 うむ。少し見ないうちに、フェアリー族の皆も逞しくなったな。なり過ぎて、少し引き気味だ。

 私もサテラ達を呼びにストラヘイムのサガミ商館へと転移する。


               ◇◆◇◆◇◆


 着物姿で腰に手を当ててカルラ、アリア、ルチア、シーナ、リアーゼがご機嫌に牛乳を一気飲みにする。ドラハチは、ピッチャーでトート村特産品のしぼりたての牛乳をぐびぐびと飲んでいた。サテラ達は、ルチアとすっかり意気投合したらしく、終始はしゃいでいる。

 ロシュはよほど銭湯の風呂が気に入ったらしく、まだ出てきていないようだ。


「いつまでへそ曲げてんだよ」


 今もオチョコで葡萄酒を飲んでいるシルフィの正面に座ると、目を細めて声をかける。

 さっきから、彼女は口も開かず酒を飲んでいた。


「我の滑稽な姿をみて、さぞかし面白かったろう?」

「うむ、それは否定し得ないが」


 確かに、面白かったのは事実だしな。


「もう、グレイ様、心にもないこと言わないの(鈍感もここまでくるとホント、凶器ですよ)」


 フェアリー族の女性従業員が大きなため息を吐き、シルフィの隣に座ると、数語耳元で囁く。

途端に、頬を紅に染めるシルフィに、


「マジで可愛いなぁ」


 シルフィを見ると何度も頷く。


「グレイ、この銭湯とかいう施設すごいのな」


 風呂から出てきたロシュが私達の元へ来るとそんな素朴な感想を述べる。


「そうだろう。そうだろう」


 祖国の重要文化の一つだしな。


「で、これからどうするんだ?」

 

 その神妙な顔でロシュは尋ねてくる。この表情からも、私の今後の行動指針を尋ねてきているのだと思われる。


「気が進まんが当分は帝都暮らしになるであろうな」


 今回の件でまず確実に皇帝に直接説明を求められるだろう。勝手に戦端を開いたのは事実だし、何らかのペナルティくらいはあるかもしれんわけだが。


「俺達もついていっていいか?」

「ああ、構わんよ」


ロシュとリアーゼの二人も、学校に通わせねばならんと思っていたところなのだ。むしろ、都合がいいかもしれん。


「なあ、グレイ、この世界に何が起こってるんだ?」


 ロシュのこの疑問の言葉に、シルフィの顔が能面のように変わる。シルフィは、あの片眼鏡の怪物も、青髭も私の同郷であることに気付いている。短期間での二者への邂逅だ。何か起きていると考えるのが自然だろうさ。


「さあな。私にもさっぱりだ」


 ロシュは私の顔を暫し、眺めていると、


「俺はいつかお前と肩を並べる男になるぜ」


 真剣な顔でそんな阿呆なことを言いだした。


「期待しているよ」


 重い腰を上げ、軽くロシュの肩を叩くと一同にお開きを宣言する。なぜか、今、心身共にくたくたなのだ。

一同に背を向けて、転移を展開するが、


「主殿!」


 シルフィに恐ろしく重々しい口調で呼び止められる。


「ん?」

「主殿は元の世界とやらに戻るつもりなのか?」


 元の世界か。シルフィなら、私の出自も薄々気付いていることだろう。


「今のところそのつもりはないな」


 今更この姿で地球に戻ってどうする。それに地球の頃の記憶がないのだ。そんな場所、異界と大差なかろう。


「そう……か」


 安堵の表情で、深いため息を吐くシルフィ。


「阿呆なこといってないで、身体を休めろよ。お前も大怪我状態だったはずだ」

「あ、ああ」


 シルフィの疑問を吹き飛ばすかのように首を軽く左右に振ると、今度こそ私はストラヘイムの自室へ転移した。

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