第42話 不可思議な噂 カイ・ローダス

 次の日の昼、昼食を届ける者と共に数人のラドル人が現れ、用紙に自己の名前と今後の希望を選択記入するように求めてくる。

 その用紙には三つの事項が記載されていた。

 一つ、捕虜はラドル側からの書簡を持参し、速やかに王国へと帰還すること。その際にラドル側からはいかなる危害も加えないことを誓う。

 二つ、ラドルに帰属すること。仮に帰属すれば少なくとも王国との戦争が終結するまで帰還することはできないが、優遇も冷遇もしない。一定の試用期間を経た上でラドル領の一か所につき、一市民として平等な権利と義務を与える。

 三つ、ただし上記二つを選択するには、過去に一定以上の犯罪行為を行わなかったものに限られる。犯罪行為を行った者は犯罪者としてラドルの裁判所が審理し、処断する。

当然のごとく収容所は大混乱に陥った。

 要するにラドルはカイ達王国捕虜に、このまま帰属するなら考えるといっているのだ。

 この収容所にいるのは、第一区兵と第二区兵の混合兵。

 第二区の兵は王国が過去に滅ぼした外様の兵であり、王国に愛着など微塵もあるまい。本国に家族が人質同然で囚われていることが考慮事項であるくらいだ。

 対してカイを始めとする第一区の兵はれっきとした王国兵。ここに残るということは祖国を捨てることと同義だ。しかもその帰属先は同胞を多量に殺したラドルの国。心境は複雑なんていうものではない。


「カイはどうするんだ?」


 いつの間にか傍に来ていたマーサが尋ねてくる。

 マーサは捕虜になって以来、以前の傲慢ごうまんさが嘘のように消失し、頻繁ひんぱんに話しかけてくるようになった。


「帰国するしかあるまいよ」

「お前は、死罪になるぞ!?」

「だろうな」


 カイは平民出身の将校。敗北の責任を取らせるには絶好のカモだろう。帰国次第、軍法会議にかけられカイは処刑される。


「だったら、どうして?」

「どうしてもだよ」


 祖国には祖父と祖母がまだ存命なのだ。残存の選択は国家反逆罪が適用されることと同義。あの糞のような法では一族郎党公開処刑になるのは確実。それは許せない。

 それに、仮にカイがこの地に残れば他の将官が責任を負うことになる。一度指揮権の権限を委譲された以上、責任だけを他者に押し付けることなどできない。


「ったく、あんたは――」


 口を開こうするマーサの反論の言葉と重なり、


「残ることは祖国への反逆と同義! 祖国へ帰還する以外あり得ない! なあ、そうであろう!?」


 今や数少ない上級士官であるリーマン・シャルドネが、周囲をグルリと見渡し、声を張り上げる。

当然、賛同の声があるが一部の兵士達は気まずそうにうつむいていた。


(上手いな)


 ようやくカイにもラドルの意図が読めてきた。

 要するに、彼らは王国の情報を欲しているのだ。だからこそ、自らの陣営にこの場の兵達を引き込もうとしようとしている。そのために連日、あのイカレた食事を振るまったのだろう。

 この新ラドルでは、仮に捕虜であってもこの美味い飯が食べられる。その事実を実際に示して見せた。

 もちろんこの部屋の兵達にも少なからず祖国に対する愛着はあろう。だが、それ以上に祖国の恐ろしさもまた十分に知っている。

 敗北のまま帰れば平民出身の兵士には報奨金などもらえないのはもちろん、下手をすれば、もっともな理由を付けられ国家反逆罪で収監されかねない。少なくとも罵声を浴びせられ、石を投げ付けられる生活となる。そういった現場を幾度となくこの目で見てきているのだ。

 むろん、この地に残ることは王国を裏切ることに等しい。だから、家族がいるものは取れる選択ではあるまい。

 しかし、近年王国で猛威を振るっている疱瘡により村全体が焼却処分となり、帰る家自体がなくなったものも多い。そんな彼らにとって王国はいかなる理由があるせよ、家族の仇。家族を殺したものと同僚を殺したもの。どちらが憎いかなど一目瞭然だろう。

 もし、そんな王国の事情を知った上でこの提案をしてきてるとしたら――。


「やっこさん達、王国内の混乱を利用してあたし達を取り込もうってか? 山賢王さんとやらは随分と考えることがエグイねぇ。まあこの策、多分、あいつの助言でもあるんだろうけどさ」


 隣でロゼが感心したような声を上げる。


「お前の元部下のトッシュという青年か?」

「あいつは、疱瘡病で村ごと焼かれているからな」

「そうか……」


 聞くところによれば、ロゼはトッシュの裏切りを看破かんぱできず、アークロイの第一区の砦内にラドル軍を招き入れるという失態を演じている。

 彼女の性格からして怒り狂っていてもおかしくないのに、トッシュに対し含むところは微塵も感じられない。

 彼女の故郷は王国に滅ぼされた隣接する少数部族の一つ。トッシュの裏切り行為は立場が違えば彼女自身が取りえた選択。そう考えてしまっているのかもしれない。


「ラドルがあたし達を取り込もうとする理由、カイはどこにあると思う?」

「むろん、全面戦争だろうさ」


 ラドルが王国の詳細な情報を知ろうとしているということは、この度の王国の愚行に対し本格的な戦争の選択を既にしていると解してよい。

 そして、今の王国内であのラドルの非常識な兵器に対抗する手段はただ一つ。勇者シチカが率いる七華騎士団のみ。あれは、今や勇者の加護のもと人外の集団と化している。加えて、勇者のもう一つの切り札である集団の噂。

 まさに全面戦争となるのは疑いない。


「皆の者、これは蛮族共の愚劣ぐれつ姦計かんけいである。王国へ帰還し、再び蛮族共に攻め入り、この地を取り戻さん!!」


 右手の握りこぶしを振り上げて、一人顔を恍惚こうこつに染めるリーマン・シャルドネの言葉に、今度は誰からも賛同の声は上がらなかった。

 当然だ。あの悪夢を一度でも体験すれば、二度とこの地に攻め入ろうという発想にはならない。


「少し前の僕はあんなふうに見えていたんだな……」


 あわれなものでも見るようにマーサはボソリと呟くと、首を大きく左右に振って食堂へ向かって歩き出す。マーサの奴、本当に変わった。まるで付き物が落ちたかのようだ。

 そして、


「よくいうわ。自分は隠れてただけのくせに」


 強い侮蔑ぶべつを含有した女の言葉が鼓膜こまくを震わせる。声の方に視線を向けると、カイのすぐ傍にはつい最近までリーマンにベタれだった黒髪をショートカットにした女兵士が佇んでいた。

 ロゼからの情報では、今も威勢いせいよく吠えているリーマン上級士官殿はラドル襲撃の際、彼女とお楽しみの真っ最中。我が身可愛さに彼女をおとりにして部屋に隠れ、騒動そうどうが収まってから一般兵に交じって捕虜となったらしい。

 部屋にずっと隠れていたリーマンはあの地獄を直に目にしていない。あのラドルの恐ろしさを真の意味で理解してはいないのだ。


(それにしても変わるものだな)


 リーマンは軍に入った当初、カイ達平民出身の上官に敬語で話しかけ、助言を求めてくるなど、高位貴族出身とは思えぬほど殊勝な人物だったのだ。それがたった数年でこの変わりよう。本当にこの王国軍は腐りきっているのだろう。


「よいか! これは我ら王国の誇りを賭けた戦い。聖戦なのだ! 醜い臆病と利己心を捨てよ! 我らが国王陛下と勇者シチカ様へその命を捧げようではないかっ!」


 両手を上げてえつひたっているリーマン。今のリーマンほどその言葉を吐くのに相応しくないものもおるまい。というか、滑稽こっけい過ぎて笑いすら込み上げてくる。

 そして、それはカイだけではなく皆の共通認識だったらしく、一同はリーマンを無視し、昼食を食べるべく食堂へ歩いていく。

 

「あたし達も行こう。まだ、飯食っていないんだ」

「そうだな」


 相槌あいづちを打つと、カイ達も人の流れに沿って食堂へ向かう。



 その晩――。


(……てください)


 まだぼんやりする頭の中、顔を上げると私の体を揺らす部下の姿が目に留まる。


「なんだ、ニルス、お前か。悪い、俺は眠い。明日に改めてまた来い」


(もう! カイ兵士長!)


 胸倉むなぐらつかまれブンブン振られてようやく上半身を起こし、くだんの黒髪ショートカットの女性兵士を眺める。

 カイはウィンプに拾われるまで兵士長の立場だった。ニルスはその時の部下であり、偶にロゼと共に相談に乗ってやっている。


「どうした? またリーマンの件か? もう餓鬼じゃないんだ。男女のもつれなら当事者同士で解決してくれ」

「違うんです! いえ、まったく違うともいえませんけど……」


 どうにも要領ようりょうを得ないが彼女のその決死の表情といい、昼間の様子とは様変わりしていた。


「何があった?」


 カイの問いかけに女性兵士――ニルスは両拳を握りしめ、


「昨日のリーマンの演説の後、あの戦争の混乱で彼を見たっていう証言を得たんですっ!!」

「あー、うん、だから、お前を囮にして後からのこのこ投降したんだろ? 第一お前がそう言ったんじゃないか?」

「ええ、ついさっきまでそう思っていました。だって直後本人がベッドの下に隠れていて隙をみて逃げ出してきた。そう言ってたんだもん。でも改めて思い返したら変なんです」

「変? 深呼吸をして落ち着いてから話をまとめてもう一度話せ」


 ニルスは数回胸を動かし、口を開き始める。


「あのときリーマンが逃げるよう教えてくれた避難場所までは彼の言う通り、敵に遭遇そうぐうしなかったんです!」

「だが結局避難場所で待ち伏せされていたんだろ?」

「はい。ですが、問題はそうじゃなくて……」

 

 そういうことか。少しずつニルスの言いたいことが見えてきた。


「避難場所まで敵に遭遇しなかったのがおかしいと?」

「ええ、あの悪夢の音が建物に迫ってきていたとき、逃げ切れないと思いました。でも私は無事、避難所には到着できた」

「囮がいないと不可能だったと?」


 こくんと頷くニルス。


「しかし、それはおかしいぞ。仮にリーマン上級士官殿が囮になったのなら、命があるはずがない」


 無条件投降してしまっては囮にならない。ニルスの仮説を採用するなら、リーマンは敵であるラドル兵の目を自分に引きつけなければならない。そしてあのラドルがリーマンごときを見逃すはずなどありえない。つまり、確実に死んでいるはずなのだ。


「……」


 ニルスは下唇を噛み、両手で上着を強くつかみ全身を小刻みに震わせる。

 どうも嫌な予感がする。噛み合わない鍵穴に幾度となく鍵を突っ込み回している。そんな独特な不快感といえばよいだろうか。


「ニルス、答えろ!」

「今日、第三隊の兵士から、逃げる際、リーマンが胸から血を流して倒れるのを見たって聞いて……」

「いや、でも今あいつピンピンしてるぞ? 見間違いじゃないのか?」

「ええ、でも最近彼は変だった。別人のように傲慢で冷たくなったと思えば、子供のように私に抱き着いて震えている時もあったし……」


 今まで潔癖けっぺきだったものが突然色欲に目覚める。気配りができたものが次の日、横暴おうぼうとなる。性格の著しい改変。それらは、上級士官を中心にまことしやかにささやかれていた噂の一つ。

 もし、その兵士の言の通り、リーマンが既に死んでいるとしたら……馬鹿馬鹿しい。ならば、今日のリーマンは誰だというのだ? あり得ん妄想もうそうだ。

 首を数回振るとニルスの両肩を持ち、


「明日から俺の方もリーマン上級士官殿については調べておく。だから今は部屋に戻って寝ろ」


 遂に泣き出してしまったニルスをどうにかなだめた上、ロゼに簡単に事情を説明し、彼女を任せる。

 リーマンを始めとする上級士官の性格の著しい改変、リーマンの死の目撃証言とその後の生存の確認。カイはどうしてもこの事実につき、強烈な不安を拭い去ることはできなかった。

 

     ◇◆◇◆◇◆

 

 さらに数日の期間が過ぎ、ラドル人が収容所までやってくる。

そして、取り調べを理由に約10人近くの出頭を命じてきた。彼らからの出頭要請を受けたものの中にはリーマン、ニルス、カイ、ロゼ、マーサもいた。

 このラドル人達のピリピリした感じからも、呼ばれた内容も察しがつく。ラドル人に対する犯罪行為だろうさ。


(カイ兵士長……)


 不安そうな目でニルスは私を見上げてくる。


(大丈夫だ。今、嫌疑が掛けられているにすぎん。直ぐに事は起きないさ)


 胸の奥から湧き上がる強烈な不安を抑え込むように、カイは力強くそう宣言した。

 

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