第40話 領主演説


 水の底から浮き上がるような独特な感覚。

 まぶたを開けると、見慣みなれたストラヘイムのサガミ商館自室の木目が視界に入る。

 そして、繰り返し打ち鳴らされるノック音。


「今、何時だ?」


 重い頭に鞭打むちうち、顔だけ向けると時計は五時半を示していた。

 窓のカーテンを開けると、窓ガラスの向こうは紅に金を混ぜた強烈な色彩がストラヘイムを照らしている。

 どうやら、一日中眠っていたようだ。

 あの極悪魔導書の契約をしていたことを思い出し辺りを見渡すが、まるで夢であったかのように消失している。

 今はこのノックの主の応対が先だ。重い身体を引きずるように扉まで移動し、開けるとジュドが佇んでいた。


「よかった。起きたか。でも大将、この三日間ずっと寝てばかりだが、本当に大丈夫なのか?」

「ん? 三日間? 私はそんなに寝ていたのか?」


 ジュドは眉をひそめ、


「何言ってんだよ。昨日も数回、一階に下りてきては俺達に具体的な指示を出してきただろう?」


 そういえば、そうだったな。あの極悪魔導書と契約してから、四六時中全身が怠く、強烈な睡魔が常に襲ってきており、ずっと寝ていたんだった。

 しかし、なぜ忘れていたのだ? いくら寝惚けていたとはいえ、数日間の記憶が飛ぶなど初めての経験だ。


(あの魔導書のせいだろうな)


 それ以外に考えられない。

 円環領域や転移等のギフトはもちろん、無詠唱魔法さえも一切使用不能となっているのだ。その程度の記憶の混乱は当然ありうる話か。

 ともあれ――。


「戦勝式だな?」

「ああ、もうじき始まるから呼びに来たんだ」

「わかった。直ぐに向かおう。では運んでくれ」


 ジュドは大きく頷くと転移を展開させる。どうやら、ジュド達は私のギフトを使用可能であるらしいのだ。随分ずいぶんとちぐはぐな制限だよな。

 まあ、ジュド達が使用可能である以上、ギフト自体が失われたわけではないようだし、あとは解除の方法を探るだけだ。大した問題はないと思われる。

 転移の魔法陣は回転し、次の瞬間景色が変わる。ランプの光は石造りの大きな円柱状の部屋を映し出していた。

 この場所は初めてだが建築様式から言ってかなりの古さだ。キャメロットで王国と帝国に壊されないで残存する建物など一つだけ。都市の中央にあるあの石の塔だろう。

 帝国と王国軍がここを取り壊さなかったのは、この塔が一際高く周囲を展望するのに適していたから。つまり、索敵のためということだ。


「「グレイ様!」」


 カルラが両手をぶんぶん振り、サテラが私を抱きしめる。


「なんだ、お前達も来ていたのか?」

「はい! だって私はグレイ様専属メイドですから!」


 両腰に手を当てて胸を張るお子様メイドと、


「グレイ様の領主としての宣言式だもの、当然だよ!」


 興奮気味に顔を上気させる我儘わがままシンメトリー娘。

 いや、これは戦勝式であり、私の領主の宣言式ではないのだが。

 まっ、確かに宣言をするという点では、ある意味、まとているのかもしれない。


「行こう、大将」

「ああ」


 ジュドの言葉に頷き塔の階段を上っていく。階段の幅は予想以上に広く5、6メートルの幅があった。

 道の両脇にはラドルの部族長達が立ち、私達が通ると深く頭を下げてくる。


(まるで儀式だな)


 素朴な感想を抱きながらもしばらく階段を上ると、前方に通路の終着点が視界に入る。


「……」


 三メートルはある石の扉の両隣りにいた赤髪の隻眼せきがんの男――アクイドとクラマが私に一礼し、石の扉を開けた。

 この調子ではきっとカマーとハッチも近くにいるな。


 扉をくぐると、そこは展望台のような場所だった。

 夕日の光が金色の矢のように大気をつらぬき、塔の下で鮨詰すしづめのように存在する群衆を照らす。


「領主殿!」


 きらびやかな装飾のされたブラウン色と赤の民族衣装を着たテオが両腕を平行にし、敬礼してくる。それにカロジェロ達同席した兵士長達もならった。


「グレイ殿」


 真っ白のスカートに赤色と黒を基調するコートのような民族衣装に身を包み、頬を紅の染めたルチアが小さくお辞儀をする。


「ああ、ご苦労様」

「グレイ様、またですね」


 うつむくルチアの姿に半眼で見下ろしてくる隣の専属メイド殿。


「ん? 何をだ?」

「いーえ、こっちの話です」


 ぷいっとそっぽを向くサテラに、なぜかさっきから頬を膨らませて床を軽く蹴っているカルラ。

 相変あいかわらず、我が商会の女性陣はさっぱり意味がわからん。

 

「大将、そろそろだ」


 ジュドの硬直したようないつもと違う声に、一同顔が引き締まる。

私は展望台の前に進み、グルリとラドル民を見渡す。

 驚いたな。軽く1000人以上はいるぞ。戦争は三日前の出来事。交通機関の未発達なこの場所で、これだけの数が集まるってことは、付近の住民は老若男女、健常者病人全て訪れている可能性すらある。


「静まれぃ!!」


 テオの雄叫びにも似た大音声が吹き抜け、ざわめいていた広場付近は静まり返る。


「我らラドル軍は山賢王の指揮のもと、アークロイの砦のアムルゼス王国軍を昨晩撃破し、勝利を収めた。我らの勝利だっ!!」


 まばらな歓声が上がる。とてもじゃないが今のラドルが王国軍を撃退するなど信じられない。そんな疑惑の視線がありありと読み取れた。

 各部族から送り出したのは、精々、20人から30人程度。その人数で王国軍に勝利し得るはずはない。奇襲きしゅうで捕虜を奪還だっかんしたか、帝国領主である私の軍が助太刀すけだちしたとでも思われている。

 要するに彼らがここにいるのは、私という新たな支配者を見定めに来ているに過ぎないのだろう。


「山賢王から御言葉がある。皆、心して聞くように!」


 群衆からざわざわと林がゆれるようなざわめきが走る。大方、肝心な領主が見当たらない。そんなところだろう。

 私は一歩前に出ると、


「私はグレイ・イネス・ナヴァロ。帝国からこの地の統治を委ねられた新領主です」


 一斉に驚愕の声が広場中を吹き抜ける。


「まず、この場を借りて貴方達ラドルの勝利につき祝辞しゅくじを述べさせていただきます。

 どうもご愁傷しゅうしょう様です」


 頭を軽く下げる私に、一気に騒めきが沈静化した。私の言葉の意図が読めないからだ。


唐突とうとつでもうしわけありませんが、断言しておきます。今の皆さんは家畜です」


 案の定、怒濤どとうのような怒号に広場は支配される。いいぞ、まだ怒る気持ちはある。その証明だからな。


「帝国に敗北し、派遣された領主による数々の弾圧により、皆さんは抵抗する意思はもちろん、人としての最も重要なものを捨ててしまいました」


 詳細な事情はテオから聞いている。旧領主ダビデ達のアンデッド化の直後、王国に占領された際、彼らはろくな抵抗もせず人質と食料を提出したらしい。

 国家が、いや、人が生きていくのに必要なのは尊厳と自給自足の食料だ。その二つを相手に投げ出したとき、人は家畜に成り下がる。


「勝手なことをいうなっ! 帝国のイヌめっ!!」

「そうだ、全部お前らが元凶じゃないか!!」

「何が新領主だ! 帝国は肝心な時においら達を見捨てたくせに!!」

「帝国はあたしたちの国から出てけ!」


 いたる所から上がる罵詈雑言ばりぞうごんと次第に大きくなる『でていけ』のコール。

 テオが額に青筋を立てて民衆をなだめようとするが、アクイドがその肩をつかんで首を左右に振る。

 流石は私の側近、私というものを分かっているじゃないか。

 私は小指で耳をほじると、


「たっく責任転嫁した挙句、現実逃避か。だからお前らは家畜だというのだ」


 そういい放つ。


「……」


 突如変わった私の口調にほんの一瞬の静寂せいじゃく、次いで建物をれ動かさんばかりの怒鳴り声。


「あーそうさ、家畜の方が幾分いくぶん幸せだろうよ。運命を他者にゆだねていればよいのだからな。

 為政者いせいしゃに任せ、部族長達にゆだね、生じた不都合な結果は他者や運命のせいにする。それほど単純明快たんじゅんめいかいで楽な行為はない」


 むろん、個人的には反吐へどがでるが、その生き方について否定はしない。確かに一つの在り方には違いないから。

 しかし――。


「だが、さっきテオから宣言せんげんがあっただろう? お前達ラドルは此度こたび、曲がりなりにも世界三大強国の一つたるアムルゼス王国に勝利してしまったのだ。

 世界はもうお前達を無視できぬ。楽な道を歩ませてはくれぬのだ。つまり、それはもう家畜ではいられぬということと同義」


 怒りの声は収まり、再度ざわめきへと変わる。


「あの人数で王国に勝てるはずがないっ!」

「そうだ! 大方逃げ帰ってきただけだろ!? 大げさなんだよ」


 群衆の中から飛び出す当然の意見。ならば、お望み通りデモンストレーションをするとしよう。


「生憎だが、勝てるのだよ」


 私の意図を察知さっちしてか背後のカロジェロが前に進み出ると、狙いを定める。

 広場の中央には、縄で囲まれた進入禁止に指定された半径三メートルほどの空間があった。

 カロジェロの銃口はその区画に木製の棒で括りつけられている鎧に固定されている。

 多分、この趣向しゅこうはテオ達では無理だ。おそらくアクイドの案だろう。


 ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 

 鎧を貫通、弾け飛ばし、地面に深くめり込む五発の弾丸。

 飛距離、威力ともにこの世界では存在し得ない兵器だ。予想通り、誰もがあんぐりと口を上げてその光景を眺めるのみ。

 

「いいか、一度しか言わぬからよく聞け。これから世界はいまだかつて経験したことのない狂気の大戦へとかじを切る。おそらくその中心はお前達ラドルとなるだろう」


 局所的とはいえ三大強国を敗北させたのだ。この事実は限りなく重い。よほどの間抜けでなければ、各国はその原因を探ろうとする。

 各国による情報収集がなされれば、いくら機密にしようとラドルの現在保有する近代兵器についての情報が洩れる。

 そうなれば世界各国はこぞって、その戦況を一変させかねない兵器の理を掴むため、態勢を整え、死に物狂いで戦争をしかけてくる。それこそ、アークロイの砦の兵士達が子供に見えるほどの強度の軍でだ。


「な、なぜ俺達なんだ!? 俺達は争いなどもう望んじゃいない。ただ静かに暮らしたいだけだ!!」


 直下の青年が真っ青な顔で声を張り上げる。


「お前達がいくらそう声を張り上げても、誰もそれを信じはしないよ。言っただろう? もう地獄の釜の蓋は開かれたんだ」


 いつの間にか誰も口を開かない。ただ、息をのむ声と静寂せいじゃくだけが辺り一帯を支配していた。


「ま、負ければ?」


 背後からルチアの疑問の声。


「戦争で負ければそのときは根絶やしだ。第一、10倍近くの戦力差を覆す兵器を開発した民族など恐ろしすぎるからな」


 戦時法が未発達なこの世界の人類なら、そのような発想になるはず。そして、ラドルの技術を独占した国が、世界覇権を目指す。


「勝利したからといって安心などできない。何せ狙っているのは世界。次々に強国が攻め入ってくる。そして落とせなければ敵国同士で同盟を組むようになる」


 戦争となれば少なからず銃火器は他国の手に渡り、いくらこちらに技術につき先見の明があろうとも、血みどろの激戦化するのは目に見えている。


「救われる道は一つ。富国強兵。お前達一人一人が、このラドルの政治、経済、軍事ともに世界でも屈指の強国へと生まれ変わらせなければならない」


 要するに、私が先の戦争で銃火器を与えた時点で、彼らには二つの道しかとりえなくなっていた。


「諸君らに残されている道は二つ。

 このまま家畜としてさっぱり滅びるか。それとも、ラドル人としてこの国を世界で最高にして最強の強国とするか。そのいずれかだ!」


 私は民衆に背を向け、


諸君しょくんらの賢明けんめいな決断を望む」


 最後の決断をせまり、塔の中へと姿を消す。

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