第9話 姿なき声

 


『あー、君たちがそういう考えに至るかもって危惧してたけど、本当にそうなるとはね』


 唐突に響く、聞き覚えのない声。


「っ、誰だ!?」


 一番最初に反応したのは心だった。

 座っていた椅子を蹴倒して立ち上がる心。

 その顔には警戒心が剥き出しだった。


「誰だ、お前。どこに隠れてる。反応がしない」

『そりゃそうだろうね。僕は『そこ』にいるわけじゃないから。それよりも、今能力は使わないでほしいんだけど──あ、いやバレちゃったみたいだから、やっぱりいいかな』


 なにやらブツブツと呟いてる謎の声。


「何言ってんだ、お前?」

 心は訝しげな顔をしている。


『そっちにお客さんだよ。相手、出来るかい?』

「は? どういう──」

 心の言葉は途中で止まる。

 その目は大きく見開かれていた。


 教室の前方。

 実辰たちが今いる後方から少し離れている場所の空間に、歪みが生じているのだ。

 そして今、その中心から吐き出されるようにして無数の人影が飛び出してきた。

 

 その数は四。実辰たちの人数と同じだ。

 全員が、全身を覆うような漆黒のローブを身に纏っている。

 

 人影は、実辰たちの方を向くといきなり襲い掛かってきた。

 

 速い。

 しかし、感覚の鋭くなった実辰からすれば遅く見える。


 何だか体が熱い気がする。

 体の奥底から、力が溢れ出てくる感覚。

 

 実辰はそれを、自分に向かってくる人影に向けて解き放つ。

 一瞬にして凍りつく人影。しかし凍結は止まらなかった。

 

 実辰は慌てて能力を止めた。

 そうでなければ、他の物も凍らせてしまっていただろう。


 その時、とてつもない爆音が耳に届く。

 思わず耳を塞ぐ実辰。


 音の発生源を見るのバツの悪そうな顔をしている日和がいた。


「ごめん、こんなに大きな音が出るとは思わなくて……」

 日和の足元には一人の人影が倒れている。

 直接触れて感電させたのだろう。真っ黒焦げで酷い有様だ。


 実辰はその惨事から目を逸らし、心と茉菜の方へ向き直る。

 心の方に向かった人影は、頭の部分に大きなへこみを作って倒れている。

 茉菜の方の人影は頭と体が綺麗に分かれていた。何をしたらあんなことになるのだろうか。


「おい、こいつらは何だ? 人じゃないだろ」

 心の言う通り、今襲ってきた人影は人間ではなかった。

 もし人間だったら、こんなに容赦なく攻撃は出来なかった。


『これは『ドール』と呼ばれる人形兵だ。本当はもっと説明したいところだけど──次、来るよ』


 心の問いに簡潔の答える謎の声。

 そして声が警告したとおり、先程の歪みから更に人影が出てくる。

 その数はたったの一。

 しかし実辰は直感する。


 ──強い。

 先程の四体とは比べ物にならない程に。


 人影は即座に襲い掛かってくる。

 

 最初の標的は茉菜だった。

 

 一瞬で距離を詰めると、とんでもない速度で拳を繰り出す人影。

 茉菜も飛躍した身体能力を最大限に活かして、両腕で人影の拳を受ける。


 バキッと音がして、茉菜の足が床にめり込んだ。 

 

 微かに顔を顰める茉菜。 

 続いて二撃目を放とうとする人影。


 そこへ心が攻撃を仕掛ける。

 一気に加速して人影の元へ辿り着くと、拳にエネルギーを溜めそれを人影の頭部に叩き込む。

 一瞬それは直撃したかのように見えた。

 

 しかし人影は残像が出来るほどの速度で回避すると、突き出された心の腕を掴み背負い投げのように心を投げ飛ばした。


「うおっ!?」

 心は廊下のほうの壁に激突し、壁を突き抜けて吹き飛んでいく。


 実辰は人影に向き直る。

 心のことは心配だが、今は目の前の危機を乗り越えることが先決だ。

 実辰が人影に向かって走り出そうとした、その時。


 閃光が実辰の前を横切った。


 一時的に視界が悪くなり、実辰は咄嗟に目を瞑った。

 光が消え、視界が戻った実辰は周囲を見て愕然とする。


 実辰たちを襲った人影の姿は無かった。

 そして心が飛ばされた壁とは反対側の壁に、巨大な穴が開いていた。


『驚いたな、今のはまさか──』

「おい、今の光は何だ? あの黒いヤツはどこだ?」


 姿無き声が何かを言おうとしたとき、ちょうど戻ってきた心が疑問を口にする。


「おい、お前ら、何があった──」

 誰も答えないのを不審に思ったのか、心は問いを重ねようとするが、それは途中で止まった。

 

 皆が心の問いに答えなかった理由。

 それは目の前の光景に言葉を失っていたからだ。


「色が、ない──?」


 茉菜が呆然としたように言った。


 そう。

 実辰たちの前に広がる街並み。


 それらが全て色が抜け落ちたかのように無彩色なのだ。

 まるで白黒写真のような光景。


 更にもう一つおかしな点がある。


「気配を全く感じない。──人がいねぇのか?」


 心の言った通りなのだ。

 人の気配が全くしない。


 人がいなくなっている。

 これだけ派手に物を壊しても人一人来ないのがその証拠だ。


『“閉鎖へいさ病棟びょうとう”か』


 姿なき声がポツリと言う。


「おい、お前、なんか知ってんのか?」

『ああ、僕の旧い友人の能力の一つだよ』


 さらりと能力のことに触れる声。それにいち早く反応したのは心だった。


「お前、一体何者だ?」

『まあ、僕のことは追々話すとして、まずはこの空間のことを説明しなきゃ。あんまり詳しく話すと怒られるんだけどね……』

 怒られる、と言うのは先程口にした旧い友人のことだろう。

 声は丁寧にこの空間のことを説明してくれた。


 今この空間は現実世界と隔絶されていると言う。

 この空間は能力によって作り出されたもので、いわゆる結界のようなものだと声は説明した。

 現実世界とは全く連動しておらず、この世界でどれだけ破壊行為を行ったとしても現実世界には全く影響がないという。


「う~ん、なんか難しいな……異世界みたいなもんか?」

 心は首を捻ってそう質問する。

 それに対しても声は丁寧に答える。


『いや、少し違う。君の言う異世界っていうのは、君たちの住む地球も含めて『現実世界』、つまり『表』の世界なんだ』

「んん……?」

 心はまだ首を傾げている。 


『それに対してこの空間は『裏』の世界なんだよ』

「裏……?」

 心だけでなく茉菜も首を傾げた。

 日和も腕を組んで難しい顔をしている。

 いきなり『裏』や『表』など言われても混乱してしまう。


 しかし実辰は他のことに気を取られていた。

 姿なき声の言い方が引っ掛かったのだ。


 声は『異世界』のことを『現実世界』だと言った。

 その言い方はまるで異世界の存在を認めているかのようだった。

 実辰はそれを確かめようと口を開く。


「あの……異世界ってあるんですか?」


 その言葉に一番に反応したのは心だった。

「それだ! 異世界はあるのか!?」

 それに対し、謎の声は言った。


『ああ、異世界って言い方が正しいか分からないけど、こことは別の世界は、確かに存在するよ』

 そして、声は気軽な口調で更に言葉を続ける。


『と言うか、僕だって君たちからすれば『異世界から来た者』だしね』 


 さらっと告げられたその事実は、実辰たちをしばしの間硬直させた。

 たった今異世界の存在を知ったばかりなのに、実は異世界からの来訪者だと明かされても混乱するしかない。

 一番最初に我に返ったのは心だった。


「お前、異世界から来たのか!?」

『ああ、うん。そうだけど?』 

「どんなとこなんだ!? つーか俺も行きたい!」

 異世界に物凄く食い付く心。


『ああ、異世界の話ならいくらでも聞かせてあげるよ。だけど今はそれよりも大切なことを話さなきゃならない』

 その言葉にハッとなる実辰。

 異世界の話に気を取られてすっかりと忘れていたことがある。

「ああ、こいつらのことか。いったい何なんだ? それにお前は誰だ?」

 心は足元に転がっている襲撃者の残骸を一瞥して問う。


『そうか、まだ名乗ってなかったね』

 姿なき声は思い出したように言った。

 そして己の名を告げた。


『僕の名はアレン。君たちを助けに来た』 


「私達を、助けに?」

 アレンの言葉に日和が反応した。


『そうだよ。君たちが倒したそいつらからね』

「でも、もう倒しちゃいましたけど……」

『それは僕にとっても想定外だったよ。まさかこれほどまでとは思わな──』

 アレンはそこで急に言葉を切った。


「おい、どうしたんだ?」

 黙り込んでしまったアレンを訝しむ心。

 

 その時、微かな異音が実辰の耳に届く。

 まるで、何かがゆっくりとひび割れていくような音。

 そんな音が、どこからともなく聞こえてくる。


「空を見てごらん」

 アレンが実辰たちに言った。

 その言葉に従い、空を見上げる。


 そこには無彩色の空が地平線まで続いていた。


 しかし、よく目を凝らすと異変が生じているのが分かる。

 灰色の空に罅が入り始めているのだ。


 最近は異能力による超常的な現象を数多く目にしてきたが、その中でもこの現象は圧巻だった。

 実辰たちが言葉を失っている間に空の罅はどんどん広がっていく。

 そして罅が空を覆い尽くしたとき。 


 罅という罅から眩い光が溢れ出した。

 その眩しさに思わず目を閉じる実辰。

 光は程なくして収まった。


 そして再び目を開いた実辰の前にはいつも通り、何の変哲もない世界が広がっていた。 



 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る