第4話-4

 俺は海野先輩を呼びだした。話のため、喫茶店に入る。

 店内は白壁に腰板があり、窓には格子型の木製の窓枠が付いている。壁に古時計が掛かり、照明は暗い。ニスの塗られたテーブルの茶色の天板に、窓明かりが仄白く反射していた。

 海野先輩はブラウスにロングスカートの装いだった。私服は新鮮に感じる。落着いた服装で、美人の海野先輩に似合っていた。

 俺は海野先輩に景が転校することを話した。やはり景は伝えていなかったらしく、海野先輩は驚いた。事実を受けいれると、沈痛そうにした。

「あたしのせいで…」

「それは違います。景も言っていましたが、俺たち3人の連帯責任です。その上で、景が決めたことですから」

「そう… 小浜さんは覚悟の上だとしても、夏川君には寂しい思いをさせるね。もちろん、あたしも寂しいし…」

 俺はテーブルに乗りだした。

「でしたら、海野先輩、俺と付きあいませんか」

「…?」

 普通に首を傾げられた。

 仕方ない。説得しよう。

「海野先輩。愛の意味について訊いてくれませんか」

「愛の意味は?」

「38億年前、海底のアルカリ熱水噴出孔の周辺で、複雑な有機物が出来ます。生命です。これは細菌と古細菌による原核生物でした。その後、古細菌に細菌が入りこむことで、細胞核をもつ真核生物が出来ます。真核生物は原核生物より大きく、DNAの複製において真核生物は染色体を利用し、有性生殖を行います。真核細胞がミトコンドリアを包含するために、生殖細胞に役割分担が求められ、性差が生じます。また、生殖能力を保ちつつミトコンドリア病のリスクを低減させるため、細胞にアポトーシスが組みこまれます。これにより、個体の死が生じましたが、DNAの変異の機会は爆発的に増えました。現在の多様な生物も、その結果です。これが愛の意味なんです」

「ごめん。意味が分からないし、気持ち悪い」

 海野先輩は無表情で言った。

 俺はテーブルに倒れた。カップに注がれたコーヒーが波紋を立てる。

「検討してもらうこともできないんですか」

「あたしは他のひとが好きなひとを好きになるほど、物好きでもお人好しでもないから」

 俺は体を起こした。

「それは…」

「小浜さんが好きなんでしょ」

 俺が自分の感情を自覚したのは昨日だが、海野先輩はそれより早く気づいていたようだ。

「トンビに納豆をさらわれたって感じかな」

 海野先輩は苦笑して言った。

「油揚げじゃないんですね」

「そこまで惜しくない」

 海野先輩は無表情で言った。

「それも賞味期限1週間前くらいの納豆だしね。腐敗と発酵は同じだから、もしかしたら食べられるかもしれないくらいの」

「……」

 わりと酷い罵倒に思えるが、気のせいだろうか。

 海野先輩は鞄から小物を取りだした。鍵だ。

「これは返すね」

 屋上の鍵だろう。海野先輩は続けた。

「あたしより、小浜さんに告白したら?」

「でも、あいつはもう転校しますよ」

 顔を伏せたまま応じる。語調が暗くなっていたかもしれない。

「だからだよ。きっと後悔するよ」

 海野先輩は真剣な口調で言った。俺は思案した。

 ふと、気になり尋ねる。

「そういえば、俺が景を好きなこと、いつから気づいていたんですか」

「教えない」

 海野先輩の返答はそっけなかった。口の片端を上げて笑う。

「そのくらいの仕返しはいいでしょ」

 なんの仕返しかはよく分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る