第3話-5
夕方。俺と景は神社の鳥居の前で会った。
境内は夏祭りの装いをしている。提灯の電飾が下げられ、参道の左右の砂利に屋台が軒を連ねている。辺りは賑わい、人混みは家族連れと若い男女が主だった。
若い女性の多くは浴衣を着ていた。
景は言った。
「夏の夜に、繁殖のために目立つ外見をして集まるとは、まるで蛍ですね」
「何を言っているんだ」
「見てください。またオスとメスのツガイができましたね。近年は都市の発展により、若い男女の繁殖できる環境が減り、個体数は減少の傾向にあります。そこで、こうして繁殖のための人工の環境を用意して、個体数を回復させようという取組みが行われているのです…」
「指をさすな、バカ!」
俺は景の腕を掴み、下に向けさせた。
バカなことをしているうちに海野先輩が来た。
海野先輩は浴衣を着ていた。黒地に大輪の花の模様だ。帯は赤く、着物が体の優美な稜線を浮きあがらせている。
俺は海野先輩に言った。
「浴衣を着てきたんですね。先輩」
「まあね」
「とても綺麗です」
海野先輩は怒ったような表情をした。
「はァ? よく、そういう恥ずかしいことを言えるね」
「綺麗だから綺麗だと言っただけです」
そう言うと、なぜか海野先輩は恥ずかしそうに俯いた。
俺たちは社殿まで行き、神楽殿で神官が舞を踊るのを見物した。
神楽殿の横には、《奉納》という名目で、協賛する地元企業と有力者の名前が掲示されていた。
俺たちは参道を戻った。
海野先輩が屋台を見て言う。
「よく《広島焼き》の屋台は見るけど、《お好み焼き》の屋台は見たことがない気がする。偶然かもしれないけど。どうして屋台のお好み焼きはみんな広島風なのかな」
「せっかくだから食べていきますか」
そう言うと、海野先輩は思案げにした。
「どうしました?」
「だって、歯に青ノリが付いたら恥ずかしいし」
海野先輩は顔を伏せた。
誰が見るわけでもないし、構わないと思うが、年頃のための羞恥心があるのだろう。
「じゃあ私が食べますね!」
景が俺たちを後にして、広島焼きを注文した。
呆れる俺たちを前に、景は広島焼きを完食した。
「どうして広島風なのか分かったか?」
「大阪風だと、ただのお好み焼きだからじゃないですか?」
訊いた俺がバカだった。
景が俺に向けて口を開く。
「どうですか? 歯に青ノリが付いていますか?」
俺は屈み、景の口内を覗きこんだ。
「出来かけの虫歯があるぞ。汚いな」
「やりましたね。私の人骨が出土したとき、この時代の食生活が豊かだったことが分かります」
「お前は縄文人か」
俺は景の下顎を掴んだ。小さな顎で、片手で収まる。
「この時代に初期の医療技術があったことも分かるようにしておくか。歯に糸を結んで引けば抜歯できるだろ」
「オオアーッ!」
景がくぐもった悲鳴をあげた。ツッコミを入れているらしいが、顎を掴まれているため言葉にならない。
おかしな体勢になったまま、ツッコミを入れるものがいなく困っていると、海野先輩がいないことに気づいた。
辺りを見回すと、俺たちを放置して金魚すくいの屋台に行っていた。
慌てて追いかける。海野先輩は浴衣姿で屈み、器と紙製の掬い網を手に、黙々と金魚すくいをしていた。
「海野先輩。置いていかないでくださいよ… って、多いな!」
器にはすでに満杯になるほど金魚が溜まっていた。
俺の指摘に、海野先輩は軽く笑った。
「前にテレビで金魚すくいをコツをやってたのを憶えてたから。掬うときは紙を斜めにして、こう」
軽い水音とともに、また金魚が器に入った。すでに器は飽和状態になっている。
「ベクトル分散ですか」
「知らないけど」
器にいたのは通常の赤い金魚だけだった。おそらく確実に獲ることのできる個体だけを選んだのだろう。
が、俺が見ていると、海野先輩は黒い出目金に狙いを定め、それを掬った。
「スイミー」
赤い金魚の群れに、1匹だけ黒い出目金のいる器を見せ、海野先輩はそう言った。
俺がポカンとしていると、海野先輩は恥ずかしそうに下唇を噛んだ。
「ああ。『スイミー』ですね。『スイミー』」
慌ててフォローする。
その後、海野先輩はすぐに掬い網を破ってしまった。とはいえ、すでに金魚は飼いきれないほど獲っていたため構わなかった。
そう思ったが、実際は成果は関係なかった。
看板に《小赤3匹=300円 小赤1匹・出目金1匹=300円 小赤2匹・メダカ5匹=300円》と書かれている。
「つまり、金魚を何尾掬っても関係ないということですか?」
「みたいだね」
店主はいかにも的屋らしい、中年太りで、顔が肉厚の男だった。話をする俺たちを無感動に眺めている。
「それじゃ、ここは《金魚すくい》じゃなくて《金魚屋》じゃないですか! これがパチンコだったら、本店はただ銀玉がたくさん出たら楽しいというだけのゲームセンターで、景品交換所は酒やタバコ、お菓子を売る、ただ本店の近くにあるだけの小売店になるじゃないですか! そんなの、ピンボールマシンで遊んで、残りの時間は家でゆっくり過ごすために帰りに酒やツマミを買う役にしか立ちませんよ!」
「そのほうが健康的じゃない?」
海野先輩は片眉を上げて言った。
「俺たちが努力しても何も変わらないのに、努力することに意味があるように見せるなんて欺瞞だ。莫大な借金を背負わせる奨学金制度や、多額の教育投資を行うことのできる家庭が有利な入試制度と同じ、偽りの公平感を与えているだけだ! そもそも、ただ金魚を掬って何が面白いんだ。金魚を掬っては放流することで、カンダタと同じように徳を積めるということか? つまり、金魚すくいはマニ車なのか? それとも、社会の閉塞感に苦しむ俺たちが、何者かから救いだされる可能性もあるという幻想を見るためのものなのか…?」
俺は地面につっ伏した。砂利に爪を立てる。
的屋の親父が表情を怒らせているような気がするが、なぜかは分からない。
景が加勢した。
「その通りです。だいたい、出目金1匹が金魚2匹に価するのはどうしてですか。命の価値は平等のはずです! 金魚すくいの金魚は、狭い水槽に過剰な数で飼われて、多くは1年以内に死んでしまうそうです。人間の都合で生みだされ、人間の都合で殺される。このような人造の生命体は、いつか人間に牙を剥きますよ! ほら、見てください。口をパクパクさせています!」
とうとう親父が怒鳴った。
「あーッ、うッせェ! 黒を入れて3匹やるから、お前らとっとと散れ!」
ビニール製の小袋3つに、1匹ずつ金魚を入れて海野先輩に押しつける。1匹は黒い出目金だ。
俺たちは金魚すくいの屋台を離れた。
相談し、金魚は1匹ずつ引きとることにした。俺は出目金を貰う。
景が透明な小袋を透かし、自分の金魚を見る。
「この子は希望の意味をこめて、超新星から《ノヴァ》と名づけます」
「その命名、金魚が人間に反乱を起こすとき救世主としてリーダーになることを予定してるだろ」
俺は自分の金魚を持ちあげた。
「なら、俺は対になるように、この金魚にはブラックホールから《ブラック》と名づけよう」
「反乱勢力が親人間派と反人間派で分裂したとき、親人間派の《ノヴァ》と敵対して、最終的に2匹の思想対決で物語の結末を飾る命名じゃないですか…!」
景が歯噛みする。
「しかも、そっちが黒でカッコいいですし。露悪的でも現実主義的な思想で、主人公より人気の出る立ち位置じゃないですか」
「そう言えば、俺が出目金を貰って悪かったな」
「いえ。出目金は金魚すくいの金魚でも、とくに死にやすいらしいですから」
「おい」
俺たちがふざけあう間、海野先輩は退屈そうにしていた。呆れたのかもしれない。
すでに日没し、辺りは暗くなっていた。境内を出る。
景が言う。
「花火を用意してきたんですけど、やりませんか」
俺と海野先輩は頷いた。
「場所はどうする。浜辺まで行くか」
「山中にいい場所があります。ここからすこし歩くことになりますが、いいですか」
俺たちは景の案内で山道を登った。
しばらく歩くと、広場に出た。付近に人家はない。水場もあり、花火をやるのによさそうだ。
用意周到な計画に、俺は景に感心した。
「いい場所だな。調べてきたのか」
「はい。青姦スポットだそうです」
俺は景の頭を叩いた。
景は鞄から花火を取りだした。
「青姦しているカップルに花火をぶつけましょう。いろいろ用意してありますよ。ネズミ花火、ロケット花火…」
「それ、《使用上の注意》に《ひとに向けて点火してはいけません》って書かれてるだろ」
俺は景の持ってきた花火を検分した。袋詰めで売っているものだ。多種の花火が収まっている。
「線香花火とか、普通の花火もあるな。…ここが都合のいい場所には違いない。青姦スポットでもどこでもいい。海野先輩、ここで花火をやりましょう」
「待ってください!」
景が俺を制止した。
「もしかしたら、今も茂みでカップルがヤりあっているかもしれないんですよ? それが気にならないっていうんですか? それは嘘でしょう。夏川先輩、ムッツリですね。恥ずかしー!」
「……」
こいつ、殴ってやろうか。
だが、たしかに気になることは事実だ。
「花火をやるにしても、その前に探索しましょうよ。せっかく青姦スポットに来たんですから」
俺は意見を伺うように海野先輩を見た。
海野先輩は倒木に腰かけ、膝に肘を立てて、手に顎を乗せ、退屈そうにしていた。その姿勢のまま、こちらを見る。
「小浜さんの発案なんだから、小浜さんが決めれば? まあ、花火をする前にひとがいないか確認することは悪くないんじゃない」
決まりだ。
俺と景は木立ちの中に入った。
ただでさえ月明かりだけの闇夜なのに、それさえ木々で遮られ、視界は悪い。俺たちはひとと遭遇しても気づかれないよう、無言を通した。初めは半信半疑だったが、木立ちの中を進むにつれ、次第に期待で胸が高揚してきた。
「あ。いた」
性交の最中ではなかったが、人影があり、男女の嬌声がした。
俺たちは全力疾走で広場まで戻った。
広場に着くまでひと言も発しなかった。倒木に腰かけていた海野先輩が俺たちに気づき、視線を向ける。全力疾走のあとのため、荒い呼吸をしていた。体力のない景は、地面に倒れていた。
俺は興奮して海野先輩に言った。ここからの声が聞こえることはないだろうが、無意識に声を潜めていた。
「いました。いましたよ」
「あっそ」
海野先輩の声は冷えきっていた。
呼吸を整えた景が、地面から起きあがった。楽しげに花火を取りだす。
「さあ。どれを使いましょうか」
海野先輩が淡々と言った。
「やめた方がいいと思うけど。見つけただけで十分じゃない?」
「そうだぞ」
景は不満そうにこちらを見た。俺は言いつのった。
「交尾の邪魔をされて怒らない生物がいるか? あとのことも考えたのか?」
「それは…」
景がシュンとする。
「だから、完全装備で挑まないとな」
5分後、俺はロケット花火を両手に持ち、口に大量に頬張り、両耳に挟んでいた。
「アウア」
口に大量のロケット花火を咥えているため、うまく話せない。
俺の雄姿を見て、景は手を叩いた。
俺が言ったことはこうだ。下手に花火で脅かすと、逆上して反撃される恐れがある。悪いのは公共の場所で不埒な行いに及ぶカップルだが、そのような不逞な輩が何をするかは分からない。そこで、大量の花火で反撃の気力を削ぎ、完全な勝利を収めようというのだ。そのため、俺は両手、両耳、口で持てるかぎり最大の花火を手にした。点火は景に任せた。
「オアア」
行くぞ、と言ったつもりだったが、景には通じた。
森林をカップルのほうに進む。
カップルを遠くに望見し、唐突に気づく。
これは俺だけがリスクを負っているんじゃないか?
俺がその疑問を考えているあいだに、景は俺の全身に装着した花火に点火した。最後に、火を点けたネズミ花火を、俺のズボンの尻のところに入れる。
俺は絶叫した。
大量のロケット花火を咥えているため、悲鳴が声にならない。
助けを求めるべく、カップルのほうに走る。
口と両耳と両手から火炎を噴射しながら疾走してくる俺を見て、なぜかカップルは悲鳴をあげた。俺を助けるどころか、絶叫しながら走って逃げていく。
ズボンのなかのネズミ花火が燃えつきるまで、俺はひたすらその辺りを走りまわった。
「ハアハア…」
地面に膝をつく。焼尽したロケット花火の束を放し、荒い呼吸をする。
景は俺のズボンを下ろした。
「子供向けアニメみたいに、お尻に火が点くかと思いましたが、低温の火花が散っただけみたいですね。残念」
つまらなさそうに言う。
俺はズボンを引きあげた。バケツに水を汲んできて、花火を回収する。ついでに、その辺りに散水する。
それから、景を追いかけた。
「お前はァーッ!」
景は全力疾走で逃げた。
今日ばかりは許してはおけない。景は体力がない。すぐに追いつけるだろう。
そう考えていると、景がふり返った。
「おい!」
景の正面に樹木が迫っている。注意を促す間もなく、鈍い音を立てて、景は樹木に衝突した。仰向けに倒れる。
「景!」
冗談事ではなく、景は本当に昏倒したようだった。俺は急いで海野先輩を呼んだ。
「救急車を呼ぶ?」
海野先輩が心配そうに尋ねる。
「大事にしないでください…」
そう言いつつ、景は頭をゆらゆらさせていた。木に頭をぶつけて失神するとは、マンガではあるまいし、本当に鈍いヤツだ。
仕方なく、俺が景を背負う。そのまま下山する。虫の音が響き、月光が山道を照らしていた。
背中に乗せた景は、意外なほど軽かった。体付きが薄く、クタクタと柔らかい。接したところから体温が伝わってくる。
ただ、女子に圧しかかられているにしては、背中に胸の厚みを感じなかった。そのことを言いかけ、以前、景が怒ったことを思いだしてやめた。
「なんか、空回りしてますね。私たち」
俺の背中で景が言った。
「《夏恋計画》なんて、はじめから破綻していたんですかね」
「そんなことないよ」
海野先輩が慌てたように言う。だが、その反射的な否定は、かえって景の言葉の説得力を増した。
「次に夏川先輩と海野先輩がデートするにしても、少なくとも、私はいないほうがいいでしょうね」
俺はその言葉に返答することができなかった。沈黙が訪れ、虫の音が大きく感じられた。
海野先輩が宥めるように言う。
「でも、まだ行ってないところがあるよ。せめて、最後にもう1回だけ、3人でどこかに行こうよ」
「まだ行ってないところって、どこですか」
景が海野先輩に反問する。
「海とか?」
「海はいつでも行けるじゃないですか」
景が不満そうに言った。たしかに、学校の最寄り駅の、駅舎の向こうの護岸を下りれば浜辺だ。海はわざわざ行くところとは思えない。
「じゃあ、プールとか?」
「プール?」
景は聞きかえした。
「誰もいない、夜のプールを泳ぐの。きっと綺麗だと思うよ」
海野先輩は訥々と言った。その言葉に、もう誰も反問しなかった。
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