イン

「見苦しいところを見せたな。」


しばらくすると、王はパッと顔を上げて、職務机に戻っていった。バンビも服の袖で軽く涙を払い、何もなかった風を装う。


「ニースの移住の件だが…許可する。この国のために…治癒師として役立ってくれ。」

「は、い。ありがとうございます。」

「うむ。将来、婿になる男のためだ。朝飯前よ。」

「「は…?」」


何がどうしてそうなったら、その考えに到るのか。ニースとバンビは耳を疑う。


「なななな、何言ってるの!?頭おかしいんじゃない?馬鹿なの!?」

「照れなくても良い。娘が自ら男を父に紹介するということは、そういうことなのだろう。」


察した、と王は深く頷く。


「勘違いもいいところよ!そそそそ、それより!ニースの移住届け申請書!書いてよ!」

「それだけでいいのか?婚姻届の方も…」

「私はバンビよ!こんな男なんかと生活するなんてありえないわ!」

「まだ早いということか。まずは生活に慣れるのも大事なことだな。うむ。ならば落ち着いたら再度、来訪するといい。」


勘違いしたまま王はさらさらと移住許可書に署名を行う。最後に判子を押し、バンビにすっと差し出す。王の眼は暖かく、まるで二人の門出を祝しているようだった。


「ホントやめて!気持ち悪い!」

「はっはっはっー!」


王は高笑いする。一度咳を切れば、バンビのことを目に入れたいほど可愛いのだろう。

確かに今まで王はバンビに王の座を譲らない、など口にしていたが、今思えば、王の発言は彼女のことを気遣っていたようにも思えてくる。彼女のことを愛おしく思うならば、まだまだ王の座は譲らないだろう。


「ニースよ、此度のそなたの働きに感謝して、ここで暮らしていく上で必要なものは全て手配しよう。」

「おお…助かる。」

「もちろん、嫁が欲しくなったら、すぐに相談すると良い。」

「…気持ちだけで十分だ。」

「照れるでない。」


胸のつかえが取れた王は遠慮を知らない。いつも強面だった顔はいつの間にかほぐれ、顔をくしゃくしゃにさせる。


「いい加減にしてよ!ニース、さっさと手続きに行くわよ。中央管理局が閉まっちゃう。」


バンビは王直筆の移住許可書を机から奪うように取る。そのまま彼女はニースの腕を引っ張り、王の間のドアに手を掛ける。

行く時は重厚感のある重々しい嫌な部屋だと思ったが、帰りは実家のような安心感さえ覚えた。

本来の職務に戻ろうとする王は、バンビが出ていくのを手を振って見送る。


「『イン』によろしくと伝えてくれ。」

「いやよ!あんな根腐れ男!」


『イン』…聞いたことがない名前だった。


以前、バンビと魔術を教わる云々の話をした際に、「小根が腐っている」やつと「脳筋」がいると言っていたのを覚えている。この「根腐れ男」は「小根が腐っている」やつの可能性が高い。


「これから移住届けの申請書を中央管理局に出しに行くわ。受理されたら『イン』っていう結界とか封印関連の魔法を得意とする男から、受理の刻印みたいのをもらえるから。その印さえあれば、私と半径1m以上離れても弾き飛ばされなくなるわ。」

「ありがてーわ。一国の姫さんといつまでも添い寝するんじゃ命がもたん。」

「死なないくせに、よくいうわね。」


中央の広場の一角に管理局はある。

管理局は人の管理を目的として作られた組織だ。移住の受入の他に、引越し、土地の管理、国の施設の管理、新事業の申請・受入など幅広く住民をサポートしている。何かを始めるにはまずここに訪れなくてはならない。

ここは中央管理局。支部は東西南北と存在するが、必要最低限の申請しか行えない。規模によっては支部で行えない申請がある場合は、中央に出向かなければならない。

全てを統括する中央管理局には、エリートが勢揃いだ。言われたことをテキパキと無駄なくこなす。頭も良いから効率よく仕事運びができる。おまけに給料も良い。選ばれし者のみが勤務することができる職場だ。

そんな中央管理局の局長を務めるのが、先ほど話に出た『イン』だ。


「姫様!」


エリート尽くしの中央管理局は例え姫がじゃじゃ馬であろうと、丁重に扱う。礼儀を知っているものばかりだ。

わざわざカウンターから出てきた最も優秀そうなキリッとした男性がバンビに近づいてくる。


「インはいるかしら?彼、ニースの正式な移住許可書を届けにきたの。彼に受理の印を授けて欲しい。これ、許可書よ。」

「そうでしたか!拝見いたします。彼が噂の…かしこまりました。確認終わり次第、局長を呼んできますので、しばらくおかけになってお待ちくださいませ。」


噂の…とつくくらいニースの知名度は上がっているらしい。さすがのエリート様たちも奥から顔を出してニースにちらちら視線を浴びせてくる。

男性はバンビから許可書を受け取り、「確認いさせていただきます。」と言うと、踵を返し足早にカウンターへ戻っていく。しばらく書類に目を通すした後、間違いがなかったのか、彼は書類に判子を押した。すると、書類は彼の魔法操作で階段へと飛ばされていった。

しばらくすると、中央管理局の2階へ続く階段から細い目のアジア系の顔をした男が顔を出した。


「彼が『イン』よ。」


バンビがこっそり教えてくれた。インはバンビたちを見ると、口元を緩ませた。途端、なぜかニースの背筋はぞくりとした。あんな細い目をしているのに、何もかもが見透かされたような、そんな感覚に陥った。

インは人差し指をちょいちょいと動かし、ニースを2階に位置する局長室へと呼びつける。


「気をつけてね。」


バンビの忠告はどういう意味を宿しているのか。ニースはゴクリと唾を飲み込んだ。

ニースに続きバンビも立ち上がり、インが待機している局長室へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る