結婚もまた、一つの“失恋”なのかも知れないと言うお話
これまた前回からの続きなのですが、漫画「妻が口をきいてくれません」に登場する“妻”は、夫に対して恋人から家族へシフトしきれていないのでは、とも思わされました。
この辺の結婚前と後のギャップに関しては殊更ここで言っても冗長、かつ、横道であるから割愛させて頂きますが。
確か、この創作論の序盤でも何度か触れた筈ですし。(うろ覚え)
これも何処かで書いた覚えはありますが、結婚が決まった時、前職の先輩(既婚・子持ち)から「いいなー、俺もまた恋愛がしたい」と冗談めかして言われた事があります。
少なくとも端から見る限り、先輩のご家族の関係に問題は無さそうで、円満に見えました。当人達にしか分からない不満は無数にあるのでしょうが、あらゆる人間関係において、それが無い方がむしろ気味が悪いくらいです。
その先輩はこうも言いました。
「結婚すれば、彼氏彼女の関係から“同居人”に変わってしまう」
こちらは、冗談と言うよりも、実感を真面目にストレートに伝えてくれたのだと思います。
さて、この“恋愛”の“恋”から“愛”への変化、他人から家族へと変化する際のギャップと言うものは、創作においてしばしば忘れられがちだと思います。
その人の半生や世界の歴史を追うような長期スパンのジャンルはともかく、学園もの等の、大抵は結婚に至る前にそのものが終わる物語においては、想像する機会もなかなか無いでしょう。
特にこの創作論でも近頃言及してきた、昨今のなろう系や「ネットゲームベースの人間関係」では、ともすれば学友やクラスメイト以上に実は関係が薄いのではと思います。
これは決して、ジャンルやスパンによる人間関係に貴賤や優劣をつけようと言う話ではありません。
例えばパーティメンバーと言うのは、これまで何度も繰り返して来たように、お互いの生存を支え合う関係でもある筈です。
この創作論で幾度と無く挙げてきた「ゲーム感覚をゲーム的世界のリアルに持ち込んだ」場合における、ご都合主義のようないびつさです。
しかし、一日のうち、共有する時間の単純な長短と言うのは、お互いに干渉し合う時間の長短を意味します。
例えば公私に関わらず、私は完璧主義者のような人と連携を取るのが苦手です。
基本的に、目的へ向かう“過程”において、余裕・あそび・ゆとり・ファジーに使える時間、と言うものを確保しておきたい性質であります。
仕事(家事)の優先順位を大体決めて、前倒しで片付けられる事は各個撃破し、あらかじめ複数のタスク(敵)に包囲される可能性を潰しておく。
その為に後回し可能な事は棚上げにしておく、不測の事態を想定して若干暇を作るくらいが丁度いい……と言うスタンスが、見る人によっては短期的に動きが悪いと見なして反感を覚えるようです。
実際に妻がこの完璧主義者タイプで、私から見れば要所要所で融通がきかない印象です。
裏を返せば、私のこの性格が、職場の対極的な性格の人や妻に対して、共有する時間の長さだけストレスを与えているのだろうとも思います。
以下はまだ笑い話で済む事なのですが、
妻が横で見ている時にドラクエ11のラスボス戦をしていて、このギャップが顕著に出ました。
(自分がドラクエをやる時は)一人たりとも戦闘不能者を出さずに敵を倒したい主義の妻に対し、そのラスボス戦を実際にプレイしていた私は、必要なら仲間を犠牲にして勝ちに行くタイプでした。
敵の行動次第でタンク役のグレイグが死にかねないターンでしたが、ラスボスの方も瀕死であろう状況。
私は、グレイグへの回復を放棄して畳み掛ける選択を取りました。
まあ横から、まるで戦況の見えていない節穴呼ばわりのような非難を散々に喰らいました。
ちなみに、結果的には戦闘不能者を出す前にラスボスにトドメを刺す事が出来ました。
今回は穏便な例えとしてドラクエのラスボス戦を例にしましたが、この齟齬は四六時中感じる事となります。
そしてこれは、結婚前には分からない齟齬でもあり、つまり“恋愛”の段階では体感が難しい事でもあります。
いざ自覚した時には、自然体で暮らしている姿を、常に言及されている状態になっているのです。
恐らく、そこの落としどころがあまりに違いすぎた時「やっぱり離婚しよう」と、関係を無かった事にする家庭も出てくるのかも知れません。
特に、繰り返すようですが、学園もののように学生時代で物語が終わる話では、尚更、このギャップが見えにくくなる筈です。
(不必要に見えても、それはそれでコンセプト違いになりますし)
またドラクエの話になりますが、五作目の中盤で主人公が結婚すると言うのは有名なエピソードです。
それをテレビ越しで見ているプレイヤーとしては、彼らの生活にどのような変化が起きたのかは見えません。
主人公の妻と言う“仲間”がパーティに増えただけで、それまでと変わらず、フィールドやダンジョンを歩いてはモンスターと戦う、と言う日常のままです。
描写されていない所では野営も行っているでしょうし、結婚当初、魔物使いである主人公にとって人間の仲間はこの妻だけなので、裁量もそれなりに渡している筈です。
リメイクでは、パーティの仲間が場所に応じた一言をコメントしてくれる会話機能があり、いずれも新婚生活の甘いやり取りばかりなのですが……プレイヤーから見えない所では、毎日のように小さな事でカリカリイライラ衝突しているのかも知れません。
そう考えると、結婚記念日やお互いの誕生日祝いが何故存在するのかも、近頃では分かる気がしてきました。
夫婦になると、ただの恋人同士に戻れるタイミングが、そこしか無いのです。
勿論、私の事例だけが世の中の全てではありません。
もっとうまくやれているご家庭もある筈です。
しかし、物語で恋愛や結婚を書くにあたって、このギャップの存在は知っておいて損は無かったと思います。
なお、またまた近頃書いていたVR世界での恋愛についての私見もここで述べる予定でしたが……それも含めた、もっと広範囲の話題を思い付いたので次回に持ち越す事とします。
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