作品=作者の思想?
※引き続き、セラフィックブルーのネタバレがあります。ご注意下さい。
勿論、作中の記述全てが作者の思考・願望では無い事は理屈の上では明らかでしょう。
むしろ、時には目を逸らしたくなるような不幸や理不尽を「書きたくない」と思いながら書かねばならない事もあります。
極論、嬉々として犯行に及ぶ殺人鬼を主人公にしたとしても、その作者にその願望がある事はまず無いでしょう。
問題は、そこまで極端ではない描写の時です。例えば今の殺人鬼の例で言えば、日常の何気ない会話を「作者は素でこう考えているから、自然に表現としてあらわれているんだ」と受け取られる場合はあり得ると思います。
前回の繰り返しになりますが、セラフィックブルーの物語は、主人公と黒幕がお互いに「生には苦しみしかなく、最後に待っているのも死の恐怖と苦痛であるから、生まれて来る事自体が不幸である」
と言う反出生主義に傾倒しています。
だからと言って作者が同じ思想だとは限らないのに、自分を投影しているに違いない、とする勘繰りが散見されたのが、何とも恐ろしいものだと思いました。
所詮は匿名掲示板で書き捨てられていた程度の事とは言え。(※1)
恐らく、あれだけ真に迫った描写が出来たと言う事は、一時、そう言う考えを持っていた事もあるのかも知れません。
あるいは、作品を公開した時点でも、揺れていた可能性はあります。
しかし、結末を見れば、黒幕は敗れて世界は救われています。
主人公も依然、充分には割り切れたわけではないものの、生きる希望を見出だせなければ発動できなかった能力を現実に発動し、星の病魔を打ち払っています。
もし作者が完全に反出生主義を作品に投影したと言うのなら、尤もな理屈を示された後に星は滅びていたでしょう。
その上、没となった原案では結婚し、子供を持つ事を決心すると言う前向きな結末ですらありました。(依然、子供がモンスター化するリスクは払拭できないが、それでも前向きにやっていこう! 的な感じです)
むしろ、それではテーマに対する結論としては弱いからと没にされ、現在の「救世の役割も失った虚無感から自殺未遂を何度か繰り返すも、立ち直る余地が微かにある」と言う結末に変られたのです。
私も、月並みですが“リアリティ”を出すために、台詞などで忖度する事はありません。
主人公のタイプに関わらず、他人を見下すような言動や、敵対者の生まれ・身体的特徴という、努力ではどうにもならない事まで中傷させたりしています。
書きながら、自分の人格まで疑われそうだな、と何となく想像してはいます。
事実、私自身が自分の領分を著しく脅かされた時、“戦術的”に必要であればそう言う糾弾のしかたをしないとは限りません。
“敵”とは傷付け合うものであり、敵の弱点を突いて応戦しなければ、自分の権利を守れない事もあるからです。
そう言う意味では「自分が同じ状況ならこう暴言を吐く」と言う投影も皆無とは言えないのかも知れません。
「自分ならこうする」「この人物ならこうする」と言うのは全く異なるものでありながら、結局の所、どちらも「作者の思考から生まれたもの」でもあると思います。
ジョジョの奇妙な冒険なんかは「クサレ脳ミソがァァァァ!」「ゲロ以下の臭いがプンプンするぜ!」「便器に吐かれたタンカスどもが!」など、エキセントリックな暴言がポンポン飛び交っていますが、インタビューの記事等を見るに、作者は物腰が柔らかく穏和な方に思われます。
いずれにせよ、作品=作者の投影、と受け止められてしまうリスクは避けられないのかも知れません。
暴言や下ネタ、願望の投影など、そうまでして書く理由はあるのかどうか。
誤解を受けてでも書き切る価値がある描写なのかどうか。
立ち止まって考える必要があるのかも知れません。
(※1)
こうした決め付けの根幹には、所謂“メンヘラ”のレッテルを貼って揶揄したがる人達の浅慮がありがちだと思います。
私も知人に似たような茶化され方をして、嫌な思いをした事があります。
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