視点の選定とか

 皆さん、小説を書く時の“視点”の選定はどうなさっているのでしょう?

 大別して一人称、三人称、ごく稀の変化球として二人称、あるいはそれらのハイブリッド。

 三人称の中にも、神の視点もあれば一人に焦点を当てた視点もある。

 以前、とある指南サイトで、更に細分化していたのを読んだことがありますが……。

 私は基本的に、

「“プロット”が一番重要なら三人称」

「“主人公の心情”がカギを握るなら一人称」

 と、ごくごく芸の無い基準でやっております。

 そりゃ、一時期は「視点一つとっても一段上の事を考えられればかっこいい」などと考えておりましたが、

 どんな要素が大事かよりも、何を書きたいか、が大事だと思い始めてからは、そういう事を考える方がめんどくさくなりました。

 視点の面で一段上の事を考えざるを得ない時と言うのは、意識しなくても訪れるのだろうと思ったのです。

 

 アメリカの小説家ディーン・R・クーンツ氏の出した指南書の受け売りなのですが、私が良く使う手法として「追う者と追われる者」や「同じ場所を目指している二人」を交互に描写する事で、両者がぶつかった時の結末を強く意識させるものがあります。

 自著で言うなら「運のゲシュタルト崩壊」のクライマックスにおける主役二人や、

 某なろうに投稿した「願えば叶う」の冒頭「モンスターを追う主人公と、このままではモンスターに狙われかねないヒロイン、そして数年後に同じ場所を目指して歩く未来の主人公」と、実験的作品「名無しの幻夢」における「犯人が本腰入れて主人公を追い始めた段階」が該当します。

 また、主人公の認識がカギとなる(読者にも視野狭窄をさせたかった)「陰キャ、覚醒す」では一人称とし、

 逆に主人公の得体の知れない人格を際立たせる必要があった「サイコブラック」は三人称一人の視点をベースにあれこれやっております。(主人公の「何を考えているか」を感情抜きで淡々と描写するには、と言う基準での選定でした)

 ほか、プロの作品で印象深かったのは「プシュケの涙」(著:柴村仁氏)において、基本的に語り手が毎度違うタイプの一人称なのですが、主人公の視点“だけ”が無い事で、余人には理解しがたい彼の才覚や異質さを演出していた使い方でしょうか。

 同じ「天才肌の変人」のレッテルを貼るなら、自分で言わせるより、大勢の他人に言わせた方が説得力がありますからね。

 他にも「主人公だけを描写しない」と言う手法は見た気がしますが。

 超余談ですが、気になる異性に勧めるなら、この「プシュケの涙」はベストな塩梅です。凝ったプロットでありながら、ドン引きされるリスクが少ないもので。

 

 何にしてもそうですが「何を書きたいか」と言う事を大事にすれば、自ずと最適解は見つかる気がします。

 無理に「凝った視点にしよう!」などと息巻く必要性は、私は感じません。

「凝った視点」の為に物語を描くのではないのですから。

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