陰湿さ。


 今日はやけに暑い。異様に暑い。

 朝からガンガン温度が上がっていった自室の中は、まるで亜熱帯あねったいのように蒸し暑くなっていた。行ったことないからほとんど想像だけど。

 姫はまだ家に来ていない。

 もしいたのなら暑くて耐えられず服を脱ぎ始めて、またいつぞやみたいに大騒ぎするハメになっていただろう。


「って、何で毎日来ること前提で考えてんだよオレ」


 いくら親しくなったからといって、いつもやってくるとは限らない。今まで毎日来ていたことの方がおかしいくらいだ。

 彼女にだって他に交友関係があるだろうし、こんなクソ暑い日は友達と一緒に冷たいプールにかっているのかもしれない。あの性格だとアグレッシブに泳いでいる可能性もあるけど。


「はぁ、プールか……」


 オレの思い出の中に、プールに関する良い思い出はない。

 泳げないことはないが下手くそで遅かったためバカにされまくり、おふざけの延長線上でおぼれさせられたことも多々ある。死にかけたと思う。いじめられていたので一緒にプールで遊ぶ仲間もおらず、学校以外では入ったこともない。陽キャ御用達ごようたしのテーマパーク系なんて、頼まれても行きたくない。あと単純に塩素消毒の臭いが苦手。スク水のデザイン自体は好きだけど。


「って、これじゃあただのスク水愛好家みたいじゃねーか」


 暇なのでノリツッコミというボケをかましてみるが、あまりのむなしさに悲しくなる。

 今までずっと一人で過ごしてきたのに、孤独感がスゴイ。こんな時、姫がいたら「バーカ」ってあおり散らかすんだろうな。いや、彼女ならもっと豊富な語彙ごいで罵倒してくるはずだ。甘く見てはいけない。

 ……なんだ、この感覚。

 別に姫はオレの友達でもカノジョでもないんだから、会えないからさみしいなんておかしいだろ。どこぞの薄っぺらいラブソングかっての。オレには青春特有の愛だの恋だのはさっぱり分からないんだから勘弁してくれ。 


「……あー、もうっ!うだうだ考えても仕方ねーだろって!」


 来るかどうかも分からない姫のことで悩むなんてバカらしい。でも自室でじっとしていると静寂せいじゃくの空間にさいなまれて、つい余計なことばかり考えてしまう。

 なので気晴らしに出かけることにした。部屋の中よりも直射日光が強くて痛いほど暑いが、胸に巣くうもやもや感が解消されるならそれでいい。




「はぁ……やっぱ、あちぃな……」


 家から出て数歩で若干じゃっかんの後悔。せみのナンパ声はうるさいし道路の上には陽炎かげろうが揺らめいているし。体はバターよろしく溶けてしまいそう。

 でも今更戻っても無駄むだに悩んでしまうだけだ。止まっても暑いだけだし、さっさと進む他ない。


「そういえば姫の通う学校って、オレと一緒だよな」


 同じ学区内に家があるのだから、オレの母校の後輩ということになるはず。

 市立中央小学校。

 平凡でつまらない名前。それにたがわず特に変わったところのない、ごくありふれた公立の小学校だ。普通の子供にとってはただの学び舎に過ぎない。だが、オレにとっては地獄の場所だった。特色のない平和な学校だって立派ないじめの温床になっている。ここで過ごした六年間がオレのいじめられ体質の基盤になっているのだろう。その意味では魔の空間である。

 そんな苦手意識のある場所ではあるが、不思議なほどよく覚えている。いじめられたことと付随ふずいするように教室の配置や行事日程もバッチリだ。その記憶を辿ると、夏休みの午前中はプール開放もしているはず。

 もしかしたら姫はそっちに行っているのかも。ウォータースライダーみたいな派手さはないが、無料で冷たさを味わえるならこちらを選んでいる可能性は十分ある。

 ちょっと寄ってみるか。


「いやいやいや、それだと完全に変質者だろ」


 プールに入っている子供に会うために小学校に立ち寄りましたOBです、ってか。十中八九じゅっちゅうはっく「お帰り下さい」で門前払いだろ。それか有無を言わさず即拘束&通報のコンボを決められるか。

 母校でさえ自由に出入り出来ないとは、世知辛せちがらいな。

 防犯面から仕方のないことだが、近年子供や地域との関わりが極端に減っている気がする。挨拶あいさつしただけで不審者扱いされたって話もある訳だし。ストレス過多な世の中になったものだ。こうやって関わりが減っているから子供嫌いが増えたり少子化になっていたりするんじゃないかと思う。知らんけど。

 まぁオレの場合、子供の方から接触してきてこの有様ありさまになったのですが。


「お、小学生だ」


 色々と考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか小学校周辺。プールバッグを持った子供がうろうろしていた。

 近くにいるのは四人の女子。その内三名の髪の毛は湿しめってたばになっており、プールに入った後だと分かる。そしてもう一人、髪の毛が乾いてふんわりボブカットが可愛かわいらしいのは――姫。身にまとっているのは昨日買ってあげたばかりのワンピースだ。

 なんだ、オレの予想通り友達と一緒にプール遊びか。

 ……なんて思ったが、何やら様子がおかしい。一人だけプールに入った形跡がないのもそうだし、何よりも雰囲気そのものが変だった。


「なぁに、あなた?まさかプールにでも入りに来たの?」

「休みの日まで一緒なんて、貧乏臭びんぼうくささが移っちゃったらどうしてくれるんですかぁ?」

「そーそー。ただでさえあんたと同じクラスってだけでき気がするんだから」


 ロングヘアーの子、ショートカットの子、お団子だんご頭の子が口々に姫を責め立てている。

 一瞬喧嘩けんかかと思ったが、それにしては陰湿な詰め寄りだ。それに多勢たぜい無勢ぶぜいで一方的な責め方……間違いない、これはいじめだ。


「べ……別に……プールに入るつもりなんて、ないし……」


 対する姫は上目遣いでおどおどしている。

 大人相手に啖呵たんかを切っていた勇ましい姿はどこへやら。縮こまってただ時間が過ぎるのを待っているだけ、まるで袋小路の小動物のようだった。


「水着も持ってきていないみたいだしうそじゃなさそうね」

「そ、そうです……だから、もういいで――」

「でも、私達の前に顔出しただけで同罪だから」


 ロングヘアーの子が、姫の言葉をさえぎる。つり上がった目でにらみ付けて、おびえる姫を見下ろすさまはまるでへびのよう。絶対的捕食者として、獲物をいたぶるのを楽しんでいる目だ。


「あなたの顔を見ているだけで気分悪くなるのよ。ああ、これはもう慰謝料いしゃりょうよね。私達を不健康にした罰金、払ってよ」


 おいおい、何だよそれ。言いがかりにも限度ってものがある。

 一昔前の不良がやっていた『肩が当たった系』カツアゲよりも理不尽さがグレードアップしているぞ。


「で、でも……あたし……お金持っていないし……」

「ああ、そうよね。あなたの家って貧乏ですもんね。でも、それにしては高い服着ているじゃないのよ?」


 ずいっと、ロングヘアーの子が更に距離を詰める。

 目を付けたのは姫が着ているワンピース。かなりのお値段だったそれを、躊躇ちゅうちょなく掴んで引っ張り上げた。


「や、やめてっ!」


 ぱしんっ。

 反射的に姫は抵抗。平手打ちでつかんできた悪意の手を払いのけた。


「いった~いっ!叩かれた~!」

「うわぁ、暴力反対だぞー」

「そうよそうよー。最低だー」


 だが、いじめっ子達の加虐かぎゃくの火に油を注ぐだけ。

 彼女達は自分達のやっていることをたなに上げて、抵抗しただけの姫を悪者のようにののしる。

 姫の一挙手一投足、その全てに言いがかりをつけていじめ抜くつもりだ。


「これはホントに慰謝料もらわないとねぇ?とりあえずその似合わないワンピース、よこしなさい。あなたになんかもったいないわ」

「そ、そんなっ!?ダ、ダメっ……!!」

「逆らうんじゃないよ、メンドクサッ。ちょっとこの生意気女、押さえておいて」

「はいっす~」

「がっちりですねー」


 無茶苦茶むちゃくちゃな理屈だ。姫は何も悪いことをしていないのに。

 それなのにショートカットの子とお団子頭の子に両腕を拘束こうそくされて、ワンピースをはぎ取られようとしている。

 まるで、昔のオレみたいに。


「や……やめろ、君達っ!」


 気付けば。

 オレはいじめの現場に足を踏み入れていた。


 もう二度とごめんだと思っていた、弱者をしいたげて嘲笑あざわらう世界。

 それなのに飛び込まずにはいられなかった。

 それはきっと。

 姫を助けたい……その一心からだ。

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