第三章:発覚

宿題は大嫌い。


 この前は姫と喧嘩けんかしてしまったが、オレ達の関係に変化は特になし。

 彼女は相変わらず口が悪いし人の部屋を勝手気ままに使う。身売りの真似事まねごとこそしないものの、きわどい服装で誘惑という名のあおりをしてくる。何がしたいんだお前は。

 一方のオレも振り回されてばかりで進展は一切なし。

 ただ、それでも唯一変わったことがある。

 姫としゃべる時、どもることが減っているのだ。彼女がオレの部屋に入り浸っていることに慣れてしまったせいだろうか。これが日常の一部と化してしまったからだろうか。不本意過ぎる、認めたくないぞ。




 蒸し暑い部屋の中、姫が一冊の本とにらめっこしている。

 これまでであったのならそれはオレの私物の漫画だっただろうが、今日は珍しいことに教科書である。つまり勉強中なのだ。

 というのも、夏休みを目前にして一学期の宿題……その未提出分が山積みらしい。早い話、ずっとサボっていたツケが回ってきたのだ。

 このままでは夏休みの宿題と合わせて勉強漬けのサマーバケーション。しかも夏休み期間中定期的に担任教師の元へサボり分を提出しに行かないといけない。なんと気が滅入る最悪なイベントだろう。

 でも真面目に取り組まなかった姫が悪いんだよなぁ。


 そういうことで、今日はオレの部屋を漫画喫茶代わりにする余裕はない。

 なのに姫はわざわざオレの部屋で勉強している。漫画に囲まれた楽園みたいな環境で集中出来るのかはなはだ疑問。「自宅でやれ」と言ったら「分からないところを教えて」だそうだ。オレは塾講師じゃねーぞ。自分でやるだけマシだけどさ。


「む~……」


 姫は机の上で頭を抱えている。必死になって問題を解こうとしているのだが、どうやらやり方自体が分からないらしい。完全に授業内容を聞いていない、典型的な勉強嫌いなようだ。そりゃあ宿題という『持ち帰り』なんて苦痛を家に持ち込む物はほったらかしにし続ける訳ですわ。


「ちょっとお兄さ~ん。意味不明なんですけどぉ」

「割り算の初歩でつまづいている方が意味不明ですが?」

「うへぇ、ひど~い」


 小学三年生の算数。教科書の最初の方に載っている文章問題は八個のリンゴを二人で分けたらいくつずつか。どんな式なら答えを導き出せるか、という解き方を覚える段階の問題だ。

 式の組み立て方はとっても簡単。

 8÷2=4

 答えは四個ずつだ。楽勝過ぎて欠伸あくびが出る。


「普通に四個だろ。これのどこが分からないんだよ」

「なんでこのち○こみたいなマークつけると四個になるのよ?」

「ち○こじゃねぇ、『わる』と読め」


 まず割り算の概念がいねんから話さないといけないのかよ。一体どれだけ授業を聞き流していたんだ、こいつ。ずっと居眠りでもしていたのか?


「いいか?一旦このマークのことは忘れろ。形から入ろうとするから意味不明になるんだ」

「はいはい、忘れますぅ」

「それでだな……あー、とにかくまず絵にしてみろ」

「え~……。あっ、今のはダジャレじゃないからね!?」


 そんなしょうもないことでずかしがるな。宿題をサボっていたせいでオレみたいな変なお兄さんを頼っている自分の現状を恥ずかしがれ。


「リンゴは丸でいいから」

「ふ~ん。……これでいい?」

「そしたら丸を四個ずつ大きな丸で囲んで」

「書いたけど?」

「では質問。リンゴ……小さい丸はいくつある?」

「八つ。お兄さんが書かせたんでしょ」

「じゃあ次は大きな丸は?」

「んーと、二つ」

「大きな丸の中に、小さな丸はいくつある?」

「えっと……四つずつ」

「そういうことだ」

「どういうこと?」

「オイ」


 ちゃんと聞いていてコレなのか。担任教師がこの学力をどう擁護するのか、一学期の成績表が気になるぞ。


「だからな、オレとお前で八冊の漫画を分けっこするとしてだな。袋に四つずつ入れればちょうど半分だよなって話だよ」

「あ~、なるほど~」

「やっと理解出来たか……」


 身近な物にたとえて話したらようやく納得してくれた。

 まったく、頭がまっさらな子に教えるのってこんなに難しいんだな。こんな子が三十人近くもいるクラスをまとめないといけないとか、教師なんて天地がひっくり返っても絶対やりたくないわ。うん。

 しかしこんな調子で今後大丈夫なのだろうか。少なくとも未提出分の中には時計に関する問題があるし、後期では分数や小数まで出てくる。小学生がつまずくポイントのオンパレードだ。きっと頭の上に『?』マークが乱立すること間違いなしだろうな。


「はぁ~、疲れたぁ~~~っ」


 姫は椅子いすに思い切り寄りかかると、体から力を抜いてぐったりさせている。まるでイカの一夜干しだ。だらしなさ、ここに極まれり。


「オレだって疲れたよ……」


 教えるこっちだって脳味噌のうみそフル回転でぐったりだ。かなりカロリーを消費した気がする。

 オレは一気に脱力して、ベッドの上にドスンと腰掛けた。


 ごく当たり前なかんじで勉強を教えているが、ついこの前までは何をしでかすか分からず日々ビクビクしていたんだよな。

 突然オレの目の前に現れて、勝手に人の家に上がり込む小学生。しかも人を不審者呼ばわりしておどしてくる始末。でも本当は人をおとしいれる気なんてなくて、ただ遊び相手にしているだけなのだろう。……玩具おもちゃにされているとも言うけど。

 姫のことを敵だと思う必要は、多分ない。だからこうやって自然と一緒に過ごしている。

 山も谷もない、起伏なしの平坦な毎日。平和で何よりだ。

 これこそオレが求めていた日々。姫の登場で全て消し飛んでしまったかと思ったが、そんなことなかったのだ。

 彼女がいても、オレの生活に変わりはない。むしろ子供に勉強を教えているだけ社会貢献こうけんしているまである。

 ずっと陰キャでくすぶっていた頃よりも、ずっとずっとマシだろう。


「なぁ~に、ぼけ~っとしてるのよ~?」


 椅子を回転させて、姫がこちらを向く。その顔は暑さで気怠けだるげに溶けていて汗まみれだ。しっとり濡れた肌がなんかエロい。


「あ、もしかしてあたしに見とれてた?」

「なっ。んな訳あるかっ」


 いけない、完全に見透かされている。

 顔が緩んでいたのか。それとも鼻の下が伸びていたのか。相変わらず凄い観察眼だ。油断も隙もない。


「正直になりなよロリコンお兄さぁ~ん?」


 姫はキャミソールの肩紐かたひもを引っ張り、自分の体を見せつけてくる。健康的な小麦色の肌と日焼けしていない白い部分が美しいコントラストを描いているのが目に飛び込んできた。


「バカッ、やめろって!」

「ほらほらぁ、どう?エロ可愛かわいいでしょ?きゃははっ」


 必死に見ないようにするが、本能に抗えず薄目を開けてしまう。そんなところも姫にはお見通しなようだ。

 二次元にしか興味がないつもりでいたのに、体は正直ということらしい。

 もうちょっと働け、オレの理性。


「だからエロはもういいって!可愛いけどさ!」

「――えっ」


 ぴたり、と。

 姫の生意気な色仕掛けが止まった。


「え……え?ちょっと、やだ、お兄さんったら……っ」


 そうしたら今度は急に恥ずかしがり、ほほ紅潮こうちょうさせて身をよじり始める。

 一体急にどうしたんだ、もじもじくねくねしたりして。まさか『可愛い』という言葉に反応したのか?

 やっぱり、そういうところは素直なんだな……とちょっと安心。

 だが――


「あ、あ、……ひゃああっ!?」


 ――椅子の上でやったのが間違いだった。

 回転に合わせて椅子が傾き、姫はバランスを崩す。何が起きているか理解していない姫はそのまま受け身すら取らずに床へ落ちる――


「っぶねぇっ!!」


 ――その直前でオレは落下地点へと滑り込む!


「きゃんっ!」

「ぐぇあっ!」


 ドスンッ!!

 二人分の体重が床にぶつかり、鈍重どんじゅうな音をかなでた。

 オレが下敷きになったおかげで姫は無事……オレの背の上に胴体着陸。ケガはないようだ。


「きゃああっ!?大丈夫、お兄さん!?」

「大丈夫だから、はよ下りろ」


 腰と背中が滅茶苦茶めちゃくちゃ痛いが、とりあえず骨は折れてなさそう。あとで湿布でも貼っておけば問題なしだろう。

 だが、それよりもっと大きな問題が猛烈なスピードで迫っていた。

 オレがに気付いた時にはもう、何もかもが手遅れだった。


「ちょっと良太!今のは何なの!?」


 けたたましい音を立てて、母さんがノックもなしに部屋へ乗り込んできたのだ。

 姫が椅子から落ちたことで下の階まで届いた振動。それをオレが倒れた音か何かだと思って心配になり飛んで来たのだろう。

 普段ぐうたらだけど、そういうところはちゃんとしているんだな。

 でも、今は来て欲しくなかった。


「良太……誰、その子?」


 母さんに、姫を見られてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る