49.避難指示(1)

 ――そういえば、最後まで出て来なかったけれど、烏羽はどうしたんだろう?

 絶望的な戦況から始まり、白菫の乱入にフレンドから借りた月白と、予想外の出来事が立て続けに起こったせいですっかり忘れていた。しかし、奴が汚泥に呑み込まれてくたばっている所など想像も付かないので自力で脱出している事だろう。

 などと適当に考えていた、その時だった。あまりにも聞き慣れている、いちいち他人を煽るような声が鼓膜を叩く。


「おやおやおや! 少し見ない間に、愉快な事になっていますねぇ、ええ!」

「……烏羽」


 散々、プレイヤーを放置し放蕩していた烏羽その人が、どこからともなくふらりと姿を現した。悪びれもせず、機嫌が良さそうな笑みさえ浮かべている。

 呆れた目で初期神使を見つめていると、花実ではなく白菫が非難の声を上げた。


「今更のこのこと現れるとはな。こちらはこちらで大変だったのが、見て分からないのか?」

「この烏羽も喚んで下さればよかったのに。ええ、召喚士殿からお声が掛かるのを今か今かと待っておりましたとも!」

「いや、自分で戻って――」


 2人の口論には終わりが見えない。ので、花実は慌てて声を掛けた。


「ちょっと! 山吹達に会いに行くんじゃなかったの?」


 指摘に対し、白菫は申し訳無さそうに目を伏せ、元凶とも言える烏羽は態とらしく肩を竦めた。


「申し訳ありません、召喚士様。では、戻りましょう」

「うん、それがいいね……」


 避難誘導を開始しようとしている白菫の背を追おうとした所で、烏羽に肩をちょんちょんと突かれた。怪訝な心持ちで背後を見る。

 ニヤニヤとやはり意地の悪い笑みを浮かべた彼は、彼自身より更に後方を指さした。


「なかなかに面白い光景だとは思いませんか? ええ」


 それは黒い波。結界の内側に入り込んだ汚泥が次々に都を呑み込む光景が広がっていた。水と違い、意思を持って広がったり縮小したりするそれは、効率的に町を破壊し食べ尽くしていく。

 非常に恐ろしい光景に、言葉を失って立ち尽くしていると花実を呼び止めた烏羽がやはり愉快そうに唇の端を歪めて、しれっと話を元に戻す。


「ささ、行きましょう! ええ、我々もあの汚泥に呑み込まれてしまう前に脱出しなければなりませんから、ね?」

「うん……」


 やはり人間の脚力ではあれから逃れる事は出来ないのだろう。烏羽に荷物のように持ち上げられ、その場から撤退した。


 ***


 山吹達のいる黄檗の依拠に戻ってきた。

 やはり、神使の移動速度に合わせれば一瞬である。


「召喚士様、助けて頂いてありがとうございました」


 あれよあれよの間に通された部屋でそう言ったのは白花だ。濡羽が撤退を余儀なくされた事で術が解けたらしく、ちゃんと真剣な場面で笑顔以外の表情を浮かべられるようになっていた。

 洗脳下から解放された彼女の話では、これまでの事はうっすらとしか覚えていないらしい。恐ろしい事だ。


 少し話をしている内に場が整ったのだろう。大急ぎで何か準備をしていた黄都の黄色2人組、藤黄と山吹がこちらを向き直った。


「お待たせしましたー……。それじゃあ、今後の対策会議、始めましょうかー……。はあ……」


 そう言った山吹は目の下にくっきりとクマを作ってしまっている。心労は今まさにピークと言ったところか。

 資料を手に持った藤黄が、決して今居るメンバーと顔を合わせる事が無いよう、顔を伏せながら滅茶苦茶に早口で説明を開始する。急いでいるとかではなく、ただただ緊張しているようだった。


「えっと、僕の方から状況を説明しますね。まず黄都を覆う結界ですが、再構築は終わっています。これ以上汚泥が入ってくる事は無いでしょう。が、あの一瞬で当然ながら大量の汚泥が黄都内部に侵入しています。分析の結果、今居る神使全員で掛かっても討伐は現実的ではないでしょう。

 そして結界破壊の件ですが、故意に破壊された事が判明しています。調査をしなければ何者によって破壊されたのかを知る術はありませんが、そもそも現状では調査をする術が無いのでこの話もここで行き止まりです」

「あ、因みに……この場所は別の結界で覆われているからー……もう少しは持つかなー……」


 疑問がある。好奇心のまま、花実はそれを黄色組に訊ねた。


「あの、ごめん、阿呆な質問だったらアレだけど……こんなにあっさり結界を破壊できるのに、今までそうされなかったのは何でなの?」

「いやあ、恐らく向こうも『あっさり』壊せた訳じゃないと思うんですよね。汚泥にのしかかられても耐える、結構な強度ですし」


 結界についての話に転がった途端、目を輝かせた山吹が話に乗ってくる。


「そうなんですよー。黄都の結界に限らず、都町村を守る結界はー……私達、黄色が術式を構築したんですけどー……。そもそも結界って、術式を作った後はどれだけ輪力がを使えるかが要になってくるんですよねー……。術式を起動し続ける限り、永久に輪力を消費し続けなきゃいけないって事なんですよー……。それで、その輪力は有事にどこから賄っているかって言うと、土地と人間から吸い上げているんですよー……。人間の輪力回復速度は速いのでー、寝食をこなしてもらって、使わない輪力を強制的に巻き上げてるって訳なんですー……。それで、都って言う場所には人も広い土地もあるのでー、あの大きさの結界でも年単位で輪力を供給し、強度を持ったまま運用できちゃうんですよー……。いやあ、土地の大きさと結界の大きさ、人口とか計算で割り出して――」

「ちょ! 止まって下さい、山吹さん。まずいって、このまま話続けたら何も解決できないまま汚泥に喰われちゃうよ、僕達」


 山吹の口は止まったが、会議室には重苦しい沈黙が横たわっている。それもそうだろう、現状が絶望的という事実しか分からなかったのだから。

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